俺が今すぐにでも死のうと思ったのは

 なにもおれが死のうと思ったのは、仕事がうまくいかないからでも、彼女とうまくいかないからでも、ICカードをタッチし忘れて出れなくなったからでも、ロッカーの番号を忘れては開けられないからでも、雨ばっかりだからでも、親友の誕生日すら祝えなかったからでも、換気扇が今日もうるさいからでも、食べたご飯があのだれとも会いたくない日と同じ味がしたからでも、ごめんしか言えなかったあの時と同じ気持ちになったからでもなくて、ただただ、生きてるからで世界は勝手に進んでるからだと気づいた。

 自分が生きている価値のある人間だとは一度たりとも思ったことはなくて、死ぬべきとも思ったことはなくて、自分の人生は誰かのNPCであって誰かの人生の一部に残る誰かであればいいとは思ってたけどそれで充分とも思えなくて。何しても自分が自分の人生の主人公の自覚はあまりにもわかずに、それなりに生きていくのだと完全に実感してそれなりに死んでいく。それなりに賢くてすぐエモいとか言わないし、両親健在でそれなりに育ちがいいし、それなりに会社に就職してそれなりに生きていくと何となく自分でもわかってからこそ、それが退屈で仕方なく、まあ生きていてよかった朝なんでなく、続けていてよかった朝にも会うことなくそれなりかあと思いながら。

 東京で生まれた自分にとって人生を変えられると感じられるような町はもう日本にはなくて、田舎に生まれてさぞあの町がすごいものだと感じながらジャスコジャスコジャスコ、イオンモールモルモルしながら死んでいく人のほうがよっぽど幸せで希望がある生に見えてしまうのは一種の贅沢病なのか、それとも心の奥底の潜在的優越感からくる門地尊的発想なのかは、全く今となってはもうなにもわからなくなってしまった。その点、京都という町はとても住みよく自分が生きる上で非常に必要な世界なのではないかと思った。外界からはある種閉鎖的で、国内観光客よりインバウンド需要が高くて、学生街にある争いといえば学生同士のしょうもない酒マウントの取り合いと、堅気にはどうみても手を出さないヤクザの存在と、くらいだった。
 東京にあったような実家の太さであったり、年収がなんやら金金、、容姿がどうこう、パイプがどうこう、他人を否定するためだけに仕入れる情報、(個人の感想であってある程度自分にも理解はできるが納得感はないようなよしなしごと)を必死こいてしなくてはならないし、それが人生におけるすべてで他人と比べられる絶対の尺度だと思わされるような環境。それがすべてないのが、京都という町だと未だに思ってる。こんな東京の悪口を言いたかったわけではなく、あの東京という町とおれは完全に相いれなかったわけであってもう住まなければいいだけなのでなにも関係はない。今でもあの町への郷愁や哀愁は止むことはないと思うので、別の機会に書きたいと思う。
 

 何よりも今日死のうと思ったのは、世界が勝手に動いているからだと書いたが、自分はどこまでいっても他人に依存しながら生きているにも関わらず、孤独を好んで、どこまでも進もうと思っていたのにそこの孤独な環境ですらも仲間ができてとうとう自分が求めていた本当の孤独とはどこででも出会えなくなってしまったことにある。ある種自分が求めていた孤独は、アのライブハウスにあって、どれだけライブハウスに行こうと自分が認められることはなくて、孤独にただただ個人ですべてを楽しむ個人としてありたかったというのは個人的にあった。しかし、気づけば、好きな音楽を好んで聴いてくれる他人がいて、自分は結局他人に評価されることでしかまた生を実感できない矮小な自分に逆戻りしてしまっていて、そこでまた、死にたくもなり、また、それと逆に、生きたくもなった。何が起ころうと自分しか自分を理解できない。どこまでいっても所詮他人は他人であるし、自分の一部と同質化することすらできない異物であってその異物にすがりながらでも生を続けたくなってしまったことに対して自分はとてもおても死にたくなった。
 世間でいうめんどくさい人間であるとは思いつつそのめんどくささを保つためには自分一人で保つことはできないので異物とかかわることを余儀なくされるわけであって、それが個人的にはすごくめんどくさいというめんどくさいがんじがらめにあってしまってそれをやめるためには死ねばいいのかなと安直に思ってしまっただけなのだけども、個人的にはそのメビウスの輪をやめられることはすごく楽なことでかつ、必ずしも悲しいことではないのかなとも思う。

ある種、遺書みたいにはなってしまっているが、自分が死ぬときにはどれだけきつくなっても、世話になった人間にはちゃんと顔を合わせて、感謝と謝罪とを言って回って死ぬつもりだから、急に言われたときはちゃんと受け止めてできればそれを止めないでくれるとうれしい。まだ、たぶん自分はあまり人に感謝であったり、おそらく俺と仲のいい人間は少なからずおれに迷惑をしっかりかけられていると思うので、謝罪も伝えるつもりではいるから、どうかおれのそれらを伝えられるまでは生きていてほしい。そんなに遠くはない話な気も個人的にはしているので、きれいごとはいらなくてちゃんと受け止めてたしかにな~みたいな適当な相槌を打ちながら一緒にビールでも酒が飲めないやつはDr.pepperでも飲みながら話を聞いてほしい。そして、おれは先にやめるけどおれが好きな全員にはどうかどうかおれが戦って勝てなかった孤独だったり、めんどくささと戦ってほしい。「生きてくれ」そう言って笑ったお前ら全員を結局大事に思ってるからよろしくお願いしたい。

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