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ひらめき☆マンガ教室/提出作品への香野コメント(課題1:ネーム)

始まりました、第3期ひらめき☆マンガ教室。1回目の課題は「自己紹介を漫画にしてください」とのこと。わたしは聴講生としての参加なので、課題は出しません。というかむしろ、マンガの読み手として参加している自覚がはある。つまりそれが意味するところは……全員分、読みます。ということです。※たまに課題を勝手に上げることもあるかと思いますが。

【今回の課題について】もしわたしが正規生だったら……初回から自我崩壊して課題が出せなかった可能性が高い。人の絵を描くのが苦手で、とりわけ自画像がダメなので。(だからマンガが描けない。キャラクターが同じ顔にならないので)。おそらく創作意欲の強い人が集まっていると思うので、「実存をどこまで相対化できるのか」が、最初に乗り越える壁なのかなと思います。そしてそれをどれだけ「マンガ」の文法に載せて伝えられるか、ということかと。

というわけで、皆さんの提出作品を見ていきたいと思います(サイトの掲載順です)。33点あります。ほぼ雑誌です!ちなみに作品のレベルは高い。それなのに、みなさん総じて腰が低い。人がよさそう。困った……わたしはマンガが好きなだけのひねくれ者なのに。

※この感想は、講義前のものです。33点分の感想なので長いです※

蝶々ひらり「HIRARI」

岡崎京子作品を意識した絵柄とコマ割り、伝わってきます。わたしはこの作品を「わかる」と感じます。が、もしかしたら普遍的なものではないのかもしれません。池袋のあの界隈のことや、舞台芸術を学生が終わっても続けること、それらを知っている。そして女として生きている……そういう複合的な前段があってジーンときているのだろうと思います。それでも、ページの中での空間のレイアウトで独特の空気感を作っていて、誰かに読ませようという意志があると感じました。


五月十三日「わたしならきっと」

勝手にですが、マンガ、描きなれているのかなぁと思いました。もしくはすごい量のマンガを読んでいるとか。「私がもし●●だったら」ということで「私」がいろいろなモノに入れ替わって行く実験的な試みですが、展開が急すぎてついていけないことがありました(これはわたしの読みが浅いからかもしれませんが…)。ページ数が限られているので、一つのエピソードを膨らませてもらえば、ずっと独りごとでも聞いていて(読んでいて)飽きないはず。


相野ココ「紙とペンと弱虫」

ツボです…ツボ、ツボ……。何ですかこれは!しっかりトキメキました。しかし、それ「だけ」ではないですね。二重のメタ構造、もしくはメタのループにあるのかもしれません。百合を描いている男が、リアルに(作中で)幼馴染の男と「クサレ縁」。そうしてこれを描いている作者は……その真相は現段階ではわかりませんが、どちらにしてもプロの仕事っぽい。BLという構造に胸がギュッとするのは、確かにマンガの中だけでもトキメキを味わいたいのかもしれません。


ねりけし「ワー○ド牧場に行ってきました」

かわいい。動物かわいい。もっふもふ感いいですね。ツイッターに載せる前提だとすれば、均等コマ割ではなくて、メリハリがあった方が印象に残りやすいように思います。それと、レポマンガだったら余程の事情がない限り実名出してもいいのではと。関東在住だからか「ワー○ド牧場」が伏せ字になってても、元ネタがあるのがわからず。何かここに仕掛けがあるのか?と気になってしまいました。最後に「追い動物…クク笑」と同時に「あ!ただの伏せ字だったのね!」と納得。そういうのは、笑いを邪魔してしまうから、残念。


●ささやか「むてきの私」

個人的には、心に刺さるテーマです。「力量に合ってない」とコメントされていますが、ちゃんとネームとして成立させようとしている。心からそう思います。テーマとの距離感を取ろうとしているな、と。ただ、気になったのは、ATMのシーン。自由になるために引き出したのか、この教室の授業料なのか…? 「生きていけないなら 死ぬまでだ」に掛かるので、明示されていても良いと思いました。


