飲み会という場での自分 Natz心のお漏らし#7

会社の後輩、といっても違うチームの後輩ですが、同じ中途採用という意味での後輩がいます。

その後輩が1年越しに、本日とある案件の受注を決めた。

喜ばしい。

昨日は夜も眠れなかったそうだ。

急遽、その後輩の直属の先輩というか上司が、違う課である私にも声をかけてくれて、祝賀会が開催されました。

飲み会という場で、諸先輩がたと後輩と。

私は中間に属する立場になりました。

自分が主役でもないので、場の様子を伺っている自分がいました。

少し前なら主役を差し置いて私が主役になってしまうような展開もあったのだと思うのですが、今日はなんとなく、その場を引いてみていた自分がいます。

おそらく、その引いている自分がその場に及ぼしているインパクトも感じていました。少なくとも諸先輩がたのうち、感の良い先輩は、「あ、今日のNatz、なんか違う」というのを間違いなく感じていたでしょう。そう感じていた、ということを感じることができる自分でもあります。

自分が出せなかった、という面もあるのかもしれませんが、出そうともしていなかった、という感じもあります。そこに特段、ネガティブなものはないのですが、なんでしょうね、この微妙な感じ。

話をしている諸先輩がた、後輩も含め、その場を楽しんでいたようには思います。でも、一方でなんというかその場が流れていく、そんな感じもあるんですよね。

もしかしたら、みんな、自分を出したいのだけど、不完全燃焼。

そんな感じかもしれません。

大方、社内の人事の話や、あの人がどうだ、この人がどうなった。

そんな話が多かっ多様に思います。

肝心の自分、というものがもしかたしたらなかったのかもしれない。

「なんか、少しばかり、生きづらくないですか?」

それが言えなかったことが、今のこの感じを表しているのかもしれない。

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