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AIR LINE

 どんな時、どんな時間でも、世界中を飛び回る世界で一番大きな鳥。僕の人生の傍らにはいつも、鉄で出来たあの大きな鳥があった。

 県内に一ヵ所しかない空港からほど近い僕の故郷の街は、細々とはしているが観光業を軸とし、昔と変わらず何とかやっている。遠方から嫁いできた父はあの鳥に対しよく不満を漏らした。
 とにかく騒音が酷く、あれが通り過ぎる瞬間は家の中ですら会話がままならないのだ。父の怒りは理解できるし、ある程度は同感もすれど、僕はあの鉄の鳥を悪く思う気持ちは昔から少しも無かった。小学生の頃は力の象徴として強く憧れ、中学生になってからは仕組みや歴史に興味を持ち、高校生になった今は、いつかあれに乗って僕もどこか遠くの地へ行くのだと、未来に対し強い期待感を与えてくれた。元々友人が少なかった事もあってか、あの鳥達に対しどこか親愛じみた感覚もあったのは確かだった。

 河川敷沿いの土手に自転車を止め、僕はアスファルトへ腰を下ろす。辺りはすっかり夜になり、遠くでぴかぴかと光る誘導灯だけが、地面がどの地点にあるのかの指針になっている。通学路でもあるこの場所は、僕のお気に入りのスポットだ。少し高台であるこの場所からは、遠方の滑走路が一望出来る。この場所で足を止めてあれを眺めるのは、小学生の頃からの習慣だった。ただし、眺めるのは大抵昼間であって夜間ではないが。

 それでも今日は親愛なる鉄の鳥の事が、ほんの少しだけ恨めしいような気持ちだった。昨日は勿論、引いては明日には既に、こんな暗い感情は無いのかもしれない。それでも今日だけは、あの鳥の事がやはり少し憎い。今更あれを憎く思っても、仕方が無い事だけれど。

 母の妹である、ハルミおばさんの一家がこちらに越してきたのは、僕が小学二年生の頃だった。
 最近になってようやく知ったが、ハルミおばさんは離婚をして故郷であるこちらに戻って来たらしい。彼女は自宅からほど近い市営住宅にスミレと二人暮らしをしていて、家が近い事もあってか昔から我が家とは交流が深かった。
 初めてハルミおばさんとスミレが遊びに来た日の事は、今でもよく覚えている。母とおばさんは何だか二人で喧々諤々と話し込み始め、僕と二つ年上のスミレは子供同士、庭で遊んでなさいと乱暴に放り出されたのだ。同級生の女子ともまともに会話をした事が無かった僕は、細かくは覚えていないがきっとどぎまぎとしていただろう。スミレの方も黙って僕の事を観察するばかりで、二人は微妙な空気の中で庭に立ち尽くした。

 しかし結論としては、僕とスミレはその日の内にすぐ打ち解けた。彼女がおもむろに空を指さし、鳥の腹が良く見える良い家だと言ったのだ。父があれを良く思っていないというのもあって、僕はあの鳥に対する親愛の気持ちに蓋をしてきた。同級生にも打ち明けた事が無く、そんな事情も手伝ってか、僕はすぐにスミレを気に入ってしまった。やっと見つけたたった一人の同志、といった感覚だった。

 僕等は鳥が美しく見える場所を探して町内をよく歩き回った。スミレはそういう場所を見つけるのが上手く、地図を眺めてはすぐに目星を付けた。彼女は常に僕を素晴らしい場所へ引っ張っていてくれ、当時の僕はそんな彼女に憧れを抱いていたのも事実だ。

 そういう時は大抵、彼女は何も言わずに僕の手を引いて走るのだ。そして目的の場所に辿り着くと、「どう?いいでしょ」と鼻を高くして自慢する。暑い夏の日、あのベンチの前の光景が脳裏に蘇る。

 束の間、聞きなれた地鳴りがここにまで届く。

 僕は思考を止め、それをこの目に焼き付ける事に集中する事にした。
 誘導灯の上を、轟音と共に鉄の鳥が飛び立つ。まるでレールの上を走っているように滑らかなライディング。
 衝突防止灯がぴかぴかと瞬き空へ昇ってゆくのが分かる。するともう、あの鉄の鳥は自由なのだ。僕はあれに乗った事が無いけれど、それは知っている。
 おーんという地響きに似た鳴き声が小さくなってゆき、遂には防止灯の光すら見えなくなる。

