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「カーナビのレジェンド」はMaaSをどう捉えるのか。 今井武さんに聞く、社会に必要なモビリティ・サービス【spods creator's talk】

「移動する新しい場」をつくるspodsのプロジェクトには、多様なクリエイターや専門家が集まっている。

「モビリティは道具。本当にいいサービスを作りたい」

そう語る今井武さんも、一緒にDIYで汗を流すspodsメンバーのひとりだ。

今井さんは、自動車メーカーの本田技研工業(以下ホンダ)で長年「カーナビ」の開発をリード。東日本大震災の際には、ホンダ独自の通信ナビをもとに「通行実績情報マップ」をインターネット上に公開。被災地の道路情報が、ライフラインの確保や復興支援の活動を支えたとして、2011年度のグッドデザイン大賞を受賞している。

その後、“車の電気屋”としては初めてホンダの役員待遇参事に認定。2015年に定年退職した後も、ライフワークである安心で楽しく豊かなモビリティ社会を目指したサービス開発や、防災に関する取り組みを推進している。

いま、「MaaS」(マース)で、人々の移動が変わろうとしている。

今井さんは、MaaSの時代に求められるサービスをどう考えているのか。これまでの歩みをふり返りながら、モビリティの未来について語ってもらった。

MaaS:"Mobility as a service(サービスとしての移動)"の略。自動車や、バスや電車などの公共交通も含めて、個々の移動のニーズに応じ、それぞれの特徴を生かした異なるモードの交通サービスを、スムーズかつシームレスに実現すること。カーシェアリングやライドシェア、オンライン配車サービスなどもMaaSの一端を担うサービスである。


「カーナビのレジェンド」がspodsに参加する理由

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今井さんは、当初からspodsのバスづくりをサポートし、週末や平日に工場に顔を出して、DIYを推進してくれている心強い存在だ。

「カーナビを創ったひとり」といわれる今井さん。ホンダを定年退職した現在も、モビリティと防災に関する取り組みや、MaaSに関する講演など、多岐に渡る活動をされている。

そんな今井さんは、なぜspodsのプロジェクトを面白がってくれているのだろうか。すると「サービス」に対する思いを教えてくれた。

ホンダをやめて、もう車はつくれないわけです。でも車はつくれないけど、サービスはつくれる。社会的に意味があったり、社会課題の解決に繋がったりするサービスがずっとつくりたかったので、それがここで実現できるな、と」

自動車を通じて、人や社会の必要とするサービスを向き合ってきた今井さんならではの言葉が返ってきた。背筋が伸びる思いである。

世界初の「カーナビ」は自動運転を見すえた技術だった

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まずは、今井さんのサービス開発の歩みを丁寧に紹介したい。第二次オイルショックの直後、新卒でホンダに就職したのは「縁だった」とふり返る。

「車が好きだったけど、自動車メーカーに特別思い入れがあったというよりは、縁があった(笑)。就職難で10社受けて全部落とされたの。ホンダだけがとってくれたんです」

大学ではプラズマディスプレイを研究していた今井さん。入社当初は、“車の電気屋”として、メーターやナビゲーションなど情報系機器の開発に携わっていたという。

1981年、今井さんの先輩がカーナビの第一号機を発売し、次の世代からナビゲーションの開発を統括するようになる。

ところで、みなさんはご存知だろうか。今でこそカーナビは、ほとんどの車に実装されているインフラのひとつだが、世界で初めて開発したのはホンダだったということを。

「ホンダが世界で初めて開発をしたんです。なぜ開発したかというと、将来の自動運転時代を見すえていたんですよ」

え、カーナビが自動運転のための技術? 一体どういうことなのか。

当時のホンダは、3つのプロジェクトを走らせていた。「ナビゲーション」と、ブレーキを自動的に踏む「ABS」(アンチ・ロック・ブレーキ)。そして一定の速度で走行する「クルーズコントロール」だ。

当時、車はどこを走っているかわからないものだった。そこに「ナビゲーション」の技術があれば、車の位置を特定できる。「ルート誘導」できれば自動運転につながるーー。

ホンダは、自動運転時代を見すえて、自社でこれらの技術を開発し、できたものから商品化していく方針を決めた。カーナビの開発は、そのために必要な技術のひとつだったのだ。


お客さんから寄せられたクレームの山

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とはいえ1980年代は、地図データもない、デジタル機器もない。テレビもブラウン管の時代である。当時のカーナビはどんなものだったのか。

今井さんが、当時の仕組みを説明してくれる。

「地図のメディアも、後にCDになるわけですけど、OHPにカラー地図を焼き付けて、透明のフィルムのカラー地図を作って、それをブラウン管の上に合わせたんです」

コンピューターが、車の位置データと、どれだけ車が曲がり、どれだけ前に進んだかのデータをもとに、車の軌跡を出す。ユーザーは、フィルム上の地図の道路に、その軌跡を合わせることになる。

