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『天国、それともラスベガス』のコタツ記事-3つの文具の3つのストーリー

「コタツ記事」という言葉を聞くとドキっとします。「コタツ記事」とは、webメディアで手早く記事を量産するため、ネット上の誰かの文章をかいつまんでパクッて「いかがでしたか?」なんつって締める、中身スカスカの記事のことで、(自分の足で取材をせずに)コタツでぬくぬくしながら書けちゃう執筆スタイルから名付けられた、かなりネガティブな「揶揄」です。

そんな「コタツ記事」という言葉を聞くと、ドキッとします。だって、僕自身がこうして『天国、それともラスベガス』のデスク話を書くときも、ハウスミュージックラウンジ「秋葉原住宅」でハウスのレビューを書くときも、コタツにこそ入っていないけど、自分の足で取材せずにデスクに座ってぬくぬく書いてるわけですから…。

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Go Andoさんの「デスクをすっきりさせるマガジン」に触発されて始まったこの自宅デスク環境チューンナップ記事も、季節は廻り、もうすぐ開始から1年です。上の写真が最新の状態。デスクのチューンに終わりはなく、いろいろ足したり、足したり、足したりしながら、ガジェット多めで世界とつながる最高に快適な環境を作ってきました。

この環境が本当に快適すぎて、以前よりデスクで過ごす時間が増え、デスクに向かってデスクで考えデスクで調べてデスクで書いた記事を公開するようになりました。それはひょっとしたら、「コタツ記事」と呼ばれる記事たちと差がないかも。え、そんなん怖いんですけど。

究極的には後年の歴史家が判断することかもしれませんが、僕はこのデスクから、「コタツ記事」と揶揄されないような意味のある楽しい文章をお届けしたいという欲にまみれています。ということで、きょうはこのデスクに備えた3つの文具を題材にした、3つのストーリーをお届けします。

この文章が、「コタツ記事」という揶揄に負けない、皆さんの好奇心とお眼鏡にかなう良いものになりますように…。

1. 長谷川刃物『EP-175F』(ハサミ)

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ある日、ハサミが欲しいと気がついたんです。それまで使っていたハサミが切れなくなってしまったので、ちゃんと切れるハサミが欲しい。それもどうせなら、世界でいちばん格好いい(と僕が思える)やつが欲しい。

世界には60億の人々がいて、皆がそれぞれのハサミを使っています。国や地域ごとにメーカーも違えば使う人の好みも違い、この世界には多種多様なハサミがあるでしょう。その中から、いちばん格好いいやつを選びたい。

つきましては、今の自分にできる範囲=デスクからamazon.co.jp(日)amazon.com(米)amazon.co.uk(英)amazon.de(独)…と各国のamazonを検索して探しました。ドイツ語でハサミは「Schere」だそうです(覚えた)。その結果、出会ったのがこのハサミ、独Leitz社の「Titan Anti-Haft 180mm SB sw」です。

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なんという漆黒っぷり。オーラバトラーで例えるとズワァースですね(伝わらない例え)。フィンランドの老舗Fiskers社のハサミもオレンジグリップがカワイイ感じで好ましかったけど、タッチの差でLeitz優勝! キミに、けってーい(田原俊彦・1981)。

そうして意気揚々とカートに突っ込む寸前、本体9.99ユーロ+送料20.17ユーロで日本円換算で4000えん近くなることに気がつきました。う、さすがにそれはちょっとやりすぎかもしれない。特に送料が高い。

そうだ、いつか将来、いま世界を覆っているあの禍が終わって、またドイツに行けるようになったら、そのとき現地の文房具屋さんで買おう。それまで楽しみにとっておこう。待っててね、Leitzのハサミ。

僕は頭を切り替え、国内で買える一番格好いいハサミを探すことにしました。そして出会ったのが、冒頭に写真を掲げた長谷川刃物の「EP-175F」だったのです。もう1度別角度でどうぞ。

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どうです? 凛としたグレーの佇まいがグッドルッキング(叶姉妹)なこのハサミ。ヨドバシextremeで買って、即日配達されました。おねだん414円。

長谷川刃物は、岐阜県関市で1933年(昭和8年)に創業した老舗。1933年といえば、ヒトラーがドイツの首相になり、小林多喜二が獄死し、ルーズベルトが大統領になり、アインシュタインがアメリカに亡命し、上高地帝国ホテルと府中競馬場と有楽町の日劇ができた年です(wikipedia)。

そして岐阜県の関市は、そもそも刃物の町として知られる土地とのこと(僕は不勉強で知りませんでした)。岐阜県関刃物産業連合会のHPによれば、鎌倉から室町の時代にかけて、元重と金重という2人の鍛治職人が戦乱を避け関に居を移したことから、関の刃物800年の歴史が始まったそうです。

関には、良質な焼刃土(やきばつち、刀身に焼きを入れる際に塗る特別な土のこと)と水、そして炭があったらしい。関の刃物の源流は、日本刀造りにある。「関の孫六」こと孫六兼元という刀工が有名。なるほど。