 静かになった辺りに残されたのは、凄然と冷やされた空気だけ。風が土手を霞めて街へ入り込む。
 明日以降の僕は、どんな気持ちであれを眺めるのだろうか。
 鳥が消えていった方角の空を眺めながら、僕はそのまま動けずにいた。
 今はもう、何も見えない空の先を見つめながら、僕はスミレと交わした最後の言葉を思い返していた。
 
 
 あと一ヶ月足らずで桃色一色に染まるであろう桜並木のアプローチを、ぼんやりとした足取りで自転車を引いて歩いている。
 今日は三年生の卒業式。卒業式なんてものはどうやら中学だろうが高校だろうが似たようなものらしい。在校生である僕にはただの面倒な行事でしかない。それは僕に限らず、在校生の多くが感じているものだろう。
 しかし、どうにも。

 全てが終わり、一人家路に着こうとしている今になって、何だか無性に落ち着かない気がしているのだった。卒業生の中に親交のある人が居た訳でも無いというのに。考えるのも微妙に気まずく恥ずかしいので、なるべく考えないように心掛けてきたが、こうなっては仕方が無い。
 やはり、スミレが卒業したからなのだろう。

 同じ高校だったのはただの偶然だった上に、学校では口も聞いた事が無いというのに。同じ学校に通っていながら、全く別の世界に居るようであった。現に今日も、僕は彼女の姿すら見掛けていない。であるが故にこうしてスミレの事を考えるのは、何だか負けた気分になりそうで嫌だったのだけれど。
 とはいえ、僕の中でスミレに対する親しい気持ちが今でも残っていたというのは、何というか、発見だった。いや、発見というよりは再確認と言った方が良いだろうか。

 スミレと遊ばなくなったのは自然の成り行きというか、互いが成長する上で避けられなかった道だと今では納得も出来る。当時の辛かった記憶は今でも鮮明に思い出せるけれど、しかしどんな成り行きでスミレと会わなくなったのかは、結局忘れてしまった。
 今となっては正月に親族で集まる時くらいでしか、お互い顔も見合わせない。

 そういえば、今年の一月に集まった時は、本当に久しぶりにスミレと会話をした。
 雪がちらちらと降り注ぐ庭で、僕は一人耐え忍ぶように空を眺めていた。ハルミおばさんの一家が苦手という訳では無かったが、正月の賑やかな環境に混ざるには、僕は普段から暗すぎる。皆に混ざると白けるだろうと、気を使ったつもりだった。こんな日でも轟音は鳴り響き、空には大きな鳥の腹が地上に影を落とす。冬の空は高く、あの鳥の他には薄い雲が遥か上空でゆっくりと風に流されているばかりだった。

 玄関の扉が開かれる。きっと母が僕を連れ戻しに来たのだろうと思った。
 予想外な事に、振り返った先に居たのはスミレだった。彼女は何だかつまらなさそうな顔で僕を一瞬眺めると、すぐに空へ視線を移した。そんな光景が悲しかったのか、それとも腹立たしかったのか、自分でも良く分からないが、とにかく僕も彼女と似たような表情を作り、視線はすぐに空へ戻した。

 一体何のつもりで。僕はそんな事を考えたが、親達に言われてやって来たのだろうと予測が着いた。庭に居る僕の様子を見てこいと言われたのだ。そうでもなければ、今の僕等は自発的に二人きりで話などしないだろう。
 スミレは何も言わずに僕の少し後ろに立って、空を眺め続けた。強い郷愁。いつか、初めてスミレと会ったあの日を思い返す。スミレは空を飛んでいく鳥を指差し、そして笑ったあの日。あの時から大きく変わったのは僕等くらいなものだ。家も、庭も、空も、鳥も。殆ど何も変容していない。

 僕はともかくスミレは確かに容姿も変わった。小学生の頃から変わらないのは、鶴のようにしなやかなストレートヘアくらいだ。あの頃と違って、その髪も明るいというよりは冷たい印象の方にバイアスがかかっているみたいだけれど。