●由多果「ムスメ is not END」

あぁ、わたしは今。これを男性がどのように読むのか、めちゃくちゃ気になっています。単純に読み手を男女で区切るのも良くないのですが…。それでも、今の日本においては「成人式が振袖じゃない」、「大学の卒業式に平服で出席」、「結婚(式)をしていない」とか…そういう自体が親子関係に影を落とすのって、ムスメ3世代ならでは。


●景山五月「なすがままのスー」

続きが読みたい。ウルウル。よかったねぇ、スー。作者のパーソナリティは、ほぼスペック的なところしかわからないはずですが、作者の目論み通り「猫の目線で描いても、その猫を描いているのは結局私」が成功しています。個人的には、夕方になって「時間の経過にへこんでいるらしい」に共感。私の日曜日の夕方じゃん…。


●中山懇「センパイ、相談してもいいですか」

朝礼、わたしも嫌です。プレゼン下手なので、すごくよくわかります!(※プレゼン下手ってダメな職種なのに)きっと「朝礼」はいろんな会社であるので、どの青年誌でも載っても違和感ないなぁ、と。このネーム作品が「ほんとうに起きたことを描いているのではないか」と思わせてくれるのは、きっと練られた結果であって。色々なレイヤーが連なってるからなんだと思います。


●暮介「あんみつラボ」

どこまでがネタで、どこまでが本気(マジ)なのか…コメントと作品でテンションが激しく違っていて、真意がわからず面白いです。いろんなマンガのテクニックが詰まっているのが「見えて」いるのですが、使いすぎなのかも…きっと見えないほうが、読者としては楽しめます。ん? でも「ラボ」だからいいのかな、確信犯なのかもしれないですね。


●グヤグヤナンジ「あの頃」

「あの頃」が2016年なのか…!と悲しくなりました。だって3年前ですよ。その時間の重みがわたしが年をとっている証拠ですね。でも、これってすごく些細なことですが、具体的な年を出してしまうと(自己紹介だから本当のことを書いてくれたのだと思うけど)、届く年齢層が限られてしまうということかと思います。10年後の方が臨場感あるって人の方がはるかに多いので。たしかに、自分の学生時代(ノー内定で卒業した)を思い出すと、ほんの数年が数十年に感じる暗黒時代だったので、この表現になるのは理解できるのですが。


●拝島ハイジ「温室から」

コンプレックスとの対峙。本作のような「温室」に育ってなくても、「女」と「学歴」のかけあわせは、いろんなコンプレックスを生んでいて。確実に存在するけど、ないことにされている事を扱うことは、尊い。こういう作品が世に出たら「わたしは読む」のですが、もしかして「それだけ」だと、本当に読んでほしい人に届かないかもしれない。かくいうわたしも「分断なんてやめようと」と思いながらも、ただ、「東大に行けばいいのか」と思う主人公のピュアさは「温室」で育ったから生まれたものだろうなぁ…などと感じる雑草人間だったりします。


●とき ところ「友人未満」

自虐系ネタですよね。わたし自身は自己肯定感が結構低めなので、結構、自虐系はうなずけるんですよ。ロスジェネですしね。もう自虐はやめようって思っても、なかなか手放せない。一種の生活習慣病です。誕生日に誰からもメール来ないコマなんて「うん、前はそうだった(もはや何も感じない)」と共感しました。でも、全体的に、このマンガは笑ってはいけない感じがしました。主人公の笑われ方、イジられ方が、哀しい。イジられるシーンが多いのかもしれません。…若い人だから大丈夫? いや、だからこそ大丈夫じゃない気がして。

●飯島 健太郎「東京都杉並区下井草」

デッサン力高っ。インスタレーションのためのスケッチ、的な雰囲気がします。ん……?しかし作中の「美大予備校をやめて」が本当だとしたら、そうか、そういう人なのかも。ネームというより、これはこれで作品になっているのではないか。時折の描き込みされた風景も、それがいいのです、という体裁とも言えてしまう。モノローグ入れずに、美大の願書がゴミ箱に入ってるとか、絵とコマで押し切るとかも、見てみたいなぁと思いました。