同HPには、関市は「世界三大刃物産地」のひとつであると誇らしげに書かれています。じゃあその三大産地ってどこなんだろうと文章を追うと…関とゾーリンゲン(ドイツ)、そしてシェフィールド(イギリス)のことで、これら3つの町は「刃物3S」と呼ばれるそうです(え、誰に? ほんとに?)。

…というような一連の調べ物の機会を与えてくれたというだけで、この長谷川刃物のEP-175Fは414円分以上のエンタメ価値がありました。すなわちハサミとしては既に実質0円です。なのにめちゃくちゃ切れ味がいい。なんというおとく。そしてこの切れ味は、日本刀の流れを汲む切れ味なのか。そう考えると凄みがありますね。

2. OLFA『Aプラス』(カッター)

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「カッター買ったー」「どこで買ったー?」えーと、僕はどこで買ったっけ。どこで買ったかは覚えてないけど、何を買ったかは覚えています。このカッターは、大阪府東成区に本社のあるオルファの「Aプラス」です。刃先9mmの事務用スタンダードモデル。

カッターを選ぶとき、僕は「ノームコア」の考え方で、いちばんありふれてるカッターにしたいなと思ったんですよね。その時まっ先に脳裏をよぎったメーカーがオルファで、この黄色いカッターのイメージでした。せっかくなので由緒を調べてみよう。オルファのHPを訪れ、沿革を読みこみます。

オルファは日本の会社です。1931年(昭和6年)、大阪府東成区にあった紙を裁断する町工場の長男として生まれた、のちにオルファを創業することになる岡田良男は、1944年(昭和19年)に空襲で家と工場を失って和歌山の白浜に疎開しました。

ここで脇道にそれて大阪の空襲について調べます。1944年の12月から終戦の年となる1945年の8月まで、大坂は7回の大空襲を含む39回の空襲…今でいうところの空爆(Air Raid)を受け、大阪の市街地も大変な被害が出ていました。

そんな大阪から逃れた疎開先で、岡田は旧制中学を退学して電気関係の見習い工をしたり、印刷会社などで働き始めます。そして印刷会社で働くうちに、刃先を折ることで切れ味を維持する「折る刃式カッター」のアイデアにたどり着き、自ら設計と試作を重ね、1956年に世界初の折る刃式カッター、「オルファ1号」として結実させたのです。

…もうみなさんお気づきですよね? 社名でありブランド名の「OLFA」は、「折る刃」が語源になっています。さすが大阪プロダクト、竹を割ったような明快なネーミング!

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この刃先をポキポキ折ることで切れ味を保つというアイデアは、進駐軍が配っていた板チョコから着想した…とオルファ社のHPに書いてあったのですが、うーん、ちょっと出来すぎな話もするかも…?

そこでチョコレートについて調べるため、森永製菓のサイトを訪問します。

森永がアメリカからチョコレート製造技師のオスカー・グランドを招聘してはじめてポケットチョコレートを作ったのが、岡田が生まれる15年以上前の1915年(大正4年)だそうです。ただ、そのチョコレートがブロック状に分かれていたかどうかは、森永のサイトからは分からなかった。

一方、戦後に進駐軍が持ち込んだチョコレートはハーシーのものじゃないかと想像できます。ミルトン・ハーシーがチョコレートの大量生産を始めたのが1900年なので、その15年後にアメリカの技師を招いて作られた森永のチョコレートも、きっとブロック状になってたんじゃないかなと想像できます。

ただし、戦前戦中の日本で、チョコレートはまだまだ高級菓子だったことには注意が必要そうです。1931年に生まれ、日本が戦争へと突き進んでいく中で育った岡田は、ひょっとしたら森永のチョコレートを見たことがなかったかもしれない。さっき思わず「出来すぎ」って言っちゃったけど、進駐軍のチョコの話はやっぱり本当なのかな。変に疑ったりしてごめんなさい。

苦労の末に「オルファ1号」を生み出した岡田は、4人の兄弟や社員と協力しあいながら、プレス工場をみつけてカッターを生産し、デキの悪い納品物は自ら数か月かけて工具を手に修正するなど苦労を重ね、事業を拡大します。

その後の「折る刃式カッター」の普及は皆さんご存じの通り。アメリカのamazonでも、イギリスのamazonでも、オルファのカッターは検索結果のファーストビューに出てくる定番商品になっています。

折れる刃の傾き(ピッチ)も含めて世界標準を打ち立てた、最もスタンダードでノーマルなオルファの「Aプラス」。海外では「A-1」と呼ばれるグローバルスタンダードなモデルが、僕が選んだ自宅デスク用カッターなのです。

3. マックス『HD-10D』(ホチキス)

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3つの文具の3つの話、最後はホチキスのストーリーです。

僕の自宅デスク環境a.k.a.『天国、それともラスベガス』に備えるホチキスも、例えるならリーバイスの501みたいなタイムレスなモデルにしたくて、ホチキス国内シェア75%と圧倒的最大手であるMAX株式会社のスタンダードモデル、HD-10Dを選びました。