 上空をまた一機、大空へ向けて飛び立ってゆく。JALの大型ボーイング機だ。恐らく羽田へ向かうものだろう。垂直尾翼にあったあの馴染みの深い鶴のロゴマークは、今はもう無い。随分前に廃止は決定し、それからもしばらくは変わらず見かける事が多かったが、ここ一、二年はとんと見ていない。恐らくすべての機体が塗り替えられ、消滅したのだろう。子供の頃、スミレはあの鶴のマークが好きで、JALの機体を双眼鏡でよく探していた。白い体躯も彼女に似合っていて、何となく今でも似た者同士だという印象がある。
 鶴のロゴマークの廃止が決定したというニュースは、僕等にとっても大きな衝撃があった筈だ。あの頃、僕等はそれについて、どんな話をしたのだったか。

 「もう今は」
 背後から聞きなれない声が届く。するとお互い、本当に長い間口を聞いていなかったのだなと再確認した。
 「鶴のロゴ、消えちゃったのよね」
 正に今、同じことを考えていた為だろうか。それとも久しぶりにあの鳥の話をスミレが始めたからだろうか。僕は何だか、妙に緊張してしまう。なるべく平静を装うように気を付ける。何の為にそうするのかは、良く分からないけれど。
 「うん。一昨年くらいから見かけなくなった」
 「タケル、好きだったよね。JAL」
 好きだったのはどちらかというとスミレだった筈だけれど。それでも間違いではないので否定はしない。
 「まあ、ね」
 程無くしてまた一機、轟音と共に上空を鉄の鳥が過ぎ去ってゆく。僕等は空を仰ぎ見て、遥か彼方へそれが消えるまで、とにかく黙って見送った。それが昔からの決まりだった。

 おーんという鳴き声が殆ど聞こえないくらい小さくなると、スミレは口を開く。
 「四月になったら、私もあれに乗るの」
 僕はふと、そうか、と妙に得心を得た。スミレは僕に別れを伝えに来たのだと腑に落ちたのだ。今では正月にしか顔を合わせないけれど、それでもいつかは仲が良かった僕に対して、彼女はこうして礼を尽くしたのだ。空白で何も無かったお互いの数年間に、ほんの少し、何かが埋まったような気がした。

 「大学は地方なの?」
 振り返るとスミレは玄関先で腕を組み、壁を背にして空を眺めていた。元気だった小学生の頃の面影は無いけれど、それでもそうして空を仰ぐ彼女に小学生のスミレと通ずるものを感じたのも事実だった。
 「地方というか、東京。一人暮らし」

 スミレはきっと、これからも変わってゆくのだろう。僕の為に別れを告げに来てくれたのは嬉しいけれど、この別れは単なる挨拶とは、また違った意味があるような気がした。ある種の今生の別れ、若い自分との決別、或いは変化する決心とも言えるだろうか。僕を残して別の人生を歩むという意味にまで感じたのは、余りにもロマンチック過ぎて一層恥ずかしくなった。

 「戻ろう。お昼ご飯だって」
 彼女は玄関の扉を開ける。家中から親同士の騒々しい声がこちらまで響くと、きっとこれが最後になるのだろうと予感した。玄関を上がるスミレの背中を眺めながら、ほんの少しだけ寂しい気持ちが湧き上がる。

 それでも、何より。僕はスミレがあの鳥の事を、「飛行機」と呼ばなかった事が、どうしても嬉しいみたいだった。幼い頃に交わした約束を、彼女は今でも覚えていたのだ。同時に四月からの彼女にとっては、あの鳥はもう「飛行機」になるのだろうとも思った。
 いや、寧ろそうなるべきだ。彼女はここから飛び立ってゆくのだから。
 アプローチを抜けて、僕は自転車に跨り漕ぎ始める。冬の冷たい空気が刃のように肌を突き刺す。
 それにしても。
 スミレは一体、いつ、どのようにして変容したのだろうか。小学生の頃の快活だったあの女の子は、どんな人生を送って今のように育ったのだろうか。
 そんな事を考えても、結局わかりようも無い。
 彼女は僕と違った世界で育ったのだ。
 
 
 スミレが中学に上がってからというもの、僕等はあまり二人で遊ばなくなった。それ自体に関しては前々から予測していたというか、予感があった為にそれ程驚かなかった。
 それよりも寧ろ、スミレが中学生になって尚僕とたまに会うという事の方が、ずっと僕を不安にさせた。僕はスミレにとって重荷やジャマモノになっているのではないかと気にしているのだ。そうだとして、それもまた仕方が無い事だし、僕は彼女に無理をさせたい訳ではない。一人でも鳥はながめられるし、昔はそうしていたのだ。中学生になれば、色々大変なのだろうと思う。

