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暴露本の時代~ジャニーズから松田聖子まで

『光GENJIヘ』の衝撃

 英BBCが、ジャニー喜多川氏の“少年喰い”についてドキュメント番組を放送、それに伴って、被害者である元ジャニーズ・ジュニアたちの告発も相次ぎ、メディアは激震している。当のジャニーズ事務所も「第三者を通して事実を調査中」という型どおりのものながら慌てて声明を出すにいたったが、ジャニー氏の生前ではありえなかったことだ。近年の退所者の続出もふくめて、男性アイドル業界に絶対の存在として君臨したジャニーズ帝国の落日を感じさせた。
 ジャニー氏の性癖や少年喰いの噂は今に始まったことではなく、長く公然の秘密であり、週刊文春などがキャンペーン的に取り上げたこともあったが、地上波テレビやその系列の大手メディアは、これをタブー視し決して触れることはなかった。それほどにジャニーズ事務所の力は絶大だったのである。
 1988年、北公次著『光GENJIへ』(データハウス)という衝撃の暴露本が世に出たときも、東スポ以外のメディアは黙殺を決め込んだ。しかし、ネットのない時代、本の内容は口コミで広がり、結果的に公称80万部を超えるベストセラーになってしましった。
 この本の成功の秘密は、とにもかくいも著者とタイトルだろう。後年、ジャニーズ暴露本は数多く出版されているが、ほとんどは無名の元ジュニアの告白であるのに対し、本書の著者・北公次はフォーリーブスという、まさに一時代を築いたトップアイドルグループの中心メンバーだ。しかも表紙には、そのフォーリーブス時代のポートレイトがそのまま使われ、タイトルは当時ジャニーズ事務所の一番売りだった「光GENJI」の名を冠していた。フォーリーブスファン、GENJIファンだったらイヤでも目につくタイトルである。正直、これだけで充分、出版差し止め請求訴訟モノだが、しかし藪蛇を恐れたか事務所側は動かず、そのことがかえって、書かれている内容の真実性を印象付けてしまった感もある。破廉恥をもいとわないデータハウス商法の勝利といえた。

データーハウスは北公次の暴露本をシリーズ化、1月に一冊のペースでの発刊は、さながら「月刊北公次」の観があった。最後のほうは、単なる北のプロモーション本になってしまった。

データハウス商法

 中身もすさまじいものだった。北の生い立ちに始まって、ジャニー氏との出会い、合宿所での体験、デビュー、覚醒剤……むろん、生々しい行為の描写も。
部屋で一人寝ていると黙ってジャニーさんがもぐりこんでくる。そしていつものようにぬいぐるみを愛撫するようにおれのからだをまさぐってくる。》《ジャニーさんは勃起したおれのペニスを口に含み、音を立ててしゃぶっていく。微妙な舌と唇の動きでたちまちのうちにおれはジャニーさんの口の中に射精すると、そのままジャニーさんは飲み込んでいく。
 ちなみに、北公次の本名は松下公次。芸名の北は、喜多川のキタからつけられた。やはりゲイとして知られる古賀政男は愛弟子にアントニオ古賀を名乗らせている。通常、ホモの世界では養子縁組を事実上の「結婚」としているが、それが叶わない場合、このように、苗字、あるいはその一部を相手に与えて、愛の証しとするのだという。
『光GENJIへ』のヒットに気をよくした北&データハウスはすぐさま第二弾『光GENJIヘ再び』を発表。表紙写真は光GENJIメンバー7人組の白黒反転写真(ネガ焼き)という、前作に勝る挑発的なもの。
 この中で、北はジャニーによる浣腸プレイも暴露。さらに、『光GENJIヘ』はシリーズ化され全10冊を数えた。このシリーズの企画として、ジャニー氏に弄ばれポイ捨てされた元ジュニア・メンバーらが北の下に集結、新・光GENJI(のちにSHADOWと改名)なるユニットを結成している。メンバーの中心人物である平本淳也は、後年、関西の出版社・鹿砦社から、『ジャニーズのすべて-少年愛の館』をはじめとしたジャニーズ暴露本を上梓、BBCのインタビューにも登場している。

