やりたいことをやる、ではダメなのか?Natz心のお漏らし#3
やりたいこと“だけ”をやる、というのとやりたいことをやる、というのは違うと思うんですよ。やりたいことをやる、という言葉にはべつにそれ以外はやらない、ということは含まれてないと思うんだよねぇ。
やりたいことに向かって
とか
生き生きすることに向かって
とか
まぁ、いろいろ言い方はあります。
私はコーチです。なんのコーチですか?なんてことを言われますと、
より、生き生きした人生を送るための
とか
自分らしい選択をするための
とか
その人になるべくフィットしそうな言葉で説明するんですけどね、
たまに
「やりたいことだけをやれるってことですか?」
なんて返しがあったりするんですよ。
いやさぁ、僕たちそこそこに生きてきてさぁ、やりたいこと“だけ”で生きてはいけないって、もう知ってるじゃないですか?
例えばですよ、歌が好きな人がいたとして。
歌だけ歌っていればいい、というわけには行かないわけですよ。
そりゃ、その歌だけ歌っていて幸せだ、という人は世の中にいます。
でもですね、捉え方ってあるじゃないですか。
歌だけ歌って幸せだ、と言っている人は、生活における、人生におけるフォーカスポイントでもいいましょうか。それが歌を歌っているその瞬間にとても濃度が濃いんだと思うんですよ。だから、歌を歌っていない時というのはあまりフォーカスされてなくって、人に伝える時にはその人にとっては当たり前になってしまっていて、全てが伝わらない、そんな感じですよ。
つまりですね。
歌だけ歌って幸せだ、と言っている人でも、歌で価値を提供してその対価をいただいて生活していたり、あるいはそれ以外のことで生活していたり、生きていたりするわけですよね。24時間365日歌い続けている人を私は見たことがありません。たぶん、死んでしまう。
そんなこと説明しなくたってわかりそうなもんですけど、言葉って怖くてですね。
やりたいこと“だけ”を考えてればいいってもんじゃない!
って目くじら立てるいい大人がいたとしますよ。
「いやいや、そんなことはわかっていますよ」
と。
それでも、やりたいこと、や生きがい
とかっていうものに向かって生きていくことができないか、
そこにもっと素直になって考えることができないか、行動することができないか。
そういうことを言いたいんですよ。
やりたいこと、生きていくために必要なこと、価値になること、できること
それが一人で完結する人もいるでしょうけれど、一人で完結できない人だっている。
だから、自分ができることはこれ、やりたいことはこれ、できないことはこれ。
そうやって、できる人同士が助け合うために、会社であったり、組織というものがあるんじゃなかったっけ?
僕たちは何に縛られていて、何から抜け出せないのか?
やりたいことをやる、ではダメなのか?
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?