●静脈「定食の定義/スパイシーチキン」

謎感をもっと出して欲しかったのですが…欲張りでしょうか。「スパイシーチキン」だけだと、「まぁ町の定食屋にありそうだよね」と思ってしまうのは、わたしが汚れた社会人だからかも。むしろ「肉じゃがと麻婆豆腐」の組み合わせに目がいってしまう。ここって「一杯飲んで帰るところでは?」なんて。というのも、タイトルが「定食の定義/スパイシーチキン」なのですが、「スパイシーチキン定食」を頼んだ形跡がありません。定食の定義に触れられることは全くないまま、スパイシーチキンが語られる。何にでもエロに結びつけて考えるのはよくないので述べませんが、もしかしてそういう読み方が正しいのでしょうか。うーん。謎です(つまり、ある種の謎感を出すことには成功した、ということかもしれません)。


●かいじる「自己紹介マンガを描く」

何がなんでも、提出することが偉いのだと思います。わたしは批評再生塾で、最終回にそれができなかった。未完成という面汚しです。しかも、忘れ物を取りに行けなくなってしまったからツラい。そういう個人的な心境が前に出て申し訳ないのですが、こういうことができる人は、今後1年間強いだろうな、と思いました。そして結果的に、タイトルで宣言した自己紹介マンガを描く、という作品に落ち着いている。すごい判断力。


●ハミ山クリニカ「この子のハタチのお祝いに」

うまい。今年から、の人なんでしょうか。すごい。内容はたしかに重量感があるものですが、作品としてはちょうどいいバランスのところに立っていて、読みやすい。やじろべえみたいなバランスタイプ。毒親から「いち抜け」した人だったということも、人物のキャラクター、パーソナリティが適度に配置されていて、「読むもの」としてアクが強くならない。翻って自分のことを考えざるを得なくて。「これぐらいのライトな見せ方で、いろいろなことをカムアウトできる力量が欲しい」と思ってしまいます。


●国分寺崖線「先日、泌尿器科で。」

普通に暮らしている男性は、それが左右均等ではないのがその歳まで(明示されてないけどおじさまだと思う)気づかないものなのでしょうか。球技や格闘技だとカップインするからわかると思うけど……。例に出てた女性の乳房は、鏡に映る姿やブラ選びで身につくものだから。男性にとってはそういうものなのか、不自然じゃないのか、ちょっと訝しんでしまいました。きっと、主人公が「それ」に気づくきっかけになったことがあると思うんですよね。そこを画面で伝えてもらうと、語りの信頼度がUPするのでは、と。(単に「この歳になるまで気づかなかったなんて!的なことでフォローしてもらえればよいのかもしれませんが)


●kubota「仲良くなれそうだった彼」

マンガ家さんのネームっぽい、と思いました。コメントは特に書いていなかったけど、あえてだったのでしょうか。意図が見えないから、作品をベースにするしかないですが……。この作品は「彼」を軸にして自分を語っている。モノローグなんだけど「彼」のことを話すスペースが多い。なんでマンガ家さんのネームっぽいって思ったのかと考えてました。そしたら、一つには、こういうネームはAIには描けないのではないかと思います。描かないと言った方がよいでしょうか。気まずさの中の心地よさとか、記憶と記録のパターンではどうにもならない、そんな世界を見せてくれる気がします。


●高井美雨「自己紹介漫画」

なんでも分類したがるのは、よくないかもしれませんが、「ガロ系」の系譜になる作品の気配。ネームだから、違うかもしれないけど。芸術とは何か、マンガとは何か、根源を考えることは恐怖と隣り合わせになる。アイデンティティクライシスに陥らずにはいられないから。けれどもここでは「飲み込んでしまおう」といううねりを描いていて、芯の強さを感じました。


