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自己ベストを更新し続けるために

「今までの人生で自分が一番輝いていた時って、いつだと思う?」

友人からの投げかけに、僕は躊躇した。
本当はもう、答えは決まっているのに……

とある休日。僕は学生時代の友人と、野球観戦に行った。
応援しているチームが勝ち、帰り道に気分良く回転寿司屋に入った。

最初はその日の試合について話をしていた。それなのに気づけばいつの間にか、人生について夢中で語り合っていた。
そのような最中、友人の口から出た言葉だった。

「そうだな……」

まだ答えを探しているようなフリをして、注文用のタッチパネルを操作する。
本当はもう、お腹はいっぱいなのに……

そんな僕に対し、彼は答えを急かすこともせず、じっと待っていた。
まあ、もう言うしかないよな。決心した僕は、答えを口にした。

「高校三年生の、時かな……」

そう。僕が今まで24年間生きてきた中で、最も輝いていたのは、高校三年生の時だ。
つまりは、大学受験の時だ。

あの頃は、第一志望校合格という目標に向かって、毎日努力していた。サボることなく、計画的に、やるべきことをやり続けた。
当然ながら、毎日が「無事に合格できるだろうか?」という不安との戦いでもあったし、苦しくもあった。
だけどそれ以上に、日々成長している実感を得ることができた。前に進んでいるという確かな感覚があった。
その快感を糧に、最後までやり抜き目標達成することができた。
あの時の自分は間違いなく、今までで一番輝いていた。少なくとも僕自身は、そう自覚している。

だけど僕は、それを認めたくはなかった。
今はもう社会人2年目。大学受験なんて、もう6年も前になる。過去の栄光に過ぎない。
それなのに今もまだ、あの時の自分を越えることができていない。
それどころか、あの時の自分に比べると、今の自分はありとあらゆる面で劣っているような気すらする。
今までも薄々気づいていた。だけど、口に出したことで、より一層自覚してしまったような……

「はあ……」

酷く、情けない気持ちになる。
この時の僕はもう、野球で勝ったことなんて完全に忘れていた。

「実はさ」

ここで、彼が口を開いた。

「オレも、そうなんだよね……」

なんと驚くべきことに、彼もまったく同じだという。
もちろん、「あの頃のオレ、すごかったぜ!」的な肯定的な意味ではなく、「今の自分情けない……」という、ネガティブな認識も共通だ。

「あの頃」と、「今」の差は、一体何なのか。僕らの議論は続いた。

「なんであの頃は、あんなに頑張れたんだろうなあ……」

湯呑みにお茶を注ぎながら、彼はそうつぶやいた。
僕も必死になって、答えを探す。

「うーん、多分だけど……」

思い当たったことを、僕は話し始めた。
「あの頃は、勉強して良い大学に入ることが、正解だって信じ切っていたんじゃないかな?」

そうだ。あの頃の僕らにとって、「良い大学に行く」というのは、人生において達成しなければいけない課題であり、唯一絶対の正解のように思えた。
実際はそんなことはないのに。良い大学に行く以外にも、人生を豊かにする方法はたくさんあるのに。
今なら、それもわかる。
だけどあくまで当時の僕らは、「良い大学に行く」というのが絶対的な正解だと信じていた。
だからこそ、揺らぐことなく目標を追い続けることができたのだ。

「じゃあなんで、今は仕事においてそれができないんだろう?」

おそらくそれは、選択肢がたくさんあるからだ。
様々な仕事が溢れかえる今の世の中で、「今の仕事こそが天職だ!」と断言できる人はそう多くはないだろう。誰もが悩み、迷いながら仕事を選択しているのが実情だ。
僕らもその内のひとりだ。
今の仕事をずっと続けていくべきなのか。それとも、自分にもっと向いている仕事を探すべきなのか。常に疑問を持ち続けている。

だけど多分、「天職」なんてものは探しても見つからないのだろう。
結局自分自身が、そう思い込めるかどうかが、その後の頑張りを左右する。
そこまでわかっていてなお、今の環境で頑張ることが正解だと僕は思えていない。
迷い、揺らいでいるからこそ、大学受験の時のように一途に努力を積み重ねることができていないのだ。

「じゃあなんで、あの頃は良い大学に行くのが正解だって信じていたんだろう?」

それは間違いなく、環境によるものだ。
親や、周囲の先生や、予備校の講師たちは皆、「良い大学に入る」ことこそが正解だと口々に言い、僕らを机に向かわせた。
勉強することに疲れたり、なかなか結果が出なくて苦しかったりした時も、勉強することこそが前に進む手段だと疑わなかったのは、周りのおかげだと言っても過言ではない。
そして何より大きかったのは、僕や彼も含めて、周りにいる誰もが、大学合格を目指していたことだ。これだけ皆が皆、同じ方向を向いていたら、その方向性に疑問を持つことなどないだろう。
でも……

「環境のせいにしても仕方ないよな」

そうだ。環境が違うのは当たり前だ。環境を言い訳に使っても、現状は変わらない。
「あの頃」と、「今」を比べても、そこには何も生まれない。
むしろ、どのような環境でも、向上していくことこそが真の成長だろう。

「ああ、そうか」

そうつぶやくと同時に、僕は湯呑みのお茶を一気に飲み干した。
そして彼に向かって、こう言った。

「オレら、知らず知らずのうちに、あの頃の自分がマックスだと思っちゃってたんじゃないかな?」

今日の会話の中で、僕らはずっと「今」と「あの頃」を比較してきた。そして「あの頃」の中から、「今」に足りないものを探し続けてきた。
自分が上手くいってない時、思いを巡らすのは、当然自分が上手くいっていた時だ。

「あの頃の自分はすごかった」
「あの頃の自分を取り戻したい」

そうやって、過去から答えを探そうとする。
だけどよくよく考えると、過去良かった「あの頃」の自分は、本当に100%なのか?
本当にマックスのパフォーマンスを出していたのか?

もし、この問いの答えがイエスだとしたら、僕の人生はもうピークを迎えたことになる。
これからは下り坂を、転がり落ちる一方だということになる。

ここは断固として、ノーだと言いたい。自分の限界は、まだ先にあるはずだ。

思えば一流のアスリートは、常に自己ベストを更新しようと努力し続けている。
そして自己ベストを更新しようとする時、目指しているのは過去の自分の記録ではない。
さらに、その先を見据えているはずだ。
さらなる向上を目指して、一歩を踏み出しているはずだ。

過去の自分を越えたいのであれば、過去の自分を100%に設定してはいけない。
通過点にして、さらに向上していかなければならない。

「記録は、更新されるためにあるよな」

そう言って、彼と笑い合った。
そうだ。向き合うべきは過去じゃない。今、そしてこれからだ。

お会計をして、寿司屋を後にした僕らはクルマに乗り込んだ。
それから、これからの人生について語り合った。

自己ベストを更新するために。
やるべきことはなんだってやってやる。


※この文章は、天狼院書店のメディアグランプリにも掲載されています。

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