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チェコ野球界の夜明け②

時は2022年9月21日。この夜、チェコ共和国代表が史上初めてWBC本選出場権を勝ち取る決戦の舞台は、ドイツ・バイエルン州のチェコ寄りに位置する区都・レーゲンスブルク。国内ブンデスリーグのチームが本拠地にも据えるアーミンウルフベースボールアリーナは、旧市街からトラムに15分ほど揺られた街はずれの河川敷にたたずむ。ドナウ河とレーゲン河の合流地点に程近く、古くは神聖ローマ帝国議会が途切れもなく開催されたと云う世界遺産の旧市街は、その誉にふさわしく隅々まで美しい。プラハに暮らす私にとっても、最愛のカレル橋に瓜二つの瀟洒なアーチ橋と、その欄干から見上げる荘厳な建築群とのコントラストは鳥肌もので、暫時、その夜のメインイベントさえ忘れて歩き廻った。にもかかわらず、この大会が始まるまで、私はレーゲンスブルクという街の名を皆目知らなかったし、多くの日本人にとってもまた、ほとんど耳にすることの無い地名ではないだろうか?

朝10時にプラハのフローレンツバスターミナルを出発したFLIXバスは、かっちり二時間で正午にレーゲンスブルク駅前の並木道に到着した。プレーボールの掛かる19時まではまだまだ余裕が有るので、陽が少し傾く頃合いまでのんびり街歩きを楽しんでから路面電車で野球場に向かう計画を練って、青天に恵まれたまばゆい古都の石畳を、心踊らせうろうろ徘徊した。道中、WBCでもチェコ代表ネタを中心に記事を振りまいていたMLB記者のマイケル・クレアが街中のランドマークを背景に、お馴染みの野球帽と黒縁眼鏡姿で嬉しそうに記念撮影している光景なども目にした。余談だが、彼はコロナ禍のチェコ国内で開催された代表チームの強化試合等でもほぼ必ず見掛けていた定番の顔だったので、WBCの宮崎事前合宿で再会するまでは、彼のことをチェコ野球協会のスポークスマンか誰かチェコ人だろう、と勘違いしていたほどだ。MLB国内リーグから視点を外に逸らした彼の眼鏡の奥には、野球途上国からひたむきにのし上がらんとする小国チェコの確固たる潜在能力と、巷の下馬評を覆す番狂わせを成し遂げる直近のスコアボードが、かなりくっきりと見えていたはずだ。あたかも、自分では確信し切って握りしめた万馬券が、やはり的中してドヤ顔にっこりの井崎脩五郎さんの様に。サンマリンスタジアム宮崎のダグアウト脇で3月5日の朝に、そんな会話を交わした後、彼の姿を見掛けないと思っていたら、侍JAPANを追っかけて京セラドームに移動していた。サムライvs阪神タイガースでの彼の驚きのつぶやきはNPBを熟知する我々にとってもニヤリとしてしまう。自国の代表が数年に一度の大舞台を直前に控え調整した強化試合で、ナショナルチームに負けず劣らず、地元の贔屓球団・タイガースに向けられた熱狂的な大声援がこだまするドーム球場の内っ側。こんなんありえへんがな、、と痛快につぶやく外国人記者の愉快な驚きに、青島海岸のホテルの部屋から、いいね。

話が横道に逸れたが、半年前のドイツにタイムラインを戻そう。一方で名も無き私は、小さなレーゲンスブルクの旧市街を路地裏まで確かめるように、綺麗な一景や変な物を探し回った。こじんまりとした雰囲気の素敵なカフェの前で、美味しそうなココア地に山盛りのメレンゲが覆いかぶったシフォンケーキが「寄ってけよビッテ。喰ってけよビッテ。」と誘惑してきたので、お言葉に甘えて珈琲をすすりながら流し込み、小休止。したものの、やはり屋内に居座る時間が無駄な気がして、そそくさと秋空の石畳に歩を戻した。結局、トラムに乗ってしまうと見損なうかもしれない景色さえもったいない、と感じて、目の前に横たわるドナウの河原をトボトボと歩いてボールパークに向かうことにした。

昔々、アメリカに暮らしていた頃、カープそっくりのユニフォームに憧れてシンシナティ・レッズの本拠地、グレイトアメリカンボールパークに旅した思い出の風景がよみがえる。あの野球場も背後をオハイオ河がとうとうと流れ、オハイオ州とケンタッキー州を跨ぐゴツ~い大橋を外野後方に見やりながら野球観戦を楽しむことが出来る。ケンタッキー州側に渡って散歩した帰り道は、かわいく水色に塗られたお洒落な小橋を歩いてオハイオ側に戻ると、すぐ左手には、アメリカンフットボールNFL・シンシナティベンガルズのペイコースタジアムが垣間見える。ベンガル虎柄のそのヘルメットは、かなりお茶目な見栄えがして、ニッポンでもヒョウ柄好きなギャルや貴婦人にとっては、ハートを揺さぶられるような奇抜なモチーフではないでしょうか。ワシらのカープを選んで、帰国後に入団してきた秋山省吾にとっては、あのオハイオ河を望む雄大な風景が、人生の思い出の一景として赤い心に刻まれていることだろう。

やがてドナウ河畔の森を抜けた先に野球場の照明塔が見えると、また一段と心高まった。急ごしらえの入場ゲートでチケットのもぎりや手荷物検査を済ませてスロープを登ると、初秋の高い蒼空と控えめな夕陽に照らされた緑の芝生がお迎えしてくれて、たどり着いた歓びに浸った。当然、この野球馬鹿は鼻息荒く、あらゆるアングルからiPhoneの三つのレンズを球場の内外に向けてはパシャパシャ撮りまくった。チェコやオランダ、そしてこのドイツで、無縁と思われた野球場そのものが、日本の地方球場レベルの高い完成度で目の前に広がっている意外な感慨と、激レアなナショナルチームのユニフォームや野球帽をまとった選手たちを遠巻きに眺め、また一層、血が騒いだ。球場内のアメリカナイズされたレストランには、自国やメジャーリーグのファンコスプレイヤー並びに関係者らが席をにぎわせていたが、運よく窓際に空席を見つけ、BBQソースの薫る自分にとっては米国時代懐かしホロホロのリブステーキで少し小腹を埋めてから、いよいよバックネット真裏三列目の我が指定席に向かった。もう何度も聴きなれた哀愁を誘う優しいチェコ国歌とスペイン国歌の勇ましい旋律に酔いしれてから腰を降ろし、チェコ国内では滅多に見掛けることのない、これまた激レアなHARIBOの封を開けた。(続)

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