 しかしその話を自分から切り出せる程の度胸は僕には無いらしく、このところは気まずい空気のまま、二人であの鳥を眺めている。心地は良くない。朝のニュースでショックな事実が報道されたのもあってか、僕は元気が無かった。

 スミレはJALの機体、スイチョクビヨクに描かれていたあの赤いツルが好きだった。羽を広げて、大空に飛び立とうとしているあのデザイン。彼女の影響で僕も気に入っていたので、あれのハイシが決定したというニュースはショックだった。スミレも、同じ気持ちなのだろうか。それともそれほど興味は無いのだろうか。今はもう、彼女の事も良く分からなくなってしまった。

 待ち合わせである川向うの丘は、スミレが見つけたスポットの中でも有数の素晴らしい観測ポイントである。
 カッソウロから真っ直ぐ、数百メートル程離れたこの場所は距離はともかくとして、正面から機体を眺められる点、そして丘の上にある事で障害になるものが全く無い点が非常に良い。普段から人気がある場所ではないが、この丘は遊歩道として使われ、観測に一番都合の良い丘の頂上には、小さいながらも屋根付きのベンチまである。昔はお互いにお菓子を持ち込んで、この場所で何時間も鳥を眺めたものだ。

 自宅の脇を越え、更に先にある橋に向けて川沿いの土手を歩き続ける。それでも今日は、どうしても暗い気持ちを押さえつけられなかった。何せ朝に見たあのニュース、そしてスミレに気持ちを打ち明けなければという気持ち。その間に立たされ、今日の空のようにどんよりとした気持ちで満たされている。
 冷たい風が吹き抜ける橋を丸くなってやり過ごし、防風林の先にある丘にまで何とか辿り着いた。そこには誰の姿も無く、ただ打ち捨てられたようながらんどうの冬の景色があるばかりだった。
 スミレはまだ到着していないらしい。

 一人ベンチに腰掛ける。僕はランドセルから「AIR LINE」と表紙に大きく書かれた雑誌を取り出し広げた。先月母さんにねだって何とか購入したものだけれど、正直小学生の僕には何が何やら。内容は難しすぎて少ししか読み取れなかった。それでもこのエアラインという雑誌はどうやら僕向けの本らしいとすぐにわかる。内容は多岐に渡ってはいるけれど、旅客機専門の雑誌らしいのだ。カラーの写真が沢山載っていて、世界にはどんな鉄の鳥が飛んでいるのか、想像するだけで楽しかった。

 程無くして隣に何かがどさりと置かれる音がすると、スミレが到着したのだとすぐに分かった。セーラー服姿の彼女は何だかやはり、見慣れない。分かってはいたけれど、どうやら僕とスミレとでは、スミレの方が早く大人になってゆくようだ。
 「ほら、飛び立つよ」
 僕はスミレに言われて顔を上げる。日本航空のボーイング機。ここからだと良く見えないけれど、昨日の今日で取り外せるものでもないだろう。微妙に不安な気持ちでそれを見送る。おーん、とけたたましく上空と飛び去り、背後で旋回していく。スイチョクビヨクには、今日も変わらずあの赤いロゴマークがあった。
 良かった。
 僕の様子が普段と違ったからだろうか、スミレは訝しげな顔でこちらを覗き込んだ。
 「どうしたの」
 きょとんとしたスミレの表情を見て、僕は何だか、どこかに置いてけぼりを食らったみたいに強く寂しい気持ちになった。
 「JALのロゴマーク、まだあったよ」
 「ロゴマーク?鶴の?」
 「うん。無くなるってニュースでやってた」
 スミレは一瞬だけ動揺したように見えた。どうやら知らなかったようだ。すぐに平静を取り戻し、一言「そう」とだけ告げると、携帯電話を広げて再び何かをし始めた。

 やはり、何かがうまくいってない。そんな印象を強く感じた。
 何度か鳥が巣立ってゆくのを見送ったのち、スミレはトイレに立った。丘の上には屋根付きベンチもある上に、公衆トイレすらある。至れり尽くせりだ。
 僕は気にせず雑誌の難しい特集と向き合っていたが、目の端に光るものが映り込んだせいで、そちらを振り向いてしまった。