「一回合わせると行くんですけど、フィルムは自動的に交換できないので、あるところまで進むと交換しないといけない。自分で(地図を)取り出して、ブラウン管上に貼りつけて…」

なかなか大変だ。現在と比べると手間のかかるサービスだったことが想像できる。

後に、今井さんらは地図情報をデジタル化。レーザーディスクを経てCDに記録した。一歩ずつカーナビ技術やルート案内の精度が向上し、ユーザーが増えるにつれて、新たなクレームが寄せられるようになる。

「単に目的地へのルートを誘導する道具でしかなかったものに対して、次第に、渋滞情報がわかればもっといいルートが出るとか、『なんでこんな道(を案内するのか)?』と、クレームが来るようになったんです」

最大のクレームは、「いいルートが出ない」と「地図が古い」の2つ。クレームはニーズの裏返し。このクレームが、ホンダ独自の通信型ナビ「インターナビ」の進化につながっていく。

一元化された道路情報はどこ? カーナビ開発の苦悩

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こうして2002年、今井さんのチームは、ホンダのクラウドからドライブに役立つ情報を提供する通信ナビ「インターナビ」を発表。翌年には「インターナビ」を搭載する車の走行情報を集めて、世界初となる最適ルート誘導システムを実用化した。

「ホンダの車をセンサーにして、ある道路を何分かかって通過したか、ある地点からある地点までの走行にかかる時間をみんなにアップしてもらって、VICS(道路交通情報通信システム)のデータと合わせて提供する。ホンダ独自の交通情報サービスになりました」

当時、車自体をセンサー化し、交通情報をつくることは世界初の試みだった。 どうして走る車から情報を集めるアイデアが浮かんだのだろう?

端的にいうと、カーナビに使える地図データを、一から作る必要があったのだ。

1997年に発表された最初の「インターナビ」は、官民共同で作り上げたVICSのデータをもとに渋滞情報を配信していた。しかし実際には、VICSには主要道路のデータしかなかったり、県をまたぐ情報がなかったりするなど、カーナビのルート誘導には不完全なものだった。

「渋滞情報が的確に車に入ってくると、渋滞を避けるいいルートが引けるようになる。そこでホンダのインターナビ車両をセンサーにして、走行データを会員同士で共有する仕組みを作りました

「そして道路交通法も改定してもらい、民間事業者でも交通情報を扱えるようにしてもらいました。『地図が古い』ってクレームばかりだったので、道路が開通したら地図がアップデートできるように作りあげれば満足してもらえる。そう思ってやってきました」

こうして、ホンダの「インターナビ」は生まれた。自社サービスに対するクレームに、真摯に向き合ったからこそ生まれたサービスだ。

「車のなかのお客様とのインターフェースをベースにして、もっとお客様にとって喜ばれる製品をどう実現したらいいかを考えてきました」と今井さんは話す。


東日本大震災の夜、今井さんがやったこと

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ホンダ車のユーザー向けサービスだった「インターナビ」。2011年の東日本大震災をきっかけに大きな転換を迎える。

震災直後に、インターナビを通じて集めた被災地の「通行実績情報マップ」を、インターネット上で一般に公開したのだ。

「インターナビ」に集まるホンダ車のデータは、被害の全容が見えなかった被災地で、どの道が通行できるのかを知るリアルな道路情報だった。

今井さんは、3.11当日をふり返る。

「まず何をしたのかというと、お客さまに対して、ちゃんと情報が提供できているかどうか。津波情報や地震情報を出せる仕組みにしていたので、被災地を走っていた車に配信できていたかどうか、すぐ確認してくれ、といいました」

「ちゃんと配信できているとわかったのが、3月11日の夜。一安心したんですけど、情報が届いているかどうか確認しようにも調べる手段がない。自分たちの技術で何か支援できることはないかと考えたときに、ライフラインにとって道路情報って極めて重要だな、と」

「すぐ関係者4人に集まってもらって、この情報を配信しようと決めました。ホンダ車だけじゃなくて一般にオープンにしようと作業に取りかかりました」

徹夜で作り上げた「通行実績情報マップ」は、翌朝10時半に出来上がった。

Twitterに投稿すると、瞬く間に著名人をはじめ多くの人に拡散されて広がり、3日でリツイート数は160万を超えた

「Googleと連携し、Googleの災害サイト(Googleクライシスレスポンス)にも出して。その後Yahoo!にも出してもらいました。国交省とか経済産業省とか、知っている官僚の人たちや防災関係の研究者にも『この情報を使ってくれ』と送りましたね」

今井さんが、ナビゲーション開発を通じて繋がった道路や防災の関係者との幅広いネットワークが、迅速な情報伝達につながったことがわかる。

「自衛隊や消防団の人たちが、その情報を使って被災地に入れたといってくれて。被災された場所はそれどころじゃないから、被災地を支援する人たちが使ってくれましたね」


社会をデザインした「インターナビ」の取り組み

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「通行実績情報マップ」は、2011年度のグッドデザイン大賞(内閣総理大臣賞)受賞

