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左翼こそが嫌韓だった時代

宇宙人少年のワッペン

 そういえば、今年(2022年)は『ウルトラセブン』放送55周年でもあった。『セブン』(1967~8年)は、ハードなSF性と独特のアダルトな世界観で、ウルトラシリーズ屈指の人気を誇る作品だ。その映像センスは今観てもまったく古びていない。むろん、時代性を感じさせる部分も目につくが、むしろそこに新鮮な発見があったりするのである。
 たとえば、第45話「円盤が来た」(脚本・監督=実相寺昭雄。※脚本は川崎高名義)。物語の主人公は、天体好きの孤独な工員である。彼はある夜、天体望遠鏡で無数の空飛ぶ円盤を発見するが、誰もそれを信じてくれない。そんな彼の前に唯一の理解者として現れる不思議な少年。実はこの少年こそが、円盤を地球に送り込んだ宇宙人の先兵だったのである。
面白いのは少年の被っている野球帽だ。韓国国旗、国連旗、アメリカ国旗のワッペンが並んでいるのだ。これは何を意味するのか。
1964年、ベトナムの南北統一戦争に、アメリカを中心とした国連軍が南側を支援する名目で介入。一方、共産勢力である北ベトナムを中ソが後押しし、戦争は泥沼化の様相を呈していく。韓国は傭兵という形でアメリカ軍に助っ人参加していた。
宇宙人の被る帽子に3つの旗のワッペン、つまりこれはアメリカ=国連軍、韓国が侵略者であるという意味が込められているのだ。当時の左傾化したジャーナリズムの世界では、北ベトナムの敵アメリカ=悪であり(アメ帝=アメリカ帝国主義という言葉もあった)、東アジアで唯一、西側として参戦した韓国は、当時軍事独裁政権だったということもあって同様に悪として忌み嫌われていた。嫌韓的な発言をすると右翼呼ばわりされる近年では信じられないかもしれないが、かつては左翼になればなるほど韓国を敵視していたのである。そして、韓国を応援する者は右翼あつかいされたのだ。

「円盤が来た」より。3つの旗は帽子の右側(!)に並んでいる。
今回、観直したら、帽子の左側面に北ベトナムの国旗らしき赤地に黄色い星のワッペンが確認できた。
ベトナム民主共和国(北ベトナム)の国旗はべトナム社会主義共和国
統一ベトナム)に受け継がれた。

社会主義幻想という病

朝鮮戦争にしても、今でこそ北朝鮮による進撃(南進)が戦火の発端であったことを疑う者はいないが、60~80年代半ばまでは、38度線を最初に越えたのは韓国(北進)であるとするのが、インテリのはしくれと考えられていたのである。
実相寺昭雄監督は、ウルトラでも日本赤軍シンパの脚本家・佐々木守と組むことも多く、スタンス的にはリベラルの人だった。
一方で、ジャーナリズムの社会主義幻想は根強く、その影響で北朝鮮を、彼らのプロパガンダ通りに「地上の楽園」と信じ込む者も少なくなかった。1973年、岩波書房の「世界」誌に『韓国からの通信』が連載開始されるとその傾向はより顕著となる。韓国は朴正煕それに続く全斗煥の軍事政権の悪政により、民主化運動家は苛烈な弾圧を受けているといった内容の「報告」が毎号掲載され、いきおいその論調は親北に読者を誘導するものであった。同連載のファンだった筆者の友人は87年の北朝鮮工作員による大韓航空機爆破事件を韓国の自作自演であると言ってはばからなかったものだ。それほどに、韓国という国は、リベラルから信用(?)がなかったのである。
 大韓航空機事件と同じ87年、偽造パスポート容疑で逮捕された日本赤軍・丸岡修の暗号メモには盧泰愚大統領暗殺計画を示唆する記載があったという。もしこれが実行され成功していたら、日韓関係に決定的な亀裂が入っていた。のちの韓流ブームもKポップもなかったはずだ。今でこそ、ネット右翼と呼ばれる諸君が気安く「日韓断交」を叫ぶが、極左連中は30年も前にそれを実行に移そうとしていたことになる。この計画の背後に、どこの国があったか、想像するまでもないだろう。

