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僕が語っておきたい下北沢①~かたばみと銀砂

僕は22歳から40歳までの20年近くを東京の下北沢で過ごした。時期的にいうと、80年代の初頭から90年代後半か。この街でいろんなやつと知り合い、夢を語り合い、酒を飲みかわし、惰眠を貪った。何人かの女との出会いもあった。平成という新元号もこの街で迎えた。
今も昔も下北沢は「若者の街」である。ただ、昔の「若者」は年寄りになり、その年寄りが「若者」だったころには生まれてもいなかった子たちが新しい「若者」としてこの街の主役になっていく。やがてその「若者」も……。それでいいのだ。願わくば、そゆやって、永遠に「若者の街」が続いてほしい。
ただ、自慢めいたことをいえば、僕が過ごした80~90年代の下北沢が一番下北沢らしくてエキサイティングだったと思う。街も生き物だから、変貌はいたしかたがないけれど、駅前など区画整理ですっきりされて小じゃれた感じになってしまい、POPさと怪しさ、カルチャーと生活臭が混然となった、あの猥雑な雰囲気が消えてしまったようで、どこか寂しい。
ならば、僕の記憶が鮮明なうちに、下北沢の今昔を書き残しておきたいと思った。同時代のシモキタを知る人(どこかですれ違っているかもしれないね)にはなつかしさを共有していただけたら幸いだし、今の「若者」には、おじさんの昔話だと思って読んでもらえばいい。キミらがおじさんになったときは、キミの「下北沢」をぜひ書き記し伝えてほしいと思う。たぶんそのときは、僕はもう地上にはいないだろうけど。

ということで、始めます。

やはり、なんといっても下北沢の街の一番大きな変貌は、あの駅前の、ミニアメ横ともいえる、戦後の闇市を引きずるような駅前のガード下のマーケットだろう。夜になると名物のおでん屋「せつ子」の屋台が立つ。さんざハシゴ酒したあと、ここにたどり着き、朝まで飲むのが常みだった。朝7時までやっている店で、通勤電車のベルを聞きながら飲むというどこか背徳的な(?)楽しみがあった。まあ、駅前マーケットに関しては、このシリーズで何度も出てくると思う。

ガード下の駅前マーケット。南口と北口を結ぶ通り道でもあった。

区画整理と新駅舎完成で、ワリを食ったのはマーケットだけではない。駅前にあるラブホテルだろう。今までなら、駅前のちょっと小道を入った場所にあった印象だったが、新駅舎のおかげで入口は改札のほぼ真ん前になってしまった。これでは、カップルも入りずらい。泊まって朝出てきたところを通勤族にバッチリ目撃されてしまう。

見た目はシックな建物。
これじゃあ入りにくいよな。

実は、僕もこのホテルは何度かお世話になったことがあります。エレベーターに本物のペイネの絵が飾ってあったのを憶えている。
こんなファッショナブルなラブホテルに生まれ変わる以前は、「かたばみ荘」という、いわゆる連れ込み旅館だった。この「かたばみ」も一度だけ利用した。部屋に入ると、オバちゃんがポットに入ったお茶とおかきをもってくるような、当時としても遺物といっていい昭和の旅荘である。オバちゃんにモーニングコールを頼むと、「あいよ」とばかりに、目ざまし時計を渡されたのには驚いた。
下北沢とゆかりの深い作家のひとり、森茉莉のエッセイに「かたばみ」の名が出てくる。

鮨屋と鮨屋の向いの焼鳥屋(この店は親友の萩原葉子がつねに「寄ろうか」、或いは「買っていこうか」と言い、「やめとこう」と呟くところの店で、六時ごろから世田谷区北沢周辺に住む父ちゃん、兄ちゃん、サラリーマンの諸兄で満員となる、冬になると薄赤い誘惑的な店である)との間に、どこへ行くのかわからない細い道があり(どこへ行くのか今もってわからないが、そこをまがると「かたばみ荘」という、枕が二つずつある寝台の部屋が幾つかあるメゾン・ドゥ・ゲテがある、ということは、この間おかしな偶然の機会から知ったのであるが)、焼鳥屋と対角の団子屋と石地蔵の祠のある角とで出来た、よじれたような四つ角が、下北沢商店街の終りであって、そこでマリアの帰り道の風景が一区切りになっているためらしい。
(森茉莉『貧乏サラヴァン』)

( )を多用し、その( )内の説明がやたら長いのはこの人の文章の特徴だ。「どこへ行くのかわからない細い道.」、「よじれたような四つ角」とはよくも言ったりで、「石地蔵の祠」もどこだがすぐにピンとくる。この石地蔵と道を隔てたはす向かいに、最近まで「ぜんば」という駄菓子屋とも雑貨屋ともつかぬ不思議な店があった。ここの店主は膳場貴子アナの親戚らしい。その並びにある「餃子の王将」は昔、銭湯で、その上のアパートには昔、アルフィーが住んでいた。
「メゾン・ドゥ・ゲテ」とはなんだろうか。仏語辞書でguetterと引くと、「待ち伏せる/待ちわびる」とある。maison de guettéで、「待合」という意味の森茉莉の造語だろうか。まあ、あまり知ったかぶりして恥をかくのもあれなので、わかる人、そっと教えてください。

僕がシモキタに住み始めたころ、「どこへ行くのかわからない細い道」は夜ともなるとまた薄暗かった。その暗がりの中に、「銀砂」というピンク色の看板だけが妖しく光っていた。この「銀砂」、昼間開店前のドアが開いているのをチラ見したところ、カウンターと小さなテーブルがひとつふたつある、一見スナック風だが、奥の方に赤い厚手のベルベッドのカーテンが仕切られていて、奥にも何か部屋がありそうだった。
夕方にもなると、「銀砂」のホステスさんたちが通勤帰りを狙って改札付近で客を引く。その姿は、街灯の下に集まる毒々しい蛾のようだった。僕も一度キャッチされかかったことがあった。
「お兄さん、ちょっと飲んでいかない」
「いや、結構ですので…」
「フフッ、ならさあ、こっちにするぅ?」
 とお姐さんが目の前に突き出してきたのは、握った拳の人差し指と中指の間から親指を出す万国共通のあのサインである。
逃げるようにその場を立ち去ったものだ。今思うと僕もウブだった。
おそらく、客を店に連れ込み、交渉次第ではカーテンの奥にある部屋でコトをいたすのだろう。それも面倒だという客のために「かたばみ」があるのかもしれない。
今の下北沢からはおそらく想像もできない、40年前の光景である。

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