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「シェアさせていただきますね」症候群

つい読んじゃったよ。

「一度「シェアさせていただきますね」がつくと、シェアさせていただきますね派の人たちが、気軽に「シェアさせていただきますね」と言いやすくなり、また、シェアさせていただきます派は横に繋がっている事が多いため、ねずみ講のごとく様々な人のフィードに情報が飛び火します。
その結果、たいして議論で盛り上がるわけではないのに、コメント欄が無駄に膨らんでいきます。
こうした現象によってコメント欄が無駄に膨らむと、Facebookの隠しパラメータの数値が上昇します。
よって、普段だったら自分のフィードに出てこないであろうどうでもいい感動話が、パラメータ上昇によって現れるようになり、ますますシェアさせていただきますね派の人たちを目にする機会が増えることでしょう。」
(「「興味深い記事がありましたのでシェアさせていただきます」というシェアさせて頂きたい教の皆様*ホームページを作る人のネタ帳」より)

そう,元記事にあるように「怖い」のだ。この反応は動物的に正しい。

「それでは、正解。電車内で携帯電話をかける人は、電車内で訳のわからない独りごとを大声で呟いている電波系の人と同じ存在だから。あの理屈抜きの、ほとんど反射的な嫌悪感のみなもとは、実はそこにある。
電波系の人、ひらたく言えば精神病の人というのは、僕たちと同じ言葉を喋れなくなった人のことだ。すくなくとも、ラカンはそう考えていたし、僕もそれに条件付きで賛成する。ただし現実には、キミたちが精神病の患者と話をしても、ちゃんと普通に会話は成り立つと思う。ラカンが言っていることは、あくまでも理念的な精神病、つまりラカンにとって理想的に狂ってしまった人だけ、完全に当てはまるだろう。」
(斎藤環著『生き延びるためのラカン』より)

元記事ではこれを「Facebook 文化」と呼んでいるが,「シェアさせていただきますね」症候群(最後に「ね」が付くのがポイント。つまりこれは彼らにとって大事な儀礼(protocol)なのだ)に限らなくていいのならこれは昔からある症状だ。

ネットで最初に大きく話題になったのはいわゆる「ぱど厨」だろう。それから「ここがヘンだよ! mixiの“告げグチ”機能」(リンク切れご容赦)とか「返信しないと友達じゃない」とか「mixi の赤字恐怖症」とか,数え上げればきりがない。もう社会学者や心理学者,精神分析家の格好のネタになっている。

これをそのひと個人による SNS 依存症と見なす人もいるけど(そう考えることによって自身を「外部化」するのだ),たぶん事態はもっと深刻。つまり(依存症を含めて)これは「自己破壊的同調」,ぶっちゃけて言うなら「関係嗜癖(relationship addiction)」が日本社会を覆っていることを示唆するものだ。これを「外側」から見れば怖いに決まってる。でも内側に入ってしまえば分からない。分からない「同調圧力」に苦しむわけだ。

参考図書:アン・ウィルソン シェフ著『嗜癖する人間関係―親密になるのが怖い