「努力は夢中に勝てない」のサッカー界での真理
こんな投稿を見かけた。
----------------------------
突然だけど、「努力は夢中に勝てない」
という”名言”が、好きじゃない。
言わんとしていることは、
『つらいことを積み重ねるより、楽しめることをやろう』
とか、そういうニュアンスなんだろうなあと思う。
----------------------------
曺貴裁(チョウキジェ)監督の語る「努力は夢中に勝てない」とは?
少なくとも、曺貴裁監督は
そういう捉え方ではなかった。
あまりに有名になった
湘南ベルマーレのロッカールームでの
やりとり動画。
あのやりとりからもわかるように、
曺監督は努力以上に「好き」であること
「夢中」になることを上位概念においている。
それは決して、
つらいことを積み重ねるより、
楽しめることをやろうというような
ふわふわした話ではないことがわかる。
努力は夢中に勝てないの真理
夢中[我を忘れるほど没頭できる]
↑
好き[どんどんトライできる]
↑
努力[成し遂げるための工夫をする]
↑
義務感[やらなければならない]
曺監督は、努力の上位概念として
選手たちに伝えています。
努力をする先に、好きだから
どんどん果敢にトライできるゾーンがある。
「好き」というのは、
目の前のさまざまなことに
怯まずチャレンジすることができるステージだ。
その先にあるのが「夢中」なのだ。
没頭できるステージが見えてくるから、
ヘタでも努力を惜しまない人には、
どんどんチャレンジ、トライする機会を
与えるからガンバレ!と鼓舞していた。
少なからず、サッカー界でいう
「努力は夢中に勝てない」というのは
努力の先にもっと素晴らしいゾーンが
あるよってこと。
「好き」と「夢中」の進化について
「好き」と「夢中」は進化すると考えている。
子どもの時にサッカーが好きで始めて
夢中になって、そのあと
「上手くならなきゃ」とか、
「努力しなければレギュラーになれない」とか、
義務感や努力のステージに突入するけど、
さらにその上位概念としても、
「やっぱ好きやねん!」
「うわっ、気づいたらこんな夢中になってもうた!」
って、さらなるゾーンがあるぞ〜ってことだと、
私は考えてるんだけど、どうでしょう?
さらに夢中[我を忘れるほど没頭できる]
↑
もっと好き[どんどんトライできる]
↑
努力[成し遂げるための工夫をする]
↑
義務感[やらなければならない]
↑
夢中[できるようになるのが楽しい]
↑
好き[楽しいからやる]
少なくとも、私はこれまでの仕事は
そうやってプロになったと思うわ〜。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?