「子どもが好き」ってなんだよ

私は「子どもが好き」という言葉に対してどうしてもアレルギーを起こしてしまう。

ペドフィリア的な気持ち悪さを連想しているわけでない。小児性愛などまず論外、多様性に含んではならない虐待的な概念だ。「表にさえ出さなければいい」なんて甘い。話題にするまでもない。

上手く言えないけど、子ども好きを自称する人ってポッチャマがポッタイシになった瞬間捨てそうじゃん。

「未熟」を愛すことに抵抗を感じるんだろうか。自分より圧倒的且つ絶対に力が弱く身体が小さく知恵も無い純粋な存在、その上自分を慕ってくれるとなると一定の愛おしさはあると思う。優越感に浸れて承認欲求も満たされるし。可愛いし。「助けてあげる」場面が必然的に増えるからすぐヒーロー面できる。でも子どもって好きとか嫌いとかじゃなくて当たり前に守る対象であるべきなんじゃないか。

活動柄実感したことだが、子どもは大人に比べて警戒心が薄く人懐っこいのでわりとすぐに自分を好いてくれる。現にバイトやボランティアで関わる子どもたちは、こんなどうしようもない私にもすぐに懐いてくれた。ハイタッチしてくれるだけでも嬉しいのに、可愛いとか、絵描いて〜とか、遊ぼうとか…似顔絵を貰った時なんか、子どもたちの絵による私の化粧の再現度に驚いた。ほんとよく見てる。脈絡や空気を読むのが苦手な私でも大丈夫というか話題がぶっ飛ぶのはむしろ子どもたちの方だし、演劇で学んだことがおままごとに活かされることもある。人見知りな子や反抗的な子もいるが、しばらく居ると結局話しかけてきてくれるようになった。

私は学童の先生のわりに子どもたちの見本となる模範的な振る舞いはできず、いつも等身大で接する。ませた子とは恋バナもするし、いつも他の先生達より明らかに化粧が派手なことから「先生なんでお化粧するの?」と聞かれた日には「先生は小学生の時、ブスって言われて意地悪されちゃったからお化粧で隠さないと外に出るのが恐いんよ、だから皆は人の見た目を悪く言ったらダメよ」と率直な意見をうっかり述べ、しっかり慰められた。私の危なっかしさも当然バレており、帰りに「先生知らない人に着いて行ったらダメばい」と子どもたちから言われたこともある。君たちも気をつけなね。

惚気話はこれくらいにしようと思う。しかしこれだけ子どもと関わっていると「子ども好きなんですね」とよく言われる。それに対して「はいそうなんです〜」とは言いたくない。

自分が将来子どもを産まないので、老後この子たちが納めるお金にお世話になるのが申し訳なく今のうちにこの子らのために何か貢献したいという意識があるのだ。今私が払っている税金も児童福祉に使われているからお互い様だとかそういう問題ではない。子どもにある程度優しくするのは人として当たり前だ。子どものうちに優しくされる経験を沢山積んだ方が、その子らが大人になった時人に優しくなれると思うし。

「子ども好きなんだね〜」も相当だが、「母性だね〜」と言われると1番腹が立つ。これらは生まれつきの本能ではなく、私が私の力で確立した考えに基づく行動だから。決して子どもが好きとかではなく。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?