暴露本ブームの立役者・長門裕之

『光GENJIヘ』で、暴露本の雄としての地位を固めたデータハウスだが、その露払い役を担ったのが、同社の暴露本第一弾、1985年の『洋子へ 長門裕之 愛の落書集』である。
当時、長門裕之と南田洋子といえば、芸能界きってのおしどり夫婦などといわれ、本のタイトルだけ見ると、ベテラン俳優の愛妻日記といった内容を連想させられるが、夫婦にまつまるエピソードはわずか。200余ページのほとんどは、タレント仲間の悪口と自身の女性遍歴の告白に割かれていた。
 なんでも妻に操を立てていたのは、結婚前の2年間の同棲期間だけで、新婚旅行から帰ってきた瞬間に、“浮気の虫”を解禁。以後、100人以上と関係を結ぶが、その8割が有名女優で、結婚前日の女といたしたら処女だった、ということもあったという。
つい先日、2時間ものの単発ドラマを2本続けて見たら、コマした女が7人も出ていた。》と鼻息も荒い。
 登場する芸能人はほぼすべて実名で、たとえば、池内淳子に関しては「女房公認の恋人」といい、「ロケ先では下着まで洗ってくれる仲」だったという。
 また、先日亡くなった扇千景とは20歳のころ恋人関係にあったといい、その情交描写は特に生々しい。《久しぶりにくちびるを重ね激しくベッドに押し倒した。》《僕は彼女の中で激情した。》といった塩梅だ。大臣時代のおばあさんになった扇サンしか知らない読者にはピンとこないかもしれないが、若いころはちょっとマダム風の妖艶な美人女優で、この箇所を読んだときは僕もちょっとドキドキしたものである。そして、すべての行為を終え、身づくろいする彼女から、「結婚が決まっから、もう会えない」と別離を切り出されたといい、長門は、失恋のショックで、リストカット騒動を起こしている。
 扇サンの夫は関西歌舞伎の重鎮、坂田藤十郎(結婚当時は二世中村扇雀)だが、長門の告白が事実なら、二股交際の時期があったということになる。また、扇サン夫妻は、いわゆる“できちゃった婚”だったともいわれ、となれば、長門との最後の情事のとき、すでにお腹の中には長男、つまり、将来の人間国宝・四世中村鴈次郎が宿っていたという計算にならないか。
 その長門から「一人寝のできない女」と名指しされたのが、かつて彼のプロダクションに所属していた女優・紺野美沙子。《ギャラでもめて辞めてったんだけど。男性関係がルーズでずいぶん泣かされちゃったんだよね。ロケ先のホテルで相手役の俳優の部屋に泊り込んじゃって、とうとう朝まで帰ってこない。五木ひろし君ともできていたと思うね。

長門はこの本がきっかけで、池内淳子を始め芸能人仲間から総スカンを食らい、慌てて釈明会見を開いた。

舞台の袖でタレントに生理用品を挿入

 北や長門ほど一般の知名度は高くないが、上条英男の『くたばれ芸能界』(データハウス)(1990年)は、芸能界の垢をなめつくした男のハードコアな暴露本として記憶に残る。上条は、西城秀樹、吉沢京子、山東ルシア、ゴールデンハーフ、川島なおみなどを発掘した、名うてのスカウトマン&マネージャーである。そんな彼が書いた本だから面白くないわけがない。
 たとえば、今や中村雅俊の賢夫人として知られる元祖清純派アイドル、五十嵐じゅんは、もともとは髪を金髪に染めた新宿の不良少女で、そういう娘をどうやって、清純派に仕立て上げることこそマネージャーの腕の見せどころだったと上条は回想する。その五十嵐の、いわゆるニャンニャン写真(当時、まだその呼称はなかったが)が流出しそうになり、週刊誌の編集部に乗り込んで、「写真を公開するなら、あんたを道連れにして俺も死ぬ」と担当編集者を脅して掲載を阻止させたという話も壮絶だ。

表紙はリカちゃん人形。今だったらタカラからクレームがくる?