●碌縞ろろこ「キメラアントの巣作りの季節」

こういうのは「二次創作」とは違うのか、とちょっとびっくりしている自分がいます。HxHの話をしているだけだから、オリジナルか。そうです…よね。ただ、冨樫作品の影響下にあるのは、台詞だけじゃない。吹き出しの処理や擬音が、もろにHxHの世界観。似せているのか、似てしまったのか気になるところです。それにしても、心理描写がわかりやすい。「まさかここでアノ話ができるとは!」と盛り上がったのに引き潮のように相手が去っていく瞬間の、あの気まずさ。それはとてもわかる。個人的には作者が『幽☆遊☆白書』についてどのような見解をお持ちか、聞いてみたいです。でもきっと作者を失望させてしまう。なぜならわたしは所詮……広く浅いのだから。


●矢作さくら「NAMELESS ANGLE」

「名乗れる仕事がしたい」というのは、うん、やっぱり、ありますよね。最近わたしも思っていたことだったので、どんぴしゃりです。わたしの主な収入源は制作会社からの給料で、自分の仕事の宣伝は基本止められています。というわけで、似たような状況なのではと察しました。そんな中でおきたハッピーなハプニングと、自らのルーツとを絡めながら、ネタを作ったということが微笑ましいです(その笑顔の下には苦しみもあるとは承知していますが!)。ただ、課題の意図を汲み取るのであれば、外側に向けた意識がもっとあれば、さらに良かったのではないか、と思います(わたしたち受講生に向けた挨拶ではなく)。


●土屋耕児郎「子供暮らし」

ページ数がオーバーしているっていうのは、文字数オーバーと同じようなことだと思いましたが、点数とかどうなるのか……。2年目の時間の使い方を自分で選んでいるのですね。それはいいことなのかもですが、わたしは、土屋さんの課題提出を同時に読むのは初めてだったので、16ページ版を読んでみたかったです。同じ土俵で勝負してほしいなどと、外野は思ってしまいます。具体的な目標を立てるのならば、だからこそ。


●not123「落ちる」

SFの手法を使いながら、リアルに「落ちる」を表現する……言いようのない切実さ。マンガを描くのは「落ちに落ちた」結果だったということでしょうか。落ちなければマンガは描けないのだろうか、ちょっと哀しい感じも覚えます。「マンガ描くか」と言う吹っ切れた表情が不思議。救いがある証拠かもしれません。


●向田哲郎「ヤシとおとこ」

ヤシ(だと思っていた植物)が実は「俺と同じ」じゃなかったということが、この人にどんな感情をもたらしたのか、もっと見てみたいなと思うのは野暮でしょうか。この人が東京に帰って、どうするのか。やはりどうしても気になるのです。何も変わらないのかもしれないけれど。ただ「綺麗」「壮観」だけ、ではないのでは。そんな予感はあるのですが…。


●obj.A「職業としての神父」

最初は、マンガというフォームを使った思考実験なのかなと思いました。ただ、読み進めるうちに「単純化するとゲームデザイナーは一番わかっててすごいだろう」という話に思えました。本来の意図とは違うのかもしれませんが……。ただし、批評がヒエラルキーの頂点にあるというのはフェイクニュースなので、それも含めた「皮肉」なのかもしれない。不確定な要素が多くてごめんなさい、だけど。いわゆるレビューサイトの書き込みの多くは批評じゃないし、批評家のことを信頼している人は少数。むしろ今起きているのは「当事者性」の発言力が異様に膨れていることではないかと。語りたくなってしまうマンガ。こうしたことがギュッと凝縮されて「マンガ」になったものを読んでみたいです。


●なは菜っぱの菜「TシャツのTちゃん!」

わたしは擬人化に涙腺を刺激されるタイプです。これ、エロマンガとして読んだほうが割り切れる。そうしないと、いろいろと考えてしまう。彼女が「ブラトップ」である必要はあるんだろうか、とか。「わたしがTちゃんの中身になってあげる」と言いながら、最終的に体を寄せ合うだけで精神的にも守られているブラトップちゃんの立ち位置とか、気になってしまいます。でもきっと、そんなことを言うと「フェミ笑」と失笑を買うはずです。作者はおそらく純情から描いているものだから。それぐらい、わかっているのです。ただそこに、何か断絶を感じてしまいます。最近わたしは、マンガのエロ表現について、この断絶を探りたいと思っていて(胸の大きさ表現で、「可愛い」と思えるのと「うわっ」と思ってしまうものの、境界線を決めるものは何か)、裏テーマとピタリと来ました。


