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タイタンの彼女 7/8

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 飛んできたボールは僕のグラブにすっぽりと収まった。
 ボールを投げたのは女子だというのに中々良い肩をしている。
 あんなボンベを背負っているから、筋力はその辺の女子とは比較にならないくらい強いのだろうか。見た所そんな印象の無い華奢な体なのだけれど。

 僕はボールを投げ返した。彼女は高く上がったボールを見辛そうにしていたが、何とかグラブの中にボールを収めた。
 しまった。高く上げると見辛いか。日中は太陽の光が辛いのだろう。何しろあんなヘルメットをかぶっているのだから。

 僕らは会話も届かないほどの距離を取ってキャッチボールをしている。
 女子とキャッチボールをするにはちょっと本格的過ぎる気がした。これでは野球部のキャッチボールと比べても遜色無い。

 彼女が投げたボールは綺麗に放物線を描き僕のグラブの正面、ストライクのど真ん中に収まった。才能でもあるんじゃないだろうか。見た所フォームも綺麗だ。

「マモルー!」

 彼女が此方に向かって叫んでいる。僕は声では無く手を上げて返事をした。
 彼女はグラウンドの端にあるバックネットをグラブで指している。休憩するという事だろうか。僕はもう一度手を上げて、バックネットへ向かった。そろそろ日も暮れてくる頃だ。

 バックネットに到着する頃、離れていた彼女とも合流した。

「面白いね。野球」

 これは野球では無くてキャッチボールなのだけど、まあいいか。

「それは良かった」

 それから暫くの間、これから彼女が行きたい場所、やりたい事の話を聞いた。小さな田舎町であるこの町では出来る事は限られている。
 彼女の絶え間ない好奇心を満足させるには、きっとその内この町は手狭になってしまうだろうなと思った。

「マモル、シロヤマ連れてってよ」

 前にも言ったけれど、シロヤマは子供だけじゃ難しい。

「何でえ。けち」

 彼女は何故僕ばかりを連れ回すのだろうか。友達は僕よりずっと多い筈なのに。
 このところ、そればかりが疑問だった。彼女には構うだけの存在感があっても、僕には構われるだけの何かがあるとは思えない。

「何で僕ばっかり誘うのさ。他の友達は誘わないの?」

 彼女の体がほんの少しだけぴくりと動揺するのを見逃さなかった。何か良くない事を言ってしまったのかと不安になる。
 彼女はいつもの元気な様子とは打って変わって、神妙に何かを考えていた。

 その横顔は夕日に照らされて、白い肌が赤く染まっている。遠くの空を眺めている彼女は今、遠い故郷を見ているのだろうか。
 僕はそんな彼女が特別に見えて、目が離せなかった。

「マモル、人間と私達は近く見えても遠い存在なのは―」
 
 
 目が覚めた時には、辺りはもう明るくなっていた。随分長い間寝ていたような気がする。眼鏡を手に取り僕は起き上がった。
 まだ頭はぼんやりしたままだけれど、今見ていた夢の事ははっきりと思い出せた。夢というか、それは僕の経験そのものだった。
 昨日食卓で感じた感覚、僕に電話を掛けて来る存在は彼女の事だと確信が出来た。思い出すという感覚とはまた違うように思えて不思議だった。今はその記憶が当たり前の事の様に感じている。

 僕にはかつて仲が良かった宇宙人が居た。

 朝食を食べる間、そして学校へ向かう間、僕は彼女の事を考えた。
 遠い昔に別れた彼女と再び再開する事が出来るのかどうか。不思議とそれを果たさなければならないような気がしていて、これはきっと僕にとって大事な事なのだと思えた。

 それだけに昇降口であっさりと彼女が目の前に現れた事に僕は流石に驚いた。彼女は記憶のまま、半球型のヘルメットと酸素ボンベの様なものを背負っている。見間違う筈は無い。すぐに声を掛けようと追いかけたが、彼女は二年生の教室が並ぶ二階の廊下をぐいぐい進んで行ってしまって追いつけない。
 そして二年生のある教室に当然の如く入っていった。勿論ヘルメットとボンベを身に着けたまま。

 僕がその教室を覗くと、下級生たちは皆僕を注目した。突然上級生が教室を覗けば緊張もするものだ。少し恥ずかしい気持ちになった。
 しかし当の彼女は窓際後方の席で、隣の生徒と何か楽しそうに話をしている。
 いや、話はしていない。彼女の隣に座る男子生徒は、全く別の方を向いて別のクラスメイトと談笑をしている。