「車メーカーだし、グッドデザイン賞はデザイン部門がもらうじゃないですか。関係ないと思っていたんだけど、デザイン部門の責任者が、『社会のデザインっていう分類があるから応募したら?』って出してくれたんですよ

「僕は被災したわけじゃないので大変恐縮ですが」と前置きしながら、今井さんは「社会貢献活動のデザイン」として受賞した意義を紐解いてくれた。

「社会への貢献度とともに、これからの社会のありかたを導く可能性が顕著であること。また、人と情報の関係をより良くするための創造的な取り組みで、デザインの視点や手法を活かすことが求められる領域であることを審査員の方々が評価してくれたんですね」

ちなみに、「通行実績情報マップ」の公開にあたっては、誰にも相談しなかったいう。

今井さんは「翌朝、役員に『公開しておきました』と報告したんですよ」と微笑んだ。

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この事例は、車の走行データは重要な個人情報だが、震災時の「通行実績情報マップ」は、一人ひとりの情報を集めることで、広く社会に役に立つことを多くの人が体感する出来事となった。後に「オープンデータの走り」といわれたという。

自動運転時代を見すえた一大プロジェクトだったからこそ、普及するまでに時間はかかったが、世界初の「インターナビ」が生まれた。

当たり前だが、優れた技術は一朝一夕にできあがるわけではない。

時間はかかりますよね。エアバッグも、ホンダが世界で初めて開発したんですけど、25年かかりましたから。ナビゲーションも、まだまだ全然満足できるものになっていない。本当に途中です」

防災はインフラ。すべての人に適切な防災情報を

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今井さんは現在、MaaS時代の防災プラットフォームに関する取り組みも進めている。災害大国の日本。モビリティが変われば、災害時の対応も変わってくるだろう。

「災害は、来るときには来ます。そのためには、ちゃんと情報提供をしていかないとダメだと思っています。実際に、残されたデータからわかることがあります」

「(震災時の被災地では)逃げる方向に動いている車もあれば、情報がなくて、津波の方に向かった車も多かった。石巻では女川から帰ろうとする車で超渋滞が発生しそこに津波が襲いました」

東日本大震災では、震災で亡くなった人の約6%が車の中で亡くなったという。その数は、約14万台にのぼる。防災情報がちゃんと届いていたら、その数字は変わっていたかもしれない。

「防災はサービスじゃない。でも絶対なくちゃいけないもの」と今井さんは語る。

「MaaSや自動運転車においても、こういう情報は極めて大事なので。防災関係の情報は、多くが行政に集まってきており、自治体はそれらを地域住民に使っています。それを移動中のモビリティに向けて社会実装基盤を作ろうとしています」

「例えば、道路上のサイネージも設置されている座標がわかるので(防災情報は)提供できる。移動中の人に広くわかるようにしたいですね」

「いろんなサービサーが出てきて、いろんなMaaSが出てきても、なんかあったときには防災情報がパッと出てくると、MaaS車両や自動運転の車が(災害リスクを)回避できる。そういうことができるプラットフォームでありたいですね」

本当に社会に役立つモビリティのサービスを

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spodsは、完成したバスに道具箱をつめ込んで、現場に行って、新しい“移動する場”を作ろうとしている。

「カーナビ」を通じて、人が目的地にたどり着くサポートをしてきた今井さん。「spodsのメンバーが話していた『目的地を作る』という発想は、自動車会社にいた人にとっては新鮮です」と話す。

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バスをつくるDIYの時間を過ごしてみて感じることは? 今井さんは「spodsの財産は、人」とつぶやいた。

「一流の人たちのネットワークはすごいなと思うし、spodsの財産って人なんだろうなと思います。、新しいことをやろうとしたときは、やっぱ人じゃないですか。そのネットワークですよね」

今後、spodsに集まってきたら面白い人は、どんな人だろう?

自治体の面白い人。民間企業以上に、自分の街を変えなきゃいけない、という想いがある。すごく熱い人たちがいるんです。自治体って成功事例が全部共有されるんですよ」

これからの社会に役立つモビリティのサービス。ちゃんと実装していくには、たしかに自治体の人のアイデアや視点も必要だろう。

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今井さんにとってspodsとは何か。図々しくも聞いてみた。

すると「生きがい」という言葉が帰ってきた。

「この歳になって、こういうかたちで社会課題解決の貢献ができる。自己実現です。自分が限界に感じていたことが、このチームの人たちとなら達成できるんじゃないか」

バスの改造DIYは、spodsのはじまりにすぎない。

大先輩の今井さんとともにモビリティの可能性を広げていきたい。大移動時代の新しいサービスは、人々や社会を豊かにするはずだ。

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photo: Eriko Kaji, Yuko Kawashima
text: Neko Sasagawa

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