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目からビーム!15 琉球独立派のお里が知れる~琉球新報と神武紀元

「命どぅ宝!琉球の自己決定権の会」なる市民団体による「琉球・沖縄にとって明治維新150年とは何か」というシンポジウムが去る7月22日、浦添市社会福祉センターで開かれたというニュースを同月23日付の琉球新報(ウェッブ版)で知った。
 登壇者である詩人で活動家の高良勉氏は、明治12年(1879年)の琉球処分について「国際法に違反している」と指摘し、全国的に明治150年が祝われていることを批判したという。また、「明治維新は内戦の中で成就したテロリズム、暴力革命だ。『処分』された琉球の立場からも、国際的に暴力革命が否定されている状況からも、明治150年を祝福することはできない」と語った。ほかにも、侵略、搾取、植民地支配というおどろおどろしい言葉が記事に並んでいる。
明治維新が決して無血でなしとげられたとはいわないが、現代の価値観でもって歴史を批判するのはこれまたナンセンスである。フランス革命にしろロシア革命にしろ、およそ革命と名のつくものは暴力なしに成立しない。そもそも明治政府がいつ沖縄を侵略し、植民地として搾取したというのだろう。要するにこれ、韓国の主張する日韓併合=悪論の焼き直しにすぎぬ。琉球独立派のお里が知れようというものだ。
もちろん、琉球処分が万事すんなりいったとも思えない。琉球の人たちにもさまざまな葛藤もあっただろう。その先に現在の沖縄があるのである。明治政府だって沖縄を同胞と思うからこそ殺された宮古島の漁民54人の仇を討つべく台湾出兵に乗り出したのだ。54人の仇討ちのために戦病死した兵は600人である。ほとんどがマラリア死だった。
明治31年(1893年)、創刊当時の琉球新報のコピーをもっている。当時はまだ裏表の二面刷りである。面白いは表面、つまり一面の日付が「明治三十一年」と元号表記なのだが、ひっくり返すと「神武紀元二千五百五十八年」となっていることだ。ここいらへんに明治の沖縄の人たちの祖国に対する思いを感じるのだが。
この旧琉球新報は昭和20年に廃刊、現在の同名新聞は戦後、名前を引き継いで創刊された実質別物の新聞ではあるが、結局名前だけ引き継いで、その精神は引き継がなかったようだ。

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