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愛する人のしあわせを願うこと - 映画・『リリーのすべて』 -

 年始にファンタスティック・ビーストを観てからというもの、エディ・レッドメインにめろめろになりすぎて、Netflixでエディの主演映画・『リリーのすべて』を観た。なかなか文章にまとめられず観てから1ヶ月以上が経ってしまったが、ようやくここに記す。

 これは世界で初めて性別適合手術を受けたデンマーク人画家の伝記映画である。エディ演じるアイナーは、同じく画家の妻・ゲルダ(アリシア・ヴィキャンデル)の絵のモデルを手伝ううちに、胸のうちに眠っていた自分の女性の部分(リリー)を自覚するようになる。

 私はこの映画を妻・ゲルダの目線から観てしまい、とてもしんどかった。リリーをモデルに絵を描くと、いままでなにを描いても売れなかった自分の絵にみるみる評価がつくようになる。パリで個展を開く話まで舞い込むほどだ(アイナーはすでに風景画家として地位を築いており、夫婦内で画家としての実力格差があった)。ゲルダは多くの絵を描くため、アイナーに女性の格好を何度もさせる。その度に彼は「リリー」になることにのめり込んでいってしまう。

 アイナーもはじめのうちは、モデルの時間以外でリリーになることを隠れてしていた。しかし、周囲に女性としての自分が認められていくうちに「アイナーという殻をかぶること」ができなくなり、ゲルダの前でも常にリリーでいるようになる。たしかに彼女を描くとゲルダの画家としての価値は上がっていくが、ゲルダは「アイナー」を好きになって、「アイナー」と結婚したのである。夫が夫でなくなっていく中で、彼女は涙ながらにリリーにこう言う。

「夫が必要なの。彼を出して」

 でも、リリーはその言葉に対して首を横に振る。自分にとっての本来の姿は男性ではなく女性だから。

 この映画の時代背景は1926年頃。当時はおそらくだが、『トランスジェンダー』という名称もなかったと思われる。リリーはゲルダと共に様々な病院にかかるが、『精神分裂』などと診断されてしまうくらいだから。けれど、最後に出会った医者は言う。「(身体が男性だったとしても)自分を女性だと思うことは間違っていない」と。そして性別適合手術の話を持ち出す。自身の身体が自分のものではないと感じていたリリーにとっては、まさに天啓のような話だ。本当の自分の姿を取り戻すことができるのだから。

 ゲルダにとって、リリーの望みは彼女をしあわせにしない。愛した夫を本当に失ってしまうからだ。しかしゲルダはあらゆる葛藤を抱えつつも、最終的に自分のしあわせより「愛する人のしあわせ」を選び、リリーを支えていく。「あなたは私のすべて。生きてほしいの」と。リリーも、そんなゲルダにこう言う。「君を愛している。本当の自分に気づかせてくれた唯一の人だから」。性別を越えた、人と人の「究極の愛」に心が揺さぶられる。と同時に、「自分がゲルダと同じ立場になった時、相手のしあわせを願えるか?」を考えられずにはいられなかった。私はどうするだろう? まだ答えは出ていない。

 それにしてもエディ・レッドメインの演技力たるや、心の底からため息が出てしまう。リリーの仕草の可憐さや見た目の麗しさ、そして女性になっていくことへの喜びを繊細に表現している。リリーが本当にかわいくて愛らしくて、もともとは男性だったこと、演じているのが男性であることを忘れてしまうほどだった。デンマークやパリの街並み、衣装もとてもうつくしいので、テーマは重いがぜひぜひ観てほしい。


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