「本当に『何も知らない子』よりも、『何もかもやり尽くしたくらいの不良』の方がアイドルとして順応しやすい」という記述には、不思議なリアリティがある。おそらく、純粋無垢な子は、トップに昇りつめるまでに潰れてしまう、それが芸能界という魔窟なのだろう。
 上条がこの本を書くきっかけは、先発したダン池田の芸能暴露本『芸能界本日モ反省ノ色ナシ』(はまの出版)(1985年)への対抗意識からだという。同書は、ダンが、バンドマスターという立ち位置から目撃した芸能界の裏側――、アイドルの素顔、カネで動く音楽賞、性的喰い物にされるアイドルの卵(といいつつ、ダンもしっかり喰っていることを告白)――を日記形式で綴った本書は、70万部のベストセラーを記録している。

ダンはこの暴露本が仇となり、表舞台からホサれた。のちにその際の恨み節を綴った『芸能界踏んだり蹴ったり』を上梓。

 これに対して上条は、「ダンよ、バンドマンという視点だけで、芸能界のすべてを知っているかのような口ぶりはよせ」と反論している。わがままでなにかにつけてルーズな若いタレントとほぼ24時間生活を共にするマネージャーと現場でしか顔を合わすことのないバンドマンでは、付き合いの密度もそれに伴う苦労も違うということだろう。上条は、突然生理の始まったタレントのために、舞台の袖で、観客にわからないようにタンポンを挿入してやったこともあったという。タレントのためにあらゆる汚れ仕事を引き受ける、それがマネージャー業なのだ。

中森明菜の初体験の相手

 西城秀樹を発掘、大型アイドルに育てようと思った上条は、まず本人を連れてジャニー喜多川に挨拶に行く。当時、男性アイドルはジャニーズ、女性アイドルは上条という暗黙の棲み分けがあったのだ。ジャニー氏は広島から出てきたばかりの朴訥な少年ヒデキを気に入り、「ウチのコたちと(キャラが)被らないからいいよ」と言ったという。こういう仁義の切り方を間違えたために、沖田浩之や新田純一など、潰された男性アイドルも少なくない。潰し方は簡単だ。「〇〇を使うなら、ウチのタレントはオタクの局に出さないよ」の一言でいい。全盛期のジャニーズ事務所はそれだけの力があったのだ。特に新田はジャニー氏のオキニである近藤真彦に容姿が似ているばかりか、ジャニー氏のスカウトを蹴って他事務所からデビューしたという経緯もあって、憎さも百倍だったことだろう。もしジャニーズ事務所の隆盛があと10年続いていたら、東方神起やBTSといった韓国男性アイドルグループの台頭もなかったと断言できる。
 ちなみに、新田純一は中森明菜の初体験の相手だそうだ。上条が直接、明菜の口から打ち明けられた話として本の中で触れている。
初体験の相手である新田によく似たマッチを選んだのか。それとも当時、マッチには手は届かないので、マッチのイミテーションのような新田に捧げたのか。
 カニかまぼこや人造イクラではあるまいし、イミテーションあつかいされる新田も気の毒なものだが。
 余談ついでにいえば、上条本では、ヒデキに筆おろしの相手をゴールデンハーフの高村ルナと断言している。その後、ヒデキは「奈美悦子とやりました」と上条に素直に報告、「そんなことより憶えることがあるだろ」と叱責されてしまう。
 高山ルナはグループ解散後、ロマンポルノに進出、主演2作目は、彼女自身のセックス遍歴を描いた自伝的作品で、その名も『ルナの告白 私に群がった男たち』(1976年)。これは、いってみれば、暴露本ならぬ暴露ムービー。この映画には、「上条英男」(演・湯浅務)も実名で登場する。当然、上条も了承ずみだったことだろう。

女優の暴露本第一号とは

 暴露本というジャンルの歴史は意外と古い。加藤康一著『スキャンダルの昭和史』(話の特集)によると、1956年(昭和31年)に、“書きますわよ”ブームなるものが起こったという。実質的な最初の暴露本ブームである。
 嚆矢となったのは、森赫子(かくこ)という新派出身の映画女優が書いた『女優』(実業之日本社)という本で、新派の舞台裏や彼女にいい寄った男たちの話などが赤裸々に記されていた。この『女優』は、翌年、新藤兼人監督・乙羽信子主演で映画化もされているが、この二人、公然たる不倫カップルだったというのも宣伝に一役買った形だ。

『女優』。どちらかというと、ひとりの女優の一代記といったほうがいいかもしれない、

 続いて、河上敬子の『女だけの部屋』(四季社)が出版され、『女優』との相乗効果でブームを定着させた。河上は東京女子医大卒後、慶応大学医学部在学中に日活入りし、女医との二足わらじという異色の女優として人気があった
《“スーパーレディ”と呼ばれた変わり種女優のこのドキュメンタリーは――足の裏の性感――処女の価値学――砂利をはじきとばす小便……といった目次が並ぶセンセイショナルな一冊で、撮影所内部の男女の会話や、主役をちらつかせて口説く監督やら、幹部たちの話など出るわ出るわ。》(加藤康一『スキャンダルの昭和史』)。

『女だけの部屋』。撮影所内での恋愛や心中事件、キャスティングにからむ肉体問題を赤裸々に綴られているという。

 とはいえ、森赫子にしても河上敬子しても、現在ではその名を知る人もほとんどおるまい。この第一次ブームの担い手の中で一番のビッグネームといえば、入江たか子につきる。
 入江は本名・東坊城英子(ひがしぼうじょうひでこ)。華族(子爵)の出身である。先祖をたどると菅原道真に繋がるという。サイレント時代から活躍する気品ある美人女優で、戦後は一時不遇を囲い、化け猫映画の主演に甘んずるが、セミリタイア後も黒澤明や市川崑、大林宜彦といった巨匠から三顧の礼で迎えられ、存在感ある演技を見せている。
その彼女が記した半生記『映画女優』(学風書院)は、その風格からして、暴露本のカテゴリーに入れるのも失礼な感があるが、やはりというか内容はかなりショッキングなものだった。実兄である東坊城恭長(やすなが)(俳優・映画監督)との近親相姦を思わせる異様な関係、片岡千恵蔵との純愛、有名監督や俳優たちの口説きや強姦未遂、女手ひとりで育てた愛娘(のちの女優・入江若葉)の薬代のために生涯一度だけ意にそまぬ男と一夜を共にしたこと、などが生々しく記されていた。
 同年は、暴露本に限らず、高峰秀子や中村メイコなど女優が隠れた文才を発揮しており、いわゆるタレント本というジャンルが認知された年でもあった。

『女優』。「悲惨!正規出来ぬ佳人薄倖の血涙記!」という帯の惹句も強烈。

ジェフ、聖子とのキメセクを告白

 お話しを戻そう。『洋子へ』から始まるブームは、90年代にも続く。この時期の暴露本シーンといえば、主役は、なんといっても松田聖子だった。かねてより噂のあった彼女の青い目の愛人ジェフ君こと、ジェフ・ニコルスによる『真実の愛』(ラインブックス)(1994年)が満を持して刊行されたのである。
 聖子との出会いから別れまでを綴ったものだが、抱擁やキス写真などもあり、むしろそちらのインパクトが強かった記憶がある。現在、アマゾンレビューを読むと、既婚者と告げられず聖子と付き合い、新しい情人アラン・リードの登場でポイ捨てされたジェフに同情的な投稿も多いのはちょっと意外でもあった。

真実の愛といいながら、日本のワイドショーのインタビューでは、「聖子は幼児体形でぜんぜんセクシーでない」とか好き放題なことを言っていた。


真実の愛』のヒットに気をよくしたジェフは同年、“暴露本の西の雄”鹿砦社(東はむろんデータハウス)から『心からの愛』、『壊れた愛』の2冊の聖子がらみの暴露本を矢継ぎ早に上梓する。
 後者では、聖子からの愛のファクスを公開。聖子特有の丸っこい書体で書かれた英語の文は《あなたに会えなくて寂しい。本当に愛している。あなたに狂っているの。》《今、きっとあなた、シャワーを浴びているんでしょう。きっと今のあなた、セクシーね。私、我慢できないわ。》と読めた。《そして……これは質問よ。これは何? あなたは知っているわよね》のファックスにはパンティのイラストが添えられているのが意味深である。さらには、MDMA(エクスタシー)を使った、いわゆるキメセク告白は大きな話題になり、セックスドラッグ・エクスタシーの名を一般に広める結果となった。
 暴露本出版をステップに、日本での芸能活動を目論んでいたジェフもその夢叶わず寂しく帰国する。しかし、ジェフ本のもたらした余波は大きく、同じ鹿砦社からは、聖子の関係者の証言を集めたという『松田聖子 最後の真実』(1994年)、冨田貴子付き人 松田聖子との456日』(1995年)が出版されている。後者は、「至近距離から見た、神田家、ジェフ、アラン・リード騒動の一部始終」がウリ。もっとも、この人が付き人をやっていたのは、表題どおり1年3カ月足らずだったのだが。それにしても、あの大スターの付き人の給与が手取り9万円というのはちょっと驚き。

聖子にセックス強要された?

 この流れに、アラン・リードも乗り遅れまいと思ったのか、本名のChristopher Conte
名義で、『Backstage of Seiko Matsuda』(いれぶん出版)(1997年)を世に送り出した。「僕は脅迫され、セックスを強要され、作品を盗まれた。僕は聖子の玩具だった」という惹句もすごい。一方、逆セクハラとは、さすが聖子という声もあった。アランは、バックダンサーとしての待遇(ギャラ)にも不満があったようで、これが暴露本を書かせた主動機かもしれない。

表紙がすべて英字というのは、暴露本に限らず珍しい。

 他に、黒人バックダンサーがによるセックス暴露(『ガイジン好きの日本人女は多いが、セイコのようなミックス(白黒両刀)は珍しい』『マドンナにしたことと同じことして、と言われたからそうしてやった』等)が週刊誌に載ったり、研究本と称する聖子本が複数出たり、さながら90年代後半の出版業界は、ちょっとした“聖子特需”(ジェフ特需?)に沸いた。
 聖子のさらにすごいところは、これらの大スキャンダルにまみれながらも、人気に陰りが出るところか、「聖子流生き方」などと賞賛され、さらにファンを拡大させていったことだ。まさに彼女にとって男は芸の肥しなのであった。
 鹿砦社の松岡利康社長は「松田聖子は暴露本における最後の金脈だった」と語っている。「彼女ほど公私ともに話題性のある芸能人ってなかなかいない」とも。
 暴露本のターゲットにふさわしい芸能人の条件は、人気、ネームバリュー、メディアの露出度に加えて、大衆の覗き見趣味を刺激してやまない、ある種の神秘性である。ツイッターやFBで芸能人と気軽につながる現代では、その神秘性を担保するのはむずかしい。
「会いにいけるアイドル」をコンセプトにしたAKBに暴露本は似合わない?

(初出)「昭和39年の俺たち」2023年7月号


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