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なぜ、浦和は、4万人動員する街になったのか。〜スポーツクラブが街のアイコンになる時〜

浦和レッズは、昨日、タイのブリラムに、ACL3-0で勝利した。水曜日平日夜、雨の予報にもかかわらず、2万人のサポーターが、埼玉スタジアムに。他のクラブが、ACLやルヴァンカップ で、6000人や8000人にとどまる中で、突出している。昨年の浦和レッズのJリーグホーム観客動員が、平均が35000人ほど。10年ほど前は、4万人を超えていた。平均が45000人の頃もあった。近年、やや減少状態。とはいえ、サッカークラブで圧倒的な動員力。試合によっては、昨年のヴィッセル神戸戦(イニエスタ効果もあったが、本人は出場せず)は5万5千人を動員した。日本のスポーツイベントで、5万5千人入るのは、ほとんどない。

浦和の街が、なぜ、日本で最も観客動員する街になったのか。前提として、埼玉県がサッカーが盛んであったこと、2002ワールドカップで、サッカー専用スタジアムができたこと。埼玉県自体700万人以上いる大型県出会ったことは、客観的事実としてある。しかし、似た条件の都府県は他にもあり、浦和レッズが、なぜ圧倒的最大動員クラブになったのか。

僕の仮説は、(東京の情報に溢れ、キーTV局のカバー範囲かつ東京へのアクセス・通勤者も多い中)『浦和レッズが、(潜在的に自分たちの一体化を待ち望んでいた)埼玉県民の、アイコンになった』である。僕がFCバルセロナで働いていた頃、よくバルサ職員はプレゼンで、「FCバルセロナは、街の、アイコン」という言い方をしていた。なるほどと思った。バルセロナは、ヨーロッパでパリに続く、2番目の観光都市。サグラダファミリアや食事や快適な気候など、観光資源がある中、FCバルセロナやカンプノウは、大きな観光資源。そして、20近いスポーツクラブを持ち、市民の間で最も身近で、象徴的なプロパティ。まさに「アイコン」。

浦和レッズは、Jリーグ発足当時、最下位争いをするクラブ。かつ、浦和は、決して三菱グループのサッカーチームの人気、文化が根付いていた街ではなかった。しかし、2002年あたりから、浦和レッズの人気は”沸点”にいく。日本中のスポーツクラブ、チームは、地域密着を謳い、プロモーションを行い、観客動員に努力する。そこに、大正解や絶対的マニュアルはない。人は、潜在的に、生まれ育った街、住んでいる街、通っている街に対して潜在的に、その街の誇りや一体感を持ちたい欲求がある。一時期4万人を動員し、今もJ2では圧倒的動員力を誇るアルビレックス新潟や、福岡ソフトバンク、巨人、北海道日本ハム、阪神タイガースなど、”沸点”を超えた、または維持しているところがある。広島東洋カープや川崎フロンターレ、千葉ジェッツふなばしなども近年”沸点”を迎えている。この”沸点”が、スポーツクラブが、街の、市の、県のアイコンになる瞬間。それに至るプロセスは様々。スタジアムのリニューアルも起点となることもある。しかし、それ以上に、「街のアイコン』になるまでの成長、活動、地道な積み重ねと、ファン、サポーター同士が、自主的に有機的に「街のアイコン」となるように動きはじめて来た時に、”沸点”に近づく。

繰り返すが、人は、潜在的に、生まれ育った街、住んでいる街、通っている街に対して潜在的に、その街の誇りや一体感を持ちたい欲求がある。その欲求の受け皿となるスポーツクラブは、街のアイコンとなる。

埼玉県のひとたちの自己肯定感、埼玉に対するプライドは、スポーツによっても変わってきたと思う。僕が、埼玉県のコンサルティングをしていた時も、提案したコンセプトは、「(スポーツを通じての)埼玉プライド」。それが、地域レガシーとなる。との提案は採用された。浦和レッズ、大宮アルディージャ、西武ライオンズやラグビーワールドカップの熊谷、東京オリパラの4競技開催、クリテリウム、埼玉スタジアム・さいたまスーパーアリーナなど、スポーツ王国である。昔は、ださいたまとか言われたが、浦和は住みたい街ベスト10入り。「飛んで埼玉」という映画のヒットも、プライドと余裕が生まれ、ジョークとして受け入れられる基盤ができたから。実際に、浦和など住みやすそうである。

スポーツクラブが、”沸点”・満員コンテンツに成長するには、その街のアイコンに成長すること。それには、「徹底したローカライズ」を。米国のNFLや大学スポーツが、5万人の人口の街で10万人収容するのも、「街のアイコン」にその大学やチームがなっている。

とはいえ、浦和レッズも、近年、動員数が減っている。その課題解決にもサポートしたい。

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