 そこには開け放たれたままのスミレの鞄、中にはぎっしりなにかが詰まっているが、それよりも何よりも、一番上に開きっぱなしの携帯電話が乗っかっていたのが僕にとっては問題だった。彼女には何の責任も無い。覗き見た僕が悪かった。そこには書きかけの文章が、こうつづられていた。

 『今日は従妹の子守ー。明日は行け』
 文末の「け」が点滅して、次の文字の入力を待っている。
 僕はつかのま、目の前が真っ暗になったかと思った。丁度次の鳥が飛び立とうとしている最中だったが、この時ばかりはそちらを見る余裕がなかった。そしてこれまで僕の中でじわじわとせりあがっていた不安の正体が何だったのか、ようやくわかった。
 スミレはもう、卒業したのだ。
 僕と同じ気持ちで、あの鳥を眺める遊びから。空気を切り裂いて空を飛ぶあの鉄の鳥が大好きだったスミレは、今はもう何処にも居ない。僕が何よりもおそれていたのは、それだった。

 締め付けるように胸は苦しく痛むけれど、僕は他の沢山の事をそうしてきたように、何とかそれを心の中へ押し込める。
 きっと、仕方が無い事なんだ。
 そう自分へ言い聞かせた。スミレが帰って来ると、僕は何とか内心を隠し、帰ろうと言った。帰り道、僕はこの気持ちに名前を付けるとしたら、一体何なのだろうと考えた。結局答えは出ない。僕がもう少し大人だったら、分かる事なのだろうか。

 その日以来、僕はスミレと会うのをやめた。
 
 
 スミレと知り合って一年たった夏休みのある日、ぼくはスミレによびだされて彼女の家にやって来た。夏休みに入ってからというもの、スミレは毎日ぼくをよびだす。別に良いんだけど、ぼくにだって予定がある。勝手な人だ。

 チャイムをならすとすぐにスミレは飛び出してきた。一歩も立ち止まらずにぼくの手を引くと、「良い場所を見つけたよ!」と言い走り出した。まるでジェットエンジンのような人だと思った。一度走り始めると、中々止まれない。
 スミレはぼくを川のむこうにあるおかにまでひっぱってゆき、とちゅうからはぼくをおいて自分だけで登って行ってしまった。ぼくが汗をだらだら流しながらちょう上へただりついた時には、彼女はすでにすぐそこにあるベンチですずしそうにすわっていたのだ。ぼくの方へふりかえると、にっこりと笑う。
 「どう?いいでしょ」
 たしかに、すごくいい場所だと思った。カッソウロはまっすぐ見えるし、ここならきっと飛行機の大きな腹ものぞける。
 「いいね。飛行機の腹がよく見えそう」
 ぼくは彼女のとなりにこしかけながら、そう答える。

 それから少し、彼女はそうしてだまったままだった。ぼくも同じようにだまったままだったけれど、今日は彼女に言わなければならない事があった。スミレをびっくりさせたくて言わなかったけれど、この場所はずっと前からぼくも知っているのだ。いつ言いだそうか迷っていたけれど、次の飛行機が頭上を飛び立っていった所で、いい頃合いだと思った。
 「スミレ、少し待っててね」
 ぼくはベンチからはなれ、トイレにすぐ裏にある林に入ってゆく。すぐそこにある大きな青いビニールシートをはがすと、ぼくが半年かけて作った飛行機がすがたをあらわした。

 小さな、二人乗りの木製飛行機。なんとかしてボーイングのようなソウハツキにしたくて、シュヨクにそれぞれプロペラを一枚ずつ取り付けた。スイシンリョクは放置されていた父さんのバイクから盗んできたエンジン。ついでにガソリンも。結局色んな部品が必要になって、父さんのバイクはまるごとぬすまれたみたいに何も残っていない。きっと怒られるだろう。でもいい。ぼくはスミレと飛び立つ今日という日を、ずっと楽しみにしてきたんだから。
 なんとかそれを引きずって林を出ると、スミレはトイレのすぐ横で、心配そうにこちらをのぞきこんでいた。

