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最後にもう一度確認しよう。俺たちはコンドルのジョーなのだ



コンドルのジョーは「ナンバー2」の理想形

エースのジョー、矢吹ジョー、タイガージョー、それにコンドルのジョー。
ジョーは「孤高の男」の称号。ナンバー2や好敵手というポジションが憎いくらいに似合う男の名前。主人公が陽ならば、ジョーは陰の魅力である。この中では矢吹ジョーが唯一の主役キャラだが、力石徹という絶対的な存在(力石の死後はその幻影)を追う反体制的アンチヒーローという点では、彼もまたこの系譜に入れて充分差し支えないだろう。よど号グループのリーダー田宮高磨が残した謎の言葉「最後にもう一度確認しよう。俺たちはあしたのジョーなのだ」にそれは集約される。
そして、これらジョーにはもうひとつ共通点がある。「死」という結末である。
 さて本稿では、『科学忍者隊ガッチャマン』のG2号ことコンドルのジョーについて触れたいと思う。リアルタイム世代にとって、とにかくジョーのカッコよさは半端なかった。チームのサブリーダーでありながら、好戦的な性格ゆえにリーダーのガッチャマンともたびたび衝突し、単独行動も辞さないあたりは、まさに理想の「ナンバー2」。両親が敵組織ギャラクターの元科学者で脱走中に彼の目の前で殺されるという、壮絶な過去を背負っているせいか、ギャラクターに対する憎しみはメンバーの中でも際立っていて、ときに私怨が先だつこともあった。
 主人公のガッチャマンの白に対して、黒と小豆色(?)を基調としたダークなコスチュームがまたジョーの性格設定を反映していたように思う。ちなみに、タツノコプロでは、「白」は伝統的にヒーローの色だという。何ものにも汚されることのない絶対の白=正義、これは創始者である天才・吉田竜夫の美意識からくる理念でもあった。そういれば、マッハ号の車体もテッカマンのボディもヤッターマンの衣裳もキャシャーンのコスチュームも白である。
ガッチャマンの声を担当したのは、『マッハGOGOGO』の主人公・三船剛以来、これまた吉田竜夫のお気に入りの森功至。『エースをねらえ!』(東京ムービー)の藤堂、『はいからさんが通る』(日本アニメーション)の少尉など、さわやかな美形二枚目キャラを得意とした声優だ。
 つまり、ガッチャマン=大鷲の健は、タツノコ正統ヒーローの集大成でもあり、ある意味、同プロ正統派ヒーローの宿命を負わされたキャラともいえた。汚れることが許されない存在なのである。ガッチャマンが正統派ヒーローとして優等生に徹すれば徹するほど、その陰影としてのジョーの存在が際立つというのも当然のことだろう。

名エピソードの誉れ高い「南部博士暗殺計画」

 ジョー・ファンには、忘れがたいエピソードが、第31話「南部博士暗殺計画」である。
 南部博士をギャラクターの女暗殺団のバラ爆弾から間一髪救ったジョーだったが、そんな彼の脳裏に忌まわしい記憶がよみがえる。実はジョーの両親を殺したのも同じ装束の女暗殺団だったのだ。ギャラクターへの復讐だけに凝り固まるジョーは、仲間とも対立してしまう。
むしゃくしゃした気分を晴らすようにサーキット場で車を飛ばすジョー。彼はふとしたきっかけである少女と知り合い心をかよわす。同じサーキット場での再会を約す二人。
南部博士を襲った女暗殺団のメンバーとふたたび相まみえたジョーは、彼女の投げるバラ爆弾よりも一瞬早く羽手裏剣をその胸に突き立てる。「なぜ、ギャラクターの子はギャラクターから逃れられないの?」。そうつぶやき、爆死する女暗殺者。彼女こそは、ジョーがサーキット場で出会った少女だったのだ。そうとは知らず、約束のサーキット場で少女を待ちわびるジョーの横顔がなんとも切ない。
少女の最期のセリフは、彼女がジョーの両親を殺した女暗殺者の娘だったかもしれないことを暗示している。そして、ジョーもまた「ギャラクターの子」なのであった。さまざまな余韻を残して、サーキット場をあとにするジョーのショットで物語は終わる。
 子供番組の域を超えた、こういったハードなストーリーの主役には優等生のガッチャマンでは荷が重かろう。まさにジョーのためのエピソード(脚本・永田俊夫/演出・鳥海永行)だった。当時のタツノコスタッフ、とりわけ鳥海永行のジョーに対するこだわりはひとしおだったという。

コンドルのジョーからアニソン歌手へ

 そしてシリーズも終盤。かつての被弾でジョーの頭に破片が残っていることが発覚(第98、99話)し、これを機にジョーの余命を巡るサイドストーリーが本筋に絡み合っていく。それまで散発的にジョー主体のエピソードが見られたが、ここからは完全にジョーが番組の主人公にとって代わったといっていい。第103話「死を賭けたG-2号」で死を覚悟したジョーは単身、ギャラクター本部に潜入、そして衝撃の最終話(第105話)を迎えるのである(ネタバレ回避)。
 現在でも昭和世代のアニメ・ファンの間では、コンドルのジョーの人気は主役ガッチャマンと二分、いやそれを上回るものがある。いま記したような終盤の展開に関して、ガッチャマン役の森功至がアフレコの現場で「主役は、俺なんだぞ」とこぼし、ジョー役の佐々木功(現ささきいわお)への嫉妬の念を隠さなかったという逸話にも、当時のジョー人気の高さを知ることができる。
 佐々木はロカビリー歌手出身の俳優。俳優転向後しばらくは、日本人離れした長身と端正な顔立ちが逆に仇となり端役に甘んじることが多かったが、アニメ初出演のジョー役が当たり役となり大ブレイク。『ガッチャマン』の打ち上げの席で所望されて主題歌を歌ったところ、その歌唱にほれこんだ吉田竜夫の勧めで『新造人間キャシャーン』の主題歌を担当することになった。その後、『宇宙戦艦ヤマト』の主題歌(OP、ED)で、アニソン歌手としての地位を確立、現在ではアニソン四天王の一人として、海外にも多くのファンがいることは周知のとおり。
また、1981年には声優・女優の上田みゆきと子連れ同士で再婚、話題となるが、そもそものなれそめは『ガッチャマンⅡ』での共演だったという。
コンドルのジョーという稀代のキャラクターは、佐々木功という一人の男の人生まで変えてしまったのである。

『ガッチャマンⅡ』で再始動

 さて、その『ガッチャマンⅡ』であるが、『ガッチャマン』放送終了から4年後の1979年に放映スタートしている。当時、テレビシリーズを再編集した劇場版『宇宙戦艦ヤマト』(1977年)が火付け役となり、一大アニメブームのただ中にあった。ポストヤマトの期待をこめて公開された劇場版『ガッチャマン』(1978年)もヒットし、『ガッチャマン』復活の気運も上がっていた。そんな中での『Ⅱ』の登場である。
僕自身は、そのラストが感動的だっただけに、(『ヤマト』もそうだが)『ガッチャマン』には正編で完結してほしかったと、これは今でも思っている。第一、正編でジョーは死んでいるのである。ジョーのいない『ガッチャマン』なんて考えられようもなかった。そのジョーが密かに改造手術を受けサイボーグとなって復活するという設定も実に安直な感じがしたものだ(企画段階では、実はジョーにはそっくりな弟がおり、その弟が新G2号として科学忍者隊に加入するという、これまた陳腐な案もあったようだ)。
実は、この『ガッチャマン』復活劇の背景には、1977年9月のタツノコプロ総帥・吉田竜夫の急逝という舞台裏の事情もあったという。カリスマ経営者であり、自社スタッフばかりか、テレビ局、代理店、スポンサー筋にまで人望を得ていた吉田の死は、各方面に衝撃を与えた。吉田なきあとタツノコプロはどうなる?と囁かれ始めていたとき、日曜6時の時間枠の継続の条件としてテレビ局(フジ)が提示した案が、安定した人気を誇っていた『ガッチャマン』の続編だったという。
その意味では、風雲告げるタツノコプロを救ったのは『ガッチャマンⅡ』といえるもの事実なのだろう。いや、コンドルのジョーなかりせば、『ガッチャマン』の伝説的な人気もなかったはずで、ここはやはり、コンドルのジョーがタツノコを救った、ということにしたい。僕としては。

初出「昭和39年の俺たち」(一水社)2021年7月号


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