見出し画像

「恐れというもの」Natz心のお漏らし#8

「相手の話を聞くじゃないですか、当然、相手もこちらも、この対話の中でなんらかの問題解決をしたいわけです。でも、それがかなわなかったことを考えると、より悪い方向になっちゃうことだってあるじゃないですか?それが怖いですよね」

今日、こんな相談を受けました。

そうだよね、怖いよね。怖いと思うし、私も怖い。

視点を変えてみたらどうなるだろう?

目の前の相手は、もがいている。苦しんでいる。いろんな状況があるかもしれないけど、思いっきり関わった結果、問題が解決しなかったとして、より悪い方向になることってあるだろうか?

ここでいう悪い方向とはナニカ?

関係性?

事態?

状況?

人によって、この悪くなる、ということはなんなのか?

悪くなることで、何がいやなのか?

何を恐れているのか?

ちなみに、私の場合は、「関係性」。

関わっている人との「関係性」が悪くなると、とても居心地が悪くなる。
コーチングを学んで、コーチングを受けて、自分自身でもだいぶ気が付いてきている。

私は「不和」が嫌なのだ。

「関係性」が悪化することで「不和」がもたらされることがとてもストレスなのだ。

しかし、これは全ての人にあてはまるわけではないし、「関係性」を悪化させてでも目的を優先する人や、違ったものを優先する人だっている。

それに良い悪いはないのだ。

何が「悪く」なって、その結果、何を「恐れているのか?」

これをものの10分そこらの体験で突き止められるとは思っていない。でも、なんらかの偶然から突き止めちゃうことも稀にある。大切なのは時間ではないのだ。

「恐れの正体」をつきとめ、そこから先に見える景色はどんなだろうね?

それがコーチングじゃないかな。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?