 みるみるうちにスミレの顔があかくなっていくのが感じ取れた。彼女が喜んでいるのが分かって、僕もうれしかった。
 「何これ!」
 「飛行機だよ」
 「作ったの?」
 「うん。時間かかったけど」
 スミレはつぎつぎにぼくへ質問をながかけて、中々解放してくれない。スイヘイビヨクはどんな角度だの、フラップはどんな仕組みで出てくるのだの、計器はどんなものがあるのだの。早く飛びたいと思うぼくはどうにもやきもきした。けれど彼女を喜ばせたくて、下手だけどなんとか真似して描いたJALのロゴマークをとても気にってくれたのが嬉しくて、すぐにそんな気持ちはすっとんでしまった。
 スミレの質問大会がようやく終わると、カッソウロとは逆側にある下り坂の前にまで飛行機を移動させた。家にあったふるいバイクヘルメットをスミレにわたす。
 ぼくも自分のヘルメットをかぶり、ゴーグルを目に取り付けた。
 「怖くない?」
 何しろ、テスト飛行すらしていないのだ。途中でつい落したりばく発したり、何が起こるか分からない。エンジンがドロドロと回り始めると、いよいよぼくの方が不安になってしまった。でもスミレは少しもこわくないらしい。彼女はすぐに「全然」と答えた。すごい人だ。

 僕はコウブザセキに入り込んだスミレに対して、あるものを渡した。
 「何これ」
 「フロシキ。空に投げ出されたら、それを開いてね」
 「ラジャ」
 そのやり取りがなんだか本物っぽくて、ぼくは少し鼻が高かった。
 いよいよ、ランディング。機体の動作確認。
 まずはエルロンを上下に。オーケー。フラップ。オーケー。スイヘイビヨク、エレベーター。オーケー。スイチョクビヨク、ラダー。オーケー。最後にエンジンをすこしふかして、プロペラの動きを確認。オーケー。
 「オールグリーン」
 いよいよだ。手にはつぶになって落ちそうなくらい汗がたまる。ゆっくりと深呼吸をする。もう一度だけエレベーターのドウサカクニンをすませると、いよいよだと決心した。
 「いくよ!」
 「うん!」
 さすがのスミレも少し、きんちょうしているみたいだった。
 スロットルを加速させてゆくと少しずつ機体は前に進み、緩やかな坂で速度は次第にましてゆく。がたがたと機体がゆれて怖かったけれど、すぐにフラップがヨウリョクをつかんでぼくらは空へとまいあがった。
 フルスロットル。フラップとエレベーターで機体をピッチアップさせる。最低高度をこえるまでは、油断はできない。しかしあっけないくらいすぐに機体は安定して上昇し始めた。高度計は無いけれど、もう百メートル以上は上空だろう。上空の空気はゆるやかで、飛ぶには絶好だ。ぼくは少しスロットルをゆるめて、後ろをふりかえる。スミレはきらきらとした笑顔で、空や地上をながめて、ぼくと目が合うと「最高!」とさけんだ。
 彼女のきれいなストレートヘアーは風でぱたぱたとおどる。ぼくはこんな光景をずっと待ち望んできたような気がした。
 小さい頃に見た、ディズニー映画。ミッキーがミニーを乗せて、自作の飛行機で空のデートをする。

 ぼくらのすぐ上空を、JALの大型ボーイング機がごうおんと共に通過していく。その機体のかげに小さなぼくらはすっぽりと入ってしまう。それはもう、すごい光景だった。目いっぱいシュヨクからはフラップがせり出して、思い切りヨウリョクを生み出している。ぼくらの機体はボーイング機が切りさいた風にあおられて、いっしゅんぐらりとゆれた。
 すぐに機体を安定させながら、ぼくはさけぶ。
 「すごい!ヒコウキの腹が丸見えだ!」
 スミレはコウフンしたようにさけび返す。
 「あれはヒコウキじゃない!そんな呼び方しないで!」
 「え?」
 「あの子達は、大空に羽ばたいていく鳥なの!勿論、この子も!」
 スミレらしい、とぼくは思った。そういう人は機械を作る人に向いていると、何かの本で読んだことがある。きっとスミレも将来は、そうなるのだろう。
 「約束して!」
 「約束?」
 「あの子達を、ヒコウキって呼ばないって!」
 僕はその時、とても気分が良かった。人と簡単に約束をするのはいけないのだと、ついこの間母さんに言われたばかりだったけれど、それでも今日は仕方がない。だってこんなに良い気分なのだから。
 「分かった!約束!」
 僕らが乗る小さな鳥はゆっくりと旋回する。

 町の上をいつまでも、ぼくらはくるくるとまわりつづけた。
 
 
著/がるあん
写真/ヨツベ

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