軍事独裁政権は確かに終わった。しかし、その後は反日全体主義があの国を覆っている。

左翼の相次ぐ改宗

 そういったリベラルの北朝鮮観、韓国観に変化が訪れるのはやはり、ソ連邦崩壊によって東側の情報が入ってくるようになってからである。『韓国からの通信』の執筆者、TK生こと池明観も2003年に訪朝、北朝鮮の実態を知り転向を余儀なくされている。
 だが、それだけでは、現在の左派勢力による異様な韓国推しを説明できない。まるで、彼らは、韓国の言い分はすべてごもっともという感じで、慰安婦強制連行や徴用工強制労働を否定する者は歴史修正主義者、レイシスト呼ばわりである。かつての左翼の仇敵・韓国はどこへ行ったのだろうか。
どちらかといえば、左翼の韓国接近は、彼らの信仰の問題からくるものだと思う。いうまでもなく戦後左翼の最初の守り本尊は旧ソ連であった。しかし、スターリンの血の粛清が明らかになるとさすがに具合が悪くなり、中華人民共和国へと宗旨替えを始める。その中共も文革の実態がバレ、天安門事件がトドメとなって、多くの改宗者を出し、彼らは次の拠り所を朝鮮民主主義人民共和国に求めた。社会党系の学者など熱心な信者ぶりで、先述の大韓航空機事件はもちろん、邦人拉致に関しても顔を赤くして否定してみせたものだ。大韓航空機事件は南(=南朝鮮。誇り高き?左翼は「大韓民国」という国号さえ認めようとしなかった)の自作自演、邦人拉致はチョソンを貶めるためのデマ、というのである。
 しかし、そんな熱烈な片思いも2002年の小泉訪朝で金正日が日本人拉致を認めたことで、無残にもフラれる結果となるわけだ。そして、最後の宗旨替えとして、反日を国是とするという一点でのみ、韓国に通じたというのが僕の見方である。降ってわいたような慰安婦問題も彼らの追い風になった。91年、金学順が元慰安婦として名乗り出たときは、単なる賃金不払い問題だった。いつの間にかこの問題は、人権問題、歴史問題、差別問題へと、あたかも転がした雪玉のように巨大化していった。転がしたのは日本の左翼たちである。
 その韓国も今やさまざまな局面で馬脚を現し始めている。うつろう左翼は次にどこへ行くのだろうか。

ドラマ『私が愛したウルトラセブン』。セブン中期から参加した脚本家の市川森一が当時を回想した青春群像だが、エピソードの多くはフィクションである。時代背景からか、べ平連が絡んでくるのも面白い。そしてあの名画『カサブランカ』のオマージュにもなっている。

初出・『表現者クライテリオン』2023年1月号(22年12月発売) コラム「東京ブレンバスター」3 一部加筆

まだ気が早い気もするけど、次の号の入稿(2月発売)も終わったからいいかな。3月号では大正10年に行われた日本初の異種格闘技戦について書いています。

(追記)『円盤が来た』のペロリンガ星人人間体の少年を演じたのは、70年代特撮ドラマではおなじみの高野浩幸氏。高野氏といえば、『超人バロム1』の白鳥健太郎役がまず思い浮かぶが、高野氏の魅力が光るのは、健太郎のような優等生的な少年役よりも、このペロリンガ人間体や『スペクトルマン』第42話43話で担任の先生を怪獣にしてしまう秀才少年といった、いるだけでどこか大人をハッとさせてしまうアンファン・テリブル(恐るべき子供)的役柄ではないかと思う。寺山修司監督のATG映画『田園に死す』(74)の学生服に白塗りの少年は、まさにその延長線上にある。

寺山のシュールな映像の中にも、そのまま存在してしまう。
『田園に死す』より。隣家の人妻(八千草薫)と駆け落ちしようとするが、結局、新高恵子に強チンされてしまう。

 勝新太郎が大映時代、三島由紀夫の『午後の曳航』の映画化を熱望していたという話はあまり知られていない。後年、勝プロで、勅使河原宏監督を呼び安倍公房の不条理劇『燃えつきた地図』を映画化した、この希代の役者バカはまたかなりの読書家だったのかもしれない。
 勝新の度重なる要望に鈴木晰成(あきなり)大映京都撮影所長は「よし、”ごごのえいこう”って漢字で書けたら、企画を上にもってってやる」と応えたという。この話を聞いて三島は大笑いしたそうな。
 ご存じかとも思うが、小説『午後の曳航』は、少年が母親の情事を覗く場面で始まる。鈴木所長は、三島に「母親の閨を覗いて汚らしく見えない少年なんて本当にいるんですか」と聞いたところ、三島はこう言った。
「日本にはいないよ。でもギリシャにはいるんだ。イタリアにはいるんだ」。
 もし三島由紀夫がもう少し長生きして、高野浩幸氏と出会っていたらこう言っていたかもしれない。
「日本にもいた」と。
 高野浩幸氏の『午後の曳航』を僕も観てみたかった。

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