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わが青春、自販機エロ本の世界①

(はじめに)本稿は、東京スポーツ紙の依頼によって隔週12回にわたって連載したコラムである。変名になっているのは、デスクからの要請で、僕はあくまで但馬名義にこだわったのだが、社会面でコメンテーターを務めている関係上、読者の混乱を避ける意味合いもあったのだろう。若杉大という名前も僕の第2ペンネームとして長く使っていたもので、Too Young To Dieのもじり。もはやToo Youngでなくなってしまったが、これもまたお気に入りの名前である。


 自動販売機エロ本といえば、ピンク映画、ノーパン喫茶と並んで、昭和男のノスタルジーとヘソ下をくすぐらずにいられない単語だろう。
 とにかく、自販機でエロ本が買えるというのが画期的だった。機械から出てくるまで中身を確認できないという一種のトバク性(?)も魅力のひとつだったと思う。
 さて、このエロ本自販機、そのルーツが、おつまみ珍味の販売機だったということはあまり知られていない。珍味会社の倒産で大量に余っていた販売機を見て、これに雑誌を入れて売ることを思いついた男がいる。売店のスタンド向けに雑誌を卸していた東京雑誌販売(東雑)という会社のN社長だ。N社長の思惑は当たりヒット。
当初、同社の自販機では、『少年マガジン』から『平凡パンチ』、あるいは『実話〇〇』といったエロ系三流誌まで雑多に売られていていたが、その中でもエロ本の売り上げが抜きんでたという。そこで、N社長の頭に、第2のひらめきが生まれたのである。「既成のエロ本がこれだけ売れるなら、自分たちでエロ本を作って自販機で売れば、丸もうけではないか」と。こうして東雑傘下の雑誌制作集団として誕生したのが、自販機本の代名詞ともなったアリス出版である。やや遅れて、エルシー企画、アップル社、土曜漫画、グリーン企画などのアングラ出版社が、自販機本業界に参入し一大ブームを作るのであった。
 よくみると、このムーヴは貸本マンガのそれとよく似ている。高度成長期、どこの町にもあった貸本屋、その主力商品はマンガ本だった。需要に押される形で、貸本専門の零細マンガ出版社が雨後の筍の如く登場、水木しげる、つげ義春といった才能を輩出し、劇画という新ジャンルもここから生まれた。自販機エロ本界もまた、奇人、変人、奇才、有名、無名さまざまな才能がすれ違い交差する異色の磁場をもつ業界だったのである。(次号へ)


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