私の職歴その10 note商店街 スピカ商店
次は、派遣のお仕事です。
派遣会社に登録に行き、事務のお仕事があったので応募しました。
事務のお仕事から離れて、早ン十年⁈
最近まで事務職をしていた、30代の女性に決まってしまいました。
その連絡を電話で受けたのは、横山大観を見に行っていた美術館の入口!
意気消沈して、横山大観の『富士』を観ていると、大きな大きな富士山がクヨクヨするな!と、言っているようでした。(その絵は、とても大きかったのです)
そして、3日後
派遣会社から電話
「スピカさん、今日の午後会社説明に行けますか?」
決まっていた人が家族の病気で今日の会社説明に行けなくなったとの事。
先方との約束の日を派遣会社は、キャンセルする訳にはいかない為
わ、私が行く事に⁈
そんな訳で、会社に着くまで仕事の内容など聞いていませんでしたが、私が幼い頃から趣味みたいにしていた事がその会社のお仕事でした⁈
制服の会社の作業指示書を作る部署で
私の仕事は、パソコンの画面に出ているマーキングの間違いを訂正する仕事。
母が洋裁をしていたので、私は洋服作りに必要なパーツを見たり、自分で型紙を作ったりして
幼い頃から遊んでいました。
ま、まさか⁈
そのお仕事だなんて⁈
しかも当時は、まだ中国から自由に日本に来る事が出来なかったため、興味本意で日本に来ていた上海からの20代前半の若い子達が10人!!
その中の1人ととても親しくなり、お休みの日に飲茶などの手料理をご馳走になったり
他の子たちの手相を診たりと楽しい思い出を作らせていただきました。
お仕事は、入学式が近づくにつれ
夜8時まで残業がありハードでしたが
最初3ケ月の契約を、1年伸ばしていただきました。
派遣の仕事が終わった1年3ケ月目に母が入院しました。
応援いただけると嬉しいです(^^♪