あのころを語ろう 第2回(無料配信)

日本リーグのトップレベルで活躍する選手に、ハンドボールを始めた時からこれまでのことを振り返ってもらう連載の第2回(2013年8月号掲載)を無料配信します。

「中学生の時の基礎・基本がなければ、ここまでできなかった」

私のハンドボールの原点は、大浜中(大阪)時代に教えてもらった基礎・基本にあると思っています。高校や大学でも多くのことを学びましたが、この時期に走り込みよりも、みっちり基礎・基本の練習をしたおかげで、そのあとに伸びる素地ができたと感じています。

当時の練習は、フットワークや走り込みではなく、投げ方や歩き方などの基本練習ばかりでした。かかとから入ってつま先を使う歩き方やヒザの使い方など、細かなところまでていねいに教えてもらいました。今のシュートフォームも中学生の時に身につけました。私は小学校4年生からハンドボールを始めていたので、すでにボールの投げ方にクセがついていました。だから、投げ方を直すのには時間がかかり、苦労しました。

フォームを直すために、壁にボールを投げる姿をビデオに撮って、何度も確認するという練習を長い間していました。

もちろん、大会が近づけば、試合形式の練習をしていましたが、それ以外は基礎練習ばかり。そこに費やす時間が多かったので、2年間ほどかけてキレイなフォームに修正することができました。

この基礎・基本があるから今の自分があると思っています。シュートも基本がしっかりできているからこそ、崩したシュートが打て、応用が効いてくる。この時期がなければ、ここまでできなかったかもしれません。

ですが、こういった練習はやはり地味なことを何度も反復するものなので、当時はつまらないと感じることもありました。

意味のある練習に対しても「これをやったらこれが身につく」という考えが自分になく、ただただ先生に言われた練習をこなしているだけでした。そういったこともあり、「これで本当に伸びるのかな」という不安はありました。
それでも、3年生の全国大会では日本一になることができました。その時、「あの基礎練習をしてきたよかった」と思いました。

喜ぶのは一瞬だけ

宣真高(大阪)では基本的なプレーよりも遊び心あるプレーを教えてもらいました。
バックパスやフックパス、さらにはシュートのしゃくりなど、ちょっと違ったプレーですね。

7mスローではほとんどしゃくりで打っていました。高校生の女子でしゃくりを打てる人はほとんどいなかったので、GKはびっくりしていたと思います。自分でもしゃくりが打てると初めは思っていませんでした(笑)。

バックパスも普段の練習から意識していたので、2年生の時には使えていた覚えがあります。

私はこういったプレーもハンドボールをするうえで必要だと思います。もちろん、基本に忠実なプレーは必要ですけど、それだけでは通用しません。同じように遊び心あるプレーだけでもダメ。適切なタイミングでバックパスを使うことができれば、効果的に攻められます。

技術的なことはよく覚えていますが、高校で具体的にどんな練習をしたのかは、あまり覚えていません。練習も試合も、とにかく楽しい時期でした。苦しい思い出は残るものですが、楽しい思い出はなかなか印象に残らないものですよね? それほど練習がきつかったという印象もないです。

高校1年生の富山センバツ(01年)で優勝することができましたけど、この時の試合内容もほとんど覚えていないです。大会前の近畿予選で手応えを感じて「勝てる」という自信があったのは覚えているんですけどね。

この時、喜んだのはその一瞬だけでした。これは今も変わらないんですけど、私、これまでも優勝の場面ではあんまりよろこんでいないんですよ。うれしいのは試合終了のブザーが鳴った一瞬だけ。感動しないということではなく、その一瞬でうれしさがばーっと出て終わりという感じですかね。

センバツ優勝の時も、チームのみんなが抱き合ったりして涙を流している間、私と植垣(暁恵、元広島メイプルレッズ)だけはベンチの片づけをしていました(笑)。

次の年のセンバツでも準優勝し、春はいい成績を残せていました。でも夏に弱かったんですよね。

春夏連覇を狙った01年のインターハイは、2回戦敗退。3年生の時は大阪府予選で負けてしまい、出場すらできませんでした。この試合は今までで一番つらかった試合ですね。そのあとの国体を断ったこともあり、この試合が高校最後の試合になりました。

考える力を身につける

大学進学を考えた時、今までのチームメイトと同じ大学へ行くという道もありました。でもあえて違うところにしました。長年プレーしていたので、わかりあえるところは多かったですが、「このままだと私は変われない。もっと成長したい」と強く思い関東の東女体大に進学しました。

じつはこのころまでは、自分が『エース』だという意識はありませんでした。『エース』という自覚を持ってハンドボールに取り組み始めたのは大学3年生になってから。自分が下級生だったころ、上級生にプレーで助けられた経験もあり、次は自分が引っ張る番だという気持ちがありました。

ハンドボールに対する考え方が変わったのもこの時期でした。それまではなんとなくプレーしていて、自分がどのタイミングで打ちたいのかしっかりと理解していませんでした。そこで、自分が『エース』としてなにができるのか、試合に勝つためになにが必要なのかと考えるようになりました。考え方が大きく変わり、大人になるってすごいなとも感じていました。

私自身もそうでしたが、中学生や高校生の時に、あまり考えず先生に言われたことだけをこなしている選手って多いのかなと思います。今となっては、その時期にもっと高い意識を持って練習やそれ以外の場面にも取り組んでいれば、さらに成長している部分があったのかもしれないとも思っています。

例えば私の場合、中学生の時にタオルを持って振るということをしていました。タオルさえあれば、だれでも簡単にできますし、フォームがキレイになるのでずっとやっていました。

今でもシュートフォームが崩れているなと感じると、この練習をしてフォームを戻しています。

あと、手首を鍛えるパワーボールをひたすら回していました。中学生の時、スポーツ用品店で見つけて、私はできないのに、隣の人はキレイに回しているのを見て、私の負けず嫌いに火がついたんです(笑)。

その場で親に買ってもらい、回せない悔しさから空いた時間はほとんどパワーボールを回していました。鍛えるというより、「キレイに回してやる」という遊び感覚でやっていたことが続けられた理由かな。結果として、これのおかげでリストが強くなったと思っています。

また、10代のみんなには、あいさつなど私生活も含めたすべての基本を大事にしてほしいですね。基礎・基本がしっかりしていれば、崩れてしまった時に戻れる場所があるのがわかります。その場所を作るのは中学や高校の時だと思います。

それに加えて、自分なりの楽しいトレーニングを発見して、続けていってほしいですね。

藤井紫緒/ふじい しお
1985年3月27日、大阪府生まれ/左利き/BP
大浜キッズ(大阪)→大浜中(大阪)→宣真高(大阪)→東女体大→武蔵野クラブ→オムロン
164cmと決して大きくはないが、左腕から放たれるキレのあるシュートでオムロンと日本代表の攻撃を支え、北京、ロンドンの五輪予選を経験。世界選手権にも4回出場している。
日本リーグではMVP1回(08年)、ベストセブン5回受賞。

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あのころを語ろう

『スポーツイベント・ハンドボール』の連載『あのころを語ろう』を無料公開したものです。
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