掃除に手をつけるとやめられないのはなんでか?Natz心のお漏らし#4
ケルヒャーって知ってます?
えぇ、あの黄色いやつです。
すごいの、あれ。
すごく吹っ飛ばすの、あれ。
もともと、実家の車庫を手始めに、掃除をしようと思い至りまして。年月とともにやはり老いた両親がおりましてね、私にも。私が大学生の頃に今の実家が建ちましてね。このご時世に、2棟も家建てたんですからおやっさんはがんばったんだな、とも思います。片田舎の土建屋ですが、立派な中小企業と思います。
月日が経つのは早いですな。大学生の頃って言ってみましたけど、もう20年経っちゃう。その間に結婚なんてものもしましたな。
20年も経つと家の方もそれなりに汚れてきたりしますし、何より先の震災でうちの実家も壁にはヒビがはいり、そこかしこに稲妻のような亀裂が見受けられます。
両親が二人で住むには広すぎる家です。
庭もあり、玄関をあけると、え?中庭?という作りです。中庭部分は広くはないですが、ちょっとした箱庭みたいになっていましてね。
60そこらで建てた家ですから、まだメンテナンスなんかもやるつもりでおったのか、はたまた私が帰ってくることを期待していたのかはわかりませんが、20年も経っちゃうとやっぱり体にも変化がありますしね。
両親だけでは片付けができるような状況ではないんですね。
いろいろあった、20年。
どう言った風の吹き回しかはわからないんですけれどね。
あぁ、この車庫掃除しないとな。
って思ったんですよね。
それをまぁ、妻に言ってみたところ、
「私から掃除します、とは言えないじゃない」
あぁ!なるほど。そりゃそうか。って思いましたよ。
旦那の実家に住む義理の両親に向かって、嫁いだ嫁が
「掃除しますね」
とはなかなかに言いにくいわな。
日本語というか、日本人の感性というか、言葉の裏側を読む風習がありますわな。
「掃除してあげるよ」
というのが、
「お前ん家、きたねーから、この掃除ができる俺様が掃除して差し上げよう」
下手するとそんなニュアンスまで届いちゃったりする。
言葉に発した側はそんな裏など毛頭思ってもいないのに、不思議ですなぁ、言葉として空気に触れるとなんですか、化学反応でもするんですかな?
受け取る側がそんな風に受け取ってしまうことだってある。
あ”ー、日本語めんどくせぇ。
まぁね、そんなこともあってね。私から母に、掃除するよ、って言ったら喜びましてね。
喜んだついでに、どうせ掃除するなら車庫からやるけど、高圧洗浄機あった方がいいだろ?少し出資しろい。というような、半ば掃除するから金よこせ詐欺みたいな側面も感じなくはないですが、少しばかり出資してもらってね。買ったんですよ。
ケルヒャー K3 サイレントベランダ。
レビューサイトじゃないからね、レビューはしませんよ。
でね、先週届いて、とりあえず動作確認がてら自宅で試使用してみたんですよ。
すごいのね。ケルヒャー。吹っ飛ばすの。
風呂場の排水溝なんかにブシャーってやってごらんなさいよ。
ものっすごい量のヘドロみたいなのがでてきて、そりゃもう驚きましたよ。
でも、不思議ですなぁ。
掃除って手をつけ始めるとなかなかやめられない。
なにか、自分の心と繋がっている何かがあるんだろうな。
それを一生懸命、吹き飛ばしたいんだと。
掃除。心。スッキリ。なんか、そういうもの、ありません?
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