黒・ピンク・黄緑・水色の4色の展開がありましたが、ここも「ノームコア」の考え方で、最もありふれていると思えた水色を選択。

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商品が到着。どうですこの安定感。ホチキスでしかないホチキスの、ゆるぎない存在感に感動します。さあ、このHD-10Dのバックグラウンドも調べていきましょう。

1955年に「マキシマムな技術、クライマックスな製品」という願いから「MAX」という社名に改めたマックス株式会社の歴史を公式サイトの沿革でみていくと、1942年に山田勝太郎が群馬県高崎市に設立した、航空機のウイングを生産する「山田航空工業」がその歴史の始まりとされています。

…航空工業! しかも高崎だって!?

1942年に群馬県の高崎に設立された航空部品メーカー。これはおそらく、当時高崎にあり、東洋一の航空機メーカーとうたわれた「中島飛行機」を頂点とするサプライチェーンを構成する会社だったことが推測できます。

中島飛行機を代表する、一式戦闘機「隼」の生産開始が1941年で、それは山田航空工業が設立される前年です。隼は終戦までに実に5,700機が生産されたといいますから、それだけの生産を実現するために高崎周辺には多くの航空部品メーカーが存在していたことでしょう。山田航空工業も、きっとそのうちの1つだったはず。

そして迎えた敗戦。GHQの指導で中島飛行機は解体され、日本は航空機の生産・研究を禁止されます。その結果、分割された中島飛行機から富士重工(現・スバル)という自動車メーカーが生まれたように、山田航空工業は山田興業と改称して事務機器メーカーとなり、終戦の翌年である1946年には卓上の大きなホチキス、3号ホッチキス「ヤマコースマート」を発売します。

そして1952年には、国産で初めての手のひらにおさまる小型ホチキス、10号ホッチキス「SVC・10」が発売されるのです。

僕が購入したスタンダードモデル、HD-10Dにも「10」という数字が入っています。ある時期までのソニー製品において「TR」や「55」という英数字が特別な意味を持っていたように(「TR-55」はソニーを躍進させたトランジスタラジオの型番です)、このHD-10Dもマックス株式会社のプライドをかけた商品なんだろうな、と想像できます。

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(ちゃんと確認したわけじゃないけど、おそらく)中島飛行機の隼の翼を作っていた会社が、現在手がけている超スタンダードなホチキス。最近、毎晩Microsoft Flight Simulatorで世界中の空を飛んでいる、僕の自宅デスク環境にぴったりのコンテキストをもったホチキスでした。偶然なんですけどね。

そして山田航空工業をルーツに持つマックスの青いホチキスは、中島飛行機をルーツに持つスバルの青いインプレッサとちょうど従兄弟みたいな関係かもしれません。そう考えると、このホチキスの水色もインプレッサのブルーと呼応してるんじゃないかとか、違った色彩を帯びて見えてきます。これも完全に思い込みですけどね!

…といったようなストーリーにたどりつかせてくれたマックスのホチキス、HD-10D。スバルのインプレッサなら200万円を超えますが、HD-10Dなら、ヨドバシでたったの382円でした。うわ、おとく…。

4. …いかがでしたか?(コタツ記事構文)

自宅デスク環境をチューンするとき、僕はストーリーを大事にしています。

世界とつながるための土台、僕にとってのBIOS(Basic Input / Output System)として機能する自宅デスク環境に組み込むものは、それが文房具であれ、ガジェットであれ、コンピューターであれ、僕が描いた世界観に沿った、意味あるストーリーを持ってそこにいてほしい。

義理の母がもともと植物学の研究者だったのですが、彼女は何かの流行歌で「名もなき花のように」ってフレーズが出てきたとき、「名もなき花なんてないわよ」という名言を放ちました。確かにそうです。名もなき花がもしもあったら、それは新種の発見で、大大大ニュースですよね?

それと同様に、ストーリーのない製品はありません。どんなものであれ、その製品が形になって残るまで、どこかの誰かが関わったストーリーが必ずあります。

でも、だからといって、そうした製品の持つストーリーは等しく同じではありません。これは結構残酷な、冷徹な事実です。浅いもの、深いもの、雑なもの、きめ細やかなもの、憎しみをはらむもの、欲にまみれたもの、夢が詰まったもの、いろいろなストーリーがあります。

自分のために作る自分のデスク環境には、好きになれるストーリーを持った製品を備えたいと考えています。単にルックが良いとかキレイとかだけでない、意味あるストーリーをもった、世界中から集まった製品たちが描く群像劇。そんなデスク環境を作りたい。

どこを切り取っても、外伝が作れるくらいの勢いで。

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…ということで、開始から1年経とうとする今でも、自宅デスクのチューンに終わりはありません。本当に楽しい趣味です。

そして皆さんは、どんなデスクの世界を描いているでしょうか? もっともっと、みなさんのデスクの世界をのぞいてみたいです。ぜひそんな話を、聞かせてください。

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