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目からビーム!43 トウモロコシのブルース

 米国からのデンタコーンの前倒し輸入について、例によって反安倍界隈が騒がしい。そのひとつひとつに応えるほど紙面に余裕がないので、ひとつだけ言っておくと、このコーンは飼料(牛豚の餌)用であって人間の食用ではないということである。乾燥もしているし保存も効く。
 そもそもアメリカが余剰穀物を日本に輸出するのは今日に始まったことではない。GHQの指導で始まった学校給食も、結局は余剰小麦を日本に押し付け、行く行くは米食からパン食へ日本人の食生活を改造する目算があったという。それはさておき、この給食制度により欠食児童が激減したのも事実であろう。デルタコーンの大量放出も米占領期に始まった。豚の餌か? いや日本人向けの食用援助物資として、である。
当時中学生だった野坂昭如もこの飼料用トウモロコシを食べて命をつないだ一人だそうだ。後年、アメリカの養豚農家で肥料トウモロコシと再会したとき、野坂は思わずなつかしいものがこみあげてきたと、あるテレビ番組で語っていた。
「僕は子供のころ、これ(豚の餌)を食べて育ったんだといっても、会ったアメリカ人は誰も信じてくれなかった」
 それでも、野坂はアメリカを恨む気にはならなかった。この豚の餌があったからこそ、自分は飢え死にせずにすんだのだからと。
 やはり終戦直後の東京の闇市では米軍払い下げの残飯で作った一杯10円のシチューが飛ぶように売れたという。シチューの中には噛み捨てたガムや煙草の吸殻、ひどいときにはコンドームが混じっていることもあったが、とにかく飢えをしのぐのに必死で、誰も文句をいう者はいなかったという。
 翻って、お隣の国は、日本との併合時代を「人類史上類例のない過酷な植民地支配」といってはばからない。日本の米軍占領下は約7年、日韓併合は35年である。果たして日本が、総督府が、その35年の中で、当時日本人だった半島の人々に豚の餌や残飯を食わせたことがあったであろうか、改めて問いただしたい気持ちでいっぱいである。
 

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