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謝ると自分の価値が下がる? - 質問箱の回答 -

こんばんは。
仕事から帰ってきてごはんを食べたあと、気づいたら寝落ちしていました。Mステスペシャルも『スパイダーマン ホームカミング』も見逃すという失態。とほほ。

今日は質問箱への投稿に回答しようと思います。
答えるまでに時間がかかっちゃってすみません。

初っ端から結構重めの質問(というかお悩み相談?)で焦っています(笑)
私ったら納得いただけるだけの回答ができるのかしら、、、

* * *


ご質問ありがとうございました。
分からんでもない気がします。というか、私もちょっとその気があるのかも? 「これに関しては自分は悪くない」と思っていたら、とっさに謝れないタイプです。その場を丸く収めるために適当に謝っとけ、みたいなことはできません。頑固なんでしょうね、、、(笑)


謝ることで下がる「自分の価値」とは?

回答をする前にまず、質問の内容を掘り下げていきましょう。
私が質問を読んでいて最初に気になったのは、質問者さまの感じている「謝ることで下がる『自分の価値』」とはなんなのか? です。

おそらく大前提として、謝れない時の私と同じように「自分は悪くない」と思われているのではないでしょうか?
そして、そういった場合に謝る=「相手に屈するということ」として捉えているのかもしれません。

細かく紐解いてみると、以下のような気持ちになっているのかなと思います。

・相手に「借りをつくってしまった」感がある
・ゆえに、相手より「下位の存在」になってしまった感がある
・ゆえに、自分の信じる「正しさ」が揺らいでしまった感じがする

どれも当てはまっていないかもしれませんが、
私がパッと思い浮かんだことでいうと、こんな感じでしょうか?

なんとなく「相手に負けた感」がして、「自分の優位性」や「自分の正しさ」が揺らいでいる。そういう風に感じているのかもしれません。つまり、ここでおっしゃっている「自分の価値」とは、この「優位性」、「正しさ」なのではないでしょうか?


自らが非を認めないことで「自分の価値」は守れるのか?

質問者さまに本当に非があるのかどうかは、その時の状況によって異なると思います。まじで悪くない時も、もちろんあるでしょう。でももし仮に、一部でも「ちょっと悪い」があった場合はどうでしょうか?

それを認めないことで「自分の価値」って守れるのでしょうか?


私はことあるごとに「あぁ、よかった」と思うことがあります。
それは、「『自分が100%正しい』と相手に押しつけていなくてよかった」です。

先ほどもお伝えした通り、私自身も「自分は悪くない」と思っていたら、簡単には謝れないタイプの人間です。「お前が悪い」、「お前のせいだ」と言われても、だんまりを決め込みます(笑)

だから偉そうにアドバイスする資格はないに等しいです。
なので、私個人の発見として聞いてください。

「自分が100%正しい」ことって、実はあんまりないようです。
というか、そう思っていたけど「そうじゃなかったんだ」とのちに気づくことは多いです。

私が「絶対にAだ」と思っていることに対して、「いや、Bでしょ」という人がいたとします。
自分が「絶対だ」と強く思えば思うほど、相手の意見を立体的に捉えることができません。「なぜ相手がBだと思っているのか」という背景を考えられなくなるのです。

のちのち、本人から、また他の人から「Bだと主張しているのは、実はCという理由があるから」と聞かされることは往々にしてあります。
その時に、「あの時に『絶対Aだから、A以外を考えることは無理です』と押し通してなくてよかった」と胸をなで下ろすのです。いらぬ対立を生まなくてよかった、と。
きちんと話を聞けば「Cという理由」について、自分も納得できることがあったりします。完全に同意できなくてもいいんです、一部でも。

(私はビビリなので、意見が対立したら自分の主張は一旦引っ込めます。時には相手の意見を通してしまうことがあります。でも、「なんで相手がBと主張してきたのか?」を突っ込んで聞くことができず、しばらくモヤモヤを抱えつづけることもあります。結局「Cという理由」を聞いても納得できない時もあります(笑))


「自分の正しさ」というのは案外、「自分から見たら正しいかもしれないけれど、それが他人には当てはまらない場合がある」と思います。

なので、「自分の正しさ」は、半分くらい主張するのがちょうどいいような気がします。あとの半分は、「相手も正しいかもしれない」という気持ちで、相手に問うてみたらいいのです。「どうしてそう思うんですか?」と。

そうしたら、「自分が正しいと思っていたもの」がそんなに絶対的なものでないと気づきます。ゆえに自分が感じていた「優位性」って大したことがないというか、そもそも優位に立ってすらおらず、「うわー、なにを勘違いしていたんだろう」と赤面することすらあるかもしれません。

自分が「価値」だと思っていることには、意外とそんなに価値がない可能性もあります。


どうしても損得(貸し借り)で考えてしまう場合

それでも、どうしても損得感情や貸し借りのように感じてしまう場合もあるでしょう。でも、それはそれでいいのです。

『人生、だいたい他者とのギブアンドテイク』

そう思えていれば、話は早い気がします。


知り合いに、すぐ不機嫌になるこわい人がいます。
周りの人たちも、なぜかこの人を不機嫌にさせないように気を使っています。

「そんなに神経をすり減らして、この人に媚を売る必要はあるのか?」と
私はイライラする気持ちを抑えられない時があります。
でも、やっぱりその人にしかできないことや、その人に任せておけばことがスムーズに進む場合があります。

だから結果、その人のご機嫌を取っておいたり、相手の不機嫌が爆発した時にこちらから距離を置いて反感を買わないようにすることは、意外と自分ののちの利益につながります。

人間関係は信頼の蓄積で成り立っているんだなぁと最近思います。
気が抜けなさすぎて、ちょっとこわいなと感じることもありますが、、、

なので、最初に自分が損(借りをつくる)をしたとしても、
いつかまわりまわって得する(貸しをつくる)ターンがやってくるのです。

と思えば、ちょっと楽になりませんか?
目先の感情ももちろん大切なのですが、グッとこらえた方がのちのポイントになることもありますよ。

これは己との戦いですよね。
私もがんばるので、一緒にやっていきましょう。


考え方の良し悪し

最後に。
質問者さまは「この考えはよくないですかね?」と書いてくださっていますが、そう聞いてくださっているということは、少なからずすでに「よくない」と思っているのでしょう。

周りから言われたからとか、自分でもなんとなく思っているから、とか。

はっきりと「良い」、「悪い」で二分できないですが、「この考え」を押し通すことがどういうことにつながるか、ここまで読む中で気づいてくださったのではないでしょうか、、、

* * *

はい、ということで、渾身の2800文字でお答えしました(笑)
いかがでしたでしょうか?

結局、人間の抱えるお悩みを紐解いていくと「コミュニケーションの取り方」につながってくるなぁと気がつきました。

私もまだまだ、精進します。
だってこんな偉そうなこと言えるような人格者じゃないもの!(笑)

それでは!

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お気軽にどうぞ。


最後まで読んでくれて、ありがとうございます!