あのころを語ろう 第3回 富田恭介選手(トヨタ車体)

間が空いてしまいましたが、月刊誌『スポーツイベント・ハンドボール』の大好評連載『あのころを語ろう』の第3回を無料配信します。

ハンドボールとの出会いは中学生の時です。僕には双子の弟がいて、その弟が野球をやっていた影響で、高校に入ったら野球をやろうと思っていました。
ただ、そのために中学では一度別のスポーツをと思い、富岡南中でハンドボール部に入ったんです。その時も「絶対にハンドボールがしたい」ということではなく、仲のいい友だちといっしょにやってみようという感じでした。

でも、始めてみると、「投げる・跳ぶ・走る」といういろいろなスポーツの要素がハンドボールには入っていることを感じて、中学の3年間でおもしろさを知ってしまった。それに、ハンドボールがきっかけで富岡高に進む道も開けました。

ポジションは高2までバックプレーヤーでした。だから今、ポストプレーヤーとして動きながら、バックプレーヤーの気持ちがわかる部分があるのはよかったところですね。

中学校の時は175㎝ぐらいで特別大きいわけでもないし、とにかく細かった。それが高校入学のタイミングでグっと伸びて、高2の時点では190㎝手前までありました。でもやっぱり身体は細くて力もないので、強いボールは投げられないし、ケガが多かったです。技術的にも中高時代は基礎ができていなくて未熟でした。

だから、ハンドボールは楽しかったんですけど、反面、部活動自体は大変だった思い出が多いですね。先生にもよく怒られました。

そんな中で、高2の時に左ひざの半月板を負傷して、1年ほど休まないといけなくなりました。焦る気持ちはありましたが、「ここで無理したら絶対ダメだ」と思ってしっかり治しました。

その代わりに高校では試合にもあまり出られなかったし、うまくいかなかった時期でしたね。ケガを機にポストに転向し、チームはインターハイでベスト8に進んで、チームメートは進路が決まっていきましたが、自分にはあまりいい話はありませんでした。

でも、そんな時に蒲生(晴明、元日本男子代表監督)さんに声をかけていただき、中部大に進学することになりました。

中高時代、思いどおりにいかないことがたくさんありましたが、それでもくさらずに続けていれば、チャンスはあるんです。みなさんも、それを信じてコツコツやってほしいと思います。

明確な目標を立てる

大学に入って大きく変わったのは、「しっかり目標を立てる」ということです。蒲生さんに「アジアナンバー1のポストをめざせ、世界をめざせ」と言われ、その先のオリンピックまでイメージしながら、大きな目標に向かうようになりました。

蒲生さんに出会って、自分で本当にめざそうと思って目標を立てれば、そこに向かってがんばれるということを実感したんです。

大学1年のとき、189㎝で73㎏しかありませんでした。これでは大学レベルでも全然ポストとして通用しません。だから、チームでのウエイトトレーニングに加えて、個人でも4年間継続してトレーニングをして、4年時には92㎏まで増えました。

身体ができてくると、できるプレーもどんどん増えてきます。不器用でしたが、できることが増えると自信もついてきます。そうして、1つひとつ目標をクリアしながら成長することができました。

もちろん、うまくいかない時期もありましたけど、そういう時は考え方を変えたり、プレーを変えたりと、つねに前向きに取り組んでいました。
やっぱり大きかったのは蒲生さんとの出会いです。目標を立て、身体を作り、1年生の時はボールの投げ方から教えてもらいました(笑)。今もこのレベルでプレーできているのはこの出会いがあったからこそです。

守備技術はやっただけ身につく

技術の部分で言うと、僕は大学に入った当初はOFよりもDFの選手だったので、1対1や2対2の守り方の基礎を教わりました。この基礎が実業団チームに入ったあとも役立ちました。

OFはセンスがないと、すぐには上達しない人もいると思います。でも、DFに関しては、練習した分だけ技術が身につきます。自分は不器用だと思っている人でも、とにかくやってみてください。そして、DFがわかってくると、ハンドボールはよりおもしろくなりますから。

大学卒業後は、大同特殊鋼で3年間プレーし、守備の面ではある程度結果を残せたと思いますが、ポストプレーヤーとしてはまだまだ。世界と戦うためにどうすればいいかと考え、移籍という道を選びました。

紆余曲折があって韓国のコロサでプレーし、2年前に日本に戻って、今はトヨタ車体に在籍しています。

コロサでは、韓国の地で1人で戦ったことで度胸がついたと思うし、助っ人として自分がチームを勝たせるんだ、存在を認めさせるんだ、と強く思うようになりました。こういう気持ちは、日本に戻ったあと、自分のストロングポイントの1つになりました。

コロサを退団したあと、車体入りするまで半年ほどチームが決まらなかったんです。その時には「移籍は失敗だった」とか、「あいつはもう終わりだ」みたいに言う人もいました。

でも、僕はそんな経験も含めて成功だったと思っています。

それに、失敗してもいいんじゃないかな。結果として失敗だったとしても、自分が決めたことにチャレンジしなかったら、きっとそのあとで後悔します。

移籍で失敗したと言われた僕だって、今、選手としてまだまだレベルアップできる環境にいられて、日々チャレンジしているんだから。

チャレンジしよう

人それぞれ、めざすレベルが違うのは当然ですが、その中で、早くから大きな目標を立ててほしいと思います。僕は大学生になってから、具体的な目標を持ってハンドボールに取り組むようになりましたが、高校から同じようにしていれば、また違っていたのかな、と思うこともあります。

例えば、「ハンドボールでトップをめざすんだ」と思っていても、漠然としかイメージできていないのと、具体的にめざすところがイメージできているのとではぜんぜん違います。そこにたどりつくために必要な努力のレベルがわからないんです。

僕は大学で蒲生さんから世界のハンド界の話をたくさん聞いて、プレーのビデオも借りて観ていました。「世界にはこんなにすごいプレーがあるんだ」と大きな影響を受けましたね。

そうして、「オリンピックをめざす」ということを明確に目標に置きました。そのためには実業団でプレーする必要があって、大学で終わらないために、日々課題をクリアしていく必要があるということがわかります。

大きなゴールがちゃんと見えていれば、中期的な目標、短期的な目標も見えてきます。

そして、世界をめざしたいと考えているなら、早いうちから海外に出てプレーすることもイメージしてほしいですね。実業団で活躍して、とかではなく、高校生や大学生のうちから世界に飛び出してプレーしみるものいいのではないでしょうか。

富田恭介/とみた きょうすけ
1983年11月11日、群馬県生まれ/190cm・97kg/右利き/PV
富岡南中(群馬)→富岡高(群馬)→中部大→大同特殊鋼→コロサ(韓国)→トヨタ車体
攻守両面において、日本屈指のポストプレーヤー。日本代表としても2度のオリンピック予選(北京、ロンドン)や世界選手権(11年)に出場している。日本リーグではベストセブン4回、ベストディフェンダー賞4回、シュート率賞2回受賞。

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あのころを語ろう

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