●ririo100「苗字と自分」

名前って、自分で決められたわけじゃないから困りますよね。特に苗字って……。日本ってイヤらしい国だなぁと思いますが、ちょっと変わった名前があると、すぐに聞きたがる。わたしの妹は結婚して1文字姓になったのですが、急に言われ始めたらしい。そんな、なんか嫌〜な気分のことを逆手にとって、ほのぼのお仕事マンガになっている作者の器の大きさに感無量。守護霊に語らせる、ノスタルジックな少女マンガの見立てが、かわいい。


●mashiro「今までの自分と歩いていく」

野球(ソフトボール?)を続けてきた子が、ある日「辞める」決断をしてから、その後の物語。部活やスポーツ、バレエものは、優勝とか卒業して終わるけれど、本当の人生は「その後」から始まるので、心の底ではこういう物語を欲している人もいるのではないかと思います。何かに打ち込んでいたからって、うまく社会に溶け込めるわけじゃないんですねよね……。


●多花森「監獄ライクな青春ライフ」

いわゆる青春もの。BL未満の花ゆめ系の方向に振っていったらどうなるのかな、と思うけれど、きっと作者の意図とは違うのだろう。男子が男子の日常を思い出したいのか、そこに需要があるのかはわたしにはわからないけど、うーん、オタクライフハック的な要素が強調されてもいいのかな。そうしないとなんでもBLに結びつけてしまいます…


●タケチイチコ「今思うこと」

マンガは、引きこもるためにあるわけじゃないんだな、コミュニケーションをするためにあるんだな、と心が温かくなりました。限られた紙面で余すことなく自分を伝えている(ように見せる)……プロっぽいなぁと思って読みました。絵が上手いから? ……それだけではないと思います。静かに流れる時間の中で、緩急が付いているから、きっと流さずに読者が読める。実は今回わたし、仕事で絵コンテ描くこともあるので、「もしかして、今ならネームが描けるんじゃないの」と思ってやってみたのですが。絵コンテとマンガは本当にちがうんですよ。コマ割りと視線誘導が、フレームのなかで配置するのと違うんですよね。


●市庭美和「ざらざらでひらひら」

マンガとわたし、的な半生を語る感じですね。違ってたらすみません…。作者と一緒に、海を眺めている気がしてきました。しかし、気づいたら「あれ?なんで海にいたんだっけ?」と置き去りにされた感じも拭えず。なぜ海だったんだっけ?? なんか意味があったのではと……意味とか理由とか、口うるさくてすみません。でも気になることがたくさんあって、それが解決されないままなのが勿体無いなぁと思ったのでした。


●とねうら「R.I.P」

「自己紹介を楽にするためならオレは死を選ぶ」がパワーワードなので、ここにこだわって膨らませるとか、呼応するもので締めて欲しかったのですが、それはただの希望ですね。インドの模様から生まれたのに、死んだら十字架って言うシンプルさが面白いと思いました。宗教関係からはクレーム来そうですが……。現実と非現実がない交ぜになっているけれど、重そうな「死」を、さも軽いこととして扱っていて、(上演会そんなにいきたいなら死ぬなよ、とか)軽薄な感じがいい。本当は作者は重いものだと思っているんじゃないかなと。


●吉田屋敷「安田さんはいつも不機嫌」

仕事が辛い時に読んだら、さらにしんどくなりそうなマンガですね(正直すぎる感想ですみません)。途中の、社内で荒れてるシーンが多すぎる? と思いつつも、それはネームだからなのか。はたまた、少年誌の戦闘シーンが多いか少ないのか問題と共通しているのだろうか。でも最後のコマで救われる感じが、好きです。作者がもし『左ききのエレン』を知っていたら、どのように思っているか聞いてみたいです。

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