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目からビーム!115 「きれいな核」論は死んだか

 麻生太郎副総理が今月4日、千葉県市川市で街頭演説し、ロシアによるウクライナ侵攻を念頭に、「強い子はいじめられない。弱い子はいじめられる」とし、「国も同じ。強そうな国には仕掛けてこない。弱そうな国がやられる」と述べ、安全保障関連法などの重要性について語った。
 さっそくこれに噛みついたのは共産党の志位委員長だ。自身のツイッターで、(麻生発言は)「子どもに対するいじめを肯定し、助長しかねない発言」で、「『弱そうな国がやられる』と、攻撃される側に責任があるかのような言辞を弄し軍事大国をめざす」ものだとした。
 麻生氏は別に間違ったことはいっていないし、また、いじめを肯定もしていない。いじめは、いじめる方が百パーセント悪い。しかし、そんな道理を説いたところで、いじめっ子がいじめをやめるという保証はない。国と国の関係も同じだ。弱い子がいじめを回避するには、2つの方法が思いつく。ひとつは、いじめっ子よりも強い「番長」と親しくなって、守ってもらうことだ。日米安保がこれである。しかし、安保はしょせん保険でしかない。いざというとき、本当に番長が動いてくれるかはわからないからだ。ならば、いじめられっ子自身が強くなって、いじめっ子の標的にならないようにするしかない。これが2つ目の方法だ。2つ揃えば完璧である。
 さて、志位委員長だが、ご自分の党の過去の出来事についてはあまり、お詳しくはないらしい。日本共産党は1966年の第10回党大会決定で、「社会主義国の核実験は帝国主義からの侵略防止のためのものであって支持すべき」と述べているのである。いわゆる「社会主義の核は(自衛のための)きれいな核」論だ。いじめっ子のアメリカから身を守るために社会主義国(ここでは旧ソ連を想定している)が核をもつべきだといったのだ。
 今や、そのソ連の後継国であるロシアが核をちらつかせてウクライナを、世界を、恫喝している。むろん、日本もその標的のひとつである。さらにいえば、日本は、中国や北朝鮮にも囲まれている。これが現実なのだ。
 今こそ志位委員長には、「日本は自衛のためのきれいな核を持つべし」といってもらいたいものである。

(初出)八重山日報

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