 彼女は何をしているのだろうか。

 余りに他のクラスをじろじろ見続けるのも良くない。僕は一旦その場を立ち去る事にした。彼女が居るクラスは分かった。
 何故今まで忘れていたのかは全く分からないが、直接彼女と話が出来るタイミングを待つことにした。

 結局放課後になるまでそれは来なかった。ホームルームが終わると僕はすぐに彼女が居た二年C組に向かう。まるで後を付けているみたいで自分自身に後ろめたさを感じていたが、何故だか躊躇は無かった。

 運動部が活発な僕の通う中学では、放課後の教室は蜘蛛の子を散らしたように誰も居なくなる。二年C組も例外では無かった。僕が教室に着く頃、最後に教室を出ていったのであろう生徒とすれ違った。

 教室には誰も居ない。彼女は帰ってしまったのだろうか。

 踵を返そうとしたその時に、彼女が教室の端の席に座っている様な気がしてもう一度向き直る。

 彼女はそこに居た。

 窓際の席を見て、誰かと会話をしているみたいだった。しかしそこには誰も居ない。それは朝に見たおかしな光景と全く同じだった。

 僕は教室に入って、彼女の顔が見える方まで回り込む。
 自然と、彼女と目が合う隣の席に腰を下ろしてしまった。

「マモル、自転車の二人乗りをしてみたい」

 彼女は大声で校則違反の予告をしている。
 彼女を目の前にして、様々な事が脳裏に蘇った。
 そうだ。この人はタイタンの彼女だ。名簿に名前が無いのが妙だと思って僕は彼女の事を調べていた。

「駄目なの?何で?」

 昔にも似たような事があった。今目の前にいる彼女は本物の彼女では無い。遠い昔の残像だ。彼女はそれを「生きている次元が少しずれているから」だと言っていた。

「校則って何?」

 そのせいで彼女の存在はこの地球では希薄だった。
 注意し彼女を観察していなければ、彼女を正しく観測する事が出来ない。彼女はそれを難しく説明してくれたけれど、僕には百分の一も理解できなかったのを覚えている。

「じゃあもういいよ。帰ろう」

 残像の彼女は席を立ち教室を出ていった。その姿は怒っているというよりも話し相手をからかって遊んでいるような、そんな印象だった。
 僕は、僕がいつか座っていた場所に一人残される。
 僕は遠い昔にやり残した事が何だったのかを思い出した。
 同時にそれはやり直しが効かないというのも、痛い程感じていた。
 
 
 それから僕は、彼女と廻った様々な場所をもう一度訪ねた。
 通学路、コンビニの駐車場、学校の裏通り、公民館。どの場所でも彼女の残像は僕の目の前に現れた。
 百年前からずっとここでこうして待っていたかのように佇む彼女はとても寂しげに映った。彼女が何故僕等の前から姿を消してしまったのかは、結局分からない。もしかしたら思い出すかもしれないと期待したが、それは無かった。僕の記憶はこれですべて戻ったのかもしれない。

 彼女とキャッチボールをした丘の上のグラウンドを訪ねた時の事だった。
 僕は彼女との約束を思い出した。確か彼女は「契約」だとか言っていたけれど。僕はあの日、彼女と約束を交わす事が出来なかった。
 それが僕の中にずっと残り続ける遠い日の失敗の記憶なのだと、今になってようやくはっきりと気付く事が出来た。

 その辺に落ちていた石ころを拾い、地面に文字を書いていく。

『まもる→しろやまにつれていく わたし→カニをごちそうする』

 一字一句、間違わずに彼女が書いた落書きを再現した頃、僕はある事を思い付いた。

 立ち上がり前を向くと、辺りはもう夕暮れだった。帰りが遅いと親が心配するかもしれない。夜になると警察官に補導されるかもしれない。
 それでもこの一瞬を逃してしまうと、すべてがずるずると崩れ去って、もう二度と同じ形には戻せなくなってしまう気がして怖かった。

 僕は歩き始める。

 国道のずっと西、高くそびえたつシロヤマの頂上まで、僕は歩くことにした。


8へつづく

著/がるあん イラスト/ヨツベ

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