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男は誰も人生のプロレスラー②~海坊主スカル・マーフィー ある怪奇派の死

 プロレスという宇宙のすごいところは、人の不幸まで飲み込んでしまい商売にしてしまうところである。ウラディック・コワルスキーもモントリオールでの有名な耳削ぎ事件以後、晴れてキラー・コワルスキーとして売り出し一流悪役となった。耳削ぎ自体はアクシデントであり、コワルスキーは友人ユーコン・エリックの耳を削いでしまったことに、心を痛め続けていたという。
 コワルスキーの場合は、対戦相手(エリック)の不幸を売り出しのチャンスとしたが、スカル・マーフィーの場合は、己の不幸を最大のセールスポイントとした。
 もともとボクシングとボディビルの素養があったが、彼がプロレス界にスカウトされた最大の要因はその風貌だった。幼少期にかかった猩紅熱がもとで、全身の毛が抜けてしまったというマーフィーの容姿は、まさにSkull(骸骨)そのもので、怪奇派のムード満点だったのである。日本でついたあだ名は”海坊主”だった。
 1962年の初来日の際、マーフィーを間近で見た菊池孝は「無毛というのはこれほど異様なものかと初めて知った」と記している。そう。顔だけ見ても、眉毛はむろんまつ毛も生えていないのだ。となれば、肝心な部分はどうなんだ、という疑問というか興味は当然沸く。これに関しても、たまたまトイレで一緒になった菊池が確認済みである。むろん、本人はこれを最大のコンプレックスとしており、人嫌いな一面もあったという。
 使う技はパンチとエルボーぐらいの、典型的な喧嘩屋レスラーだが、不思議と業界筋の評価も高く、主ににタッグで本領を発揮し、多くのタイトルを収得している。
 実は無毛とはいっても、たまに産毛程度の毛が生えてくることがあるらしい。わずかでも毛を発見したとき、マーフィーは憑かれたようにそれを剃り落とすばかりか、毛のない部分まで剃刀をあてがい気が付くと血だらけになっていることもあったという。毛が生えてしまえば、「怪奇派」、「海坊主」としての自分の商品価値が下がってしまうという不安からの強迫観念からだった。毛がなくて悩み、毛が生えても悩む、彼の混乱はいくばくか。
 1970年、スカル・マーフィーは精神錯乱の末に拳銃自殺をとげる。39 歳と3カ月の若さだった。

私生活では結婚もし一女に恵まれている。

 もっとも後年伝わったところによると、死因には諸説あり、睡眠薬の過剰摂取による事故死、あるいは(これが一番有力だが)単なる心臓麻痺ともいわれた。仮に拳銃自殺というショッキングな”死因”が作られたものだとして、それを、死という不幸まで伝説にして飲み込んでしまうプロレスビジネスのエゲつなさと取るか、あるいは、その最期を怪奇派らしく飾ってやろうとするプロモーターの親心と取るべきか…。諸兄はどう思われるだろう。


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