見出し画像

中島裕之 戦力外通告

プロ野球もシーズンが終わりましたが、
クライマックスシリーズ、日本シリーズとこれから熱いポストシーズンが始まります。

さて、話は変わりますが、
私は野球選手として好きなタイプがあります。
それは
3番ショートを務める選手です。

3番ショートを務めた選手と言えば、
元阪神タイガースの鳥谷敬氏、今年サードへのコンバートが話題となった読売ジャイアンツの坂本勇人選手、そして

中島裕之選手です。

今シーズンでクビとなってしまった中島選手ですが、彼のこれまでの経歴について書いていこうと思います。


中島選手は兵庫県の伊丹市出身で出身高校は伊丹北高校です。
公立高校出身ながら2000年にドラフト5位で西武ライオンズに入団します。

中島選手が入団した頃のライオンズのショートには松井稼頭央さんが君臨していました。
(現在は西武ライオンズで監督を務めおり、和夫さんです。)

この頃の松井さんは日本球界史上最高のショートとの呼び声も高く、とにかくかっこよかった!!

足は速いし、肩も強いし、ホームランも打てる。
スポーツマンNo.1決定戦でも総合優勝しましたし、とにかく身体能力お化けでした。


この頃、実況パワフルプロ野球をしていた人はみんな松井稼頭央を使っていたかと思います。
何せ能力値が異常に高かったですからね。


松井さんはメジャー志向が強く、MLBからも「リトル松井」として注目されていました。

松井稼頭央選手の愛称。 松井稼頭央選手の愛称、W松井の一角のゴジラこと松井秀喜選手より年下、小柄なため。

FA権を取得すればメジャー挑戦することは規定路線でした。

その後釜としてライオンズ入団後にショートへコンバートされます。

予定通り、中島選手の入団後3年で松井さんはメジャーへ移籍します。

そして、4年目の中島選手は見事に松井さんの後を引き継ぎます。

3年目ながらショートでフルイニング出場を果たし、下記の成績を収めます。

打率.287(リーグ19位)
27本塁打(リーグ8位)
90打点(リーグ7位)
18盗塁(リーグ4位)

松井さんと比べれば成績は劣るものの、
荒削りな守備、豪快なバッティングで一気にスター候補にのし上がりました。

とにかくバッティングフォームがかっこいいのが中島選手の魅力です。

バットを高く掲げ、後方に倒す特徴的な構えをしています。
これは相手の呼吸に合わせて間合いをとるため
逆に自分の呼吸