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パンズラビリンスの考察

『ライフオブパイ』同様、読む前に映画を見てみてね!以下はネタバレを含みます。あらすじを書いていないので映画を見てからではないとわかりません。

『ライフオブパイ』の時はいろいろな人の考察を参考に調べてまとめるという感じでしたが、今回の『パンズラビリンス』は一人で考え始めた部分が大半です。「超」解釈なので温かい目でご覧下さい…。

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『パンズラビリンス』を見終わった後、複雑な気持ちになったのですが
①これは全て少女の妄想なのか。
②賢い少女はなぜぶどうを食べたのか。
③妖精の指示に従わずになぜ左の扉を開けたのか。
この三つが気になって気になって感想どころではない、考察しなくては!となってしまいました。(それがまさか超解釈になってしまうとは・・・)

まず①つ目の疑問なのですが、パンが現実なのか少女の妄想なのかという疑問の決定打となるシーンを思い返してみます。

パンが弟を要求するが少女は許否をしている最中に義父が現れます。ですが「義父にはパンが見えない」というクライマックスシーンですね。

これで全ては少女の妄想なんだ、と観客にわかるわけです。
このシーンがあることによってパンがいない=妄想だと証明されてしまいます。

・・・。

それじゃぁ切なすぎる・・・全てが少女の妄想で死んで幸せなんて・・・辛すぎる・・・と三日間ほどこのシーンを反芻してしまったんです。私は少女の妄想で終わらせたくないと・・・。

このシーンにいるのはパンと少女と義父です。義父さえいなければ・・・。義父さえ・・・。↓こいつ↓

最後まで少女の世界を邪魔しやがって!!!義父がパンを見えないと少女が空に向かって1人で話してることになるだろ!!(実際そうなのだが)どうしてお前はいつだって少女の世界に入ってくるんだよ~~~マンドラゴラも見つけるし、魔法のチョークも触るしさ!!!もう~~~~。

・・・あれ?なんかおかしくないか??????どうして義父ばっかり少女の世界に近づけるんだ???

あの現場にいたのはパンと少女と義父・・・ん?ん?まて、まてよ。

少女の精神世界に一番近いのはもしかして義父なのか???え???

パンが義父だとしたら義父にパンが見えなくても不思議ではないのでは???え???

義父=パン????

・・・・・・・・・!!

と、考えすぎた結果、義父はパンなのでは?という超解釈がでてきてしまいました。

違うかもしれないけど義父=パンだったらこの物語は連れ子と義父の親子の対話を暗喩したものなのでは?もしそうだとすると話が変わってくるぞ!?

え?こんな解釈全然ネットにのってないけど考えてみようかな?そうしたらこれは少女の一人の切ない話じゃなくなるし・・・パンズラビリンスのもう一つ新しい世界を覗けるのではないか…。

ということで義父=パン説を考察しよう!と考えた次第です。(ライフオブパイに比べて全然自信ないよ~~~)

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まず義父=パンの前に、
「カエル」も「クリーチャー」も「パン」が化けて少女を試していたのではないかという疑問があります。

なぜならパンは悪魔のようで全然優しくないから!!!です。(え、理由が…感情論)
メルセデスが「私の母はパンに気をつけろと言ってたわ」という台詞があるので作中でもパンは悪い生物という認識があるようです。
あと、最後の試練で自分がでてきたのもひっかかる。それと、パンとクリーチャーが同じダクジョーンズという俳優だし…。(シェイプオブウォーターのクリーチャーも同じ俳優なので監督が好きなだけかも)

パンが三つの試練を自分から出しているのでカエルもクリーチャーもパンが化けた姿だと仮定して(カエル=クリーチャー=パン)これらが義父の暗喩だと思われる箇所を試練事に書いていきましょう。

①カエルは大きな口から鍵を吐き出す。→はからずも義父は口を切られそれを縫って補っている。
②クリーチャーは目が見えていない。=義父も身内にスパイが二人もいて何も見えてない。→クリーチャーの目のあった位置に撃たれて殺される。

ここで二つ目の疑問「少女はどうしてぶどうを食べたのか」なのですが
クリーチャーの晩餐会は義父の晩餐会を模していて、義父の晩餐会に少女は招かれたからぶどうを食べた、と考えると疑問が解けます。

また、人食いのクリーチャーだと思われる天井の壁画は義父の戦争体験を晩餐会で聞かされて嫌な気分になったのでは?と感じました。
あと、靴がたくさん落ちていて人を食べて残った靴だと思ったのですが少女のために靴を用意していただけかもしれない、とちょっと思いました。(これは考えすぎですかね笑)実際に少女に服と靴をあげていたので…なきにしもあらず…?

(実父は仕立て屋さんなんですよね。実父に負けないようにちゃんとしたものを、って思っていそう…)

そして、三つ目の疑問「妖精(と本)の指示に従わずに左の扉をなぜ開けたのか。」なのですが
映画の初めのほうで少女と義父は握手をしようとするシーンがあります。義父から差し出された手をとらずにあえて左の手で受けようとし義父に注意されました。
このシーンを再現して義父への反抗を示しているのでは?と感じました。

また、本にも真ん中の扉を開くように明確に出ていたのですがあえて違う扉を開いたことによって短剣がでてきてしまった気がします。真ん中の扉を開いていたら、義父と仲良くやっていたら,ハッピーエンドだったのかもしれません。でも、少女は自ら短剣のほうの扉を開いて死へと向かっていくのです。(少女は賢いのか、愚かなのか…私にはわかりません。)

そして最後の試練。パンの「弟をくれ。」と義父の「弟をくれ」の行動はまるかぶりです。私はここでパンはやっぱり義父じゃん!!!ってなっちゃいました。

パンは何回も「三つの試練を与える」と言ってたのですが義父も拷問のときに「取引してもいい。詰まらず3まで言えたら解放してやろう~3までだ」って言ってたのもなんとなく似ているような気がします。

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ここで義父のキャラクター像を確認しましょう。

残酷で冷徹な現実主義者というところが全面に押し出されていますが

どうしてそのような性格になったかと考えると彼の父親の存在が大きかったように感じます。晩餐会のシーンで「父は時計など持っていない」と義父はいいます。これまでさんざん時計のことを誇りに思っていた描写があるのに晩さん会では語らないのです。父に対して何かしら思うところがあるようですね。また、時計の話は現実主義の義父にはそぐわない、夢のある話のように感じるので…友人に話すことを控えたのでは?と思いました。

このように義父は一見現実主義のようですがよく映画を見るとロマンティストな側面も見えてきます。

死んだ父の死の時間が刻まれた時計を持って自分もこうなるんだ!っていうのもキザな感じがしますし、カルメン(母)に歩けるのに車いすを用意する行動や、そもそも一目惚れをして偶然を装って出会って結婚するなど・・・少女の精神世界とは真逆のように見えて結構近いところにいるのではと感じるようになりました。

(でも、ロマンティストな面は上手く隠されていて、カルメンが死にそうなとき近くにいるメルセデスに言わずに少女はすぐ義父を頼って義父もすぐ走って行くシーンを「火やパンのない家庭など存在しない。これはフランコ政権のパンだ」と声高く言って部下が通り過ぎてかき消しちゃうんですよ。なんていうか義父の人間らしい慌てて走っていくっていうのを見せないで彼の独裁的な部分を押しだしていて…もっと義父の人間らしいところが見たいよ!って気分になりました。)

『パンズラビリンス』というタイトルはパンの迷宮という意味だと思うのですが、「義父が自分の土地に呼び寄せること」と「パンが迷宮に呼び寄せること」は同じことのように感じます。(今の感覚だと妊婦を呼ぶのは妻をないがしろにしていると感じますが昔の人は俺のそばで俺が守ってやるという間違った愛し方のような気がしてカルメンのこと愛しているんだなと思いました。)

最後に2人とも死んだ後に少女、母、実父がいてその下にパンがいるシーンは少女の実父であり母の愛した旦那さんも義父は尊重していた(態度には出ていないが心の中では・・・)と思ったら、二人のすれ違いがもどかしいなと感じました。

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これで超解釈は終わりです!冷静に見ると深読みしすぎたなと感じますね笑
でもありえないな!と思いつつも自分の感じたことをまとめていって少しでもありえるかも…に変える作業はとっても楽しかったです。『ライフオブパイ』とはまた違って一人で一つの説をつくるのは非常に難しかったですがブログにあげることができてよかったです。

みなさまは『パンズラビリンス』を鑑賞してどのように感じましたか?よろしければお話してくださると嬉しいです。最後までお読みいただきありがとうございました。

いろいろな解釈ができる映画に出会えて心底幸せな気持ちになったので制作陣に感謝の意を込めて筆をおきたいと思います。



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