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僕(但馬)が描いた通州事件2

(はじめに)
昭和12年7月29日、北京郊外通州で起きた邦人大虐殺(乳児から老婆まで死者は250余名)、いわゆる「通州事件」。日本人ならば決して忘れてははいけない歴史の悲劇でしょう。この事件の生存者による生々しい証言がいくつかの残っています。中でも佐々木テンは、沈さんという中国人の夫ともに通州に住み、中国人サイドからこの事件の一部始終を目撃しており、その証言はとても貴重なものです。彼女の証言は『通州事件目撃者の証言』(藤岡信勝編・自由社)というブックレットで現在読むことができます。
僕は、いつかテンさん、あるいはその他の生存者の証言を、マンガという形で後世に残したいと思っておりました。作画は本職のマンガ家さんにおまかせするとして、そのときの参考ラフ・イメージとして、自分自身でもスケッチブックに何枚かの拙いイラストを描いてみることにしたのです。
そうした折り、昨年(令和4年)5月、東京学士会館で通州事件80周年記念のイベントが開かれ、『めぐみへの誓い』で知られる野伏翔監督の作演出で、テンさんの証言を15分程度の寸劇にして公開することになりました。通州事件当時の若きテンさんを演じるのが、おかのさやかさん。老年のテンさんを石村とも子さん、ともに劇団夜想会の大女優さんです。そしてテンさんの夫・沈を僕・但馬オサムが演じています。
最初の打ち合わせの席で、僕は自分で描き溜めたスケッチブックを野伏監督にお預けしました。おこがましくも、脚本作りの参考になるかと思ったのです。まあ、監督が参考されたかはわかりませんが、限られた時間の中で素晴らしい脚本を書き上げてくださいました。
今回、部屋を片付けていたら、埃をかぶって例のスケッチブックが出てきました。このまま処分するのも、勿体ない気もするので、僕の描いたテンさんの物語をnote、twitterのフォロワーさんに公開しようかと思います。絵は下手の横好き程度なので、笑ってやってください。また、これを見て、ぜひテンさんの証言をマンガにしてみたいという奇特なマンガ家さんいらっしゃいましたら、ご連絡ください。

生きながら顔を皮を剥ぐ。われわれには発想だにもできない。

▲それはこの男の人の頭の皮を学生が青龍刀で剥いでしまったのです。私はあんな残酷な光景は見たことがありません。これはもう人間の行為ではありません。悪魔の行為です。悪魔でもこんなにまで無惨なことはしないと思うのです。
 頭の皮を剥いでしまったら、今度は目玉を抉り取るのです。このときまでは日本の男の人は生きていたようですが、この目玉を抉り取られるとき微かに手と足が動いたように見えました。(『通州事件目撃者の証言』p95)

妊婦の腹を裂く。あまりにもむごくて、描いていて何度も筆が止まりました。

▲お腹を切った兵隊じゃ手をお腹の中に突き込んでおりましたが、赤ん坊を探しあてることが出来なかったからでしょうか、もう一度今度は陰部の方から切り上げています。そしてとうとう赤ん坊を掴み出しました。その兵隊はニヤリと笑っているのです。
 片手で赤ん坊を掴み出した兵隊が、保安隊の兵隊と学生達のいる方へその赤ん坊をまるでボールを投げるように投げたのです。(中略)赤ん坊は大地に叩きつけられることになったのです。何かグシャという音が聞こえたように思いますが、叩きつけられた赤ん坊のあたりにいた兵隊や学生達が何かガヤガヤワイワイと申していましたが、どうも赤ん坊は兵隊や学生達が靴で踏み潰してしまったようであります。(『通州事件目撃者の証言』p99)

▲そして学生が青龍刀でこの日本の男の人のお腹を切り裂いたのです。縦と横とにお腹を切り裂くと、そのお腹の中から腸を引き出したのです。ずるずると腸が出てまいりますと、その腸をどんどん引っ張るのです。
 人間の腸があんなに長いものとは知りませんでした。十メートル近くあったかと思いますが、学生が何か喚いておりましたが、もう私の耳には入りません。(中略)
 ハッと目をあげてみると、青龍刀を持った学生がその日本の男の人の腸を切ったのです。それだけではありません。別の学生に引っ張らせた腸をいくつにも切るのです。(中略)
 その姿を見て兵隊や学生達は手を叩いて喜んでいます。残った腸の細切れを見物していた支那人の方へ二つか三つ投げて来ました。そしてこれはおいしいぞ、日本人の腸だ、焼いて食べろと申しているのです。(『通州事件目撃者の証言』p95~96)

老婆は今わの際に「くやしい」「かたきをとって」とも言ったという。

▲お婆さんは懸命に逃げようとしていたので頭に斬りつけることが出来ず、左の腕が肩近くのところからポロリと切り落とされました。お婆さんは仰向けに倒れました。学生はこのお婆さんの腹と胸とを一刺しづつ突いてそこを立ち去りました。(中略)
 私は何も言葉は出さずにお婆さんの額に手を当ててやっておりました。「いちぞう、いちぞう」と人の名を呼びます。きっと息子さんかお孫さんに違いありません。私は何もしてやれないので只黙って額に手を当ててやってるばかりでした。
 するとこのお婆さんが「なんまいだぶ」と一声お念仏を称えたのです。そして息が止まったのです。(『通州事件目撃者の証言』p90)

保安隊に銃殺されたあと、民衆が死体に群がり、金目のものを剥いでいったという。彼らにはまるで青い血でも流れているかのようだ。

▲そのときです。日本人の誰かが「大日本帝国万歳」と叫んだのです。するとこれに同調するように殆どの日本人が「大日本帝国万歳」と叫びました。その叫び声が終わらぬうちに機関銃が火を吹いたのです。
 バタバタと日本の人が倒れて行きます。機関銃の弾丸が当たると一瞬顔をしかめますが、しばらく立っているのです。そしてしばらくしてバッタリと倒れるのです。このしばらくというと長い時間のようですが、ほんとは二秒か三秒の間だと思われます。(『通州事件目撃者の証言』p103)

日本人銃殺のあった場所。夥しい銃痕。
通州虐殺の生存者たち。頭に包帯を巻いた人もいる。


 

▲『通州に生きて--ある女の一生』- 脚本・演出 野伏翔 /出演・石村とも子 ・おかのさやか・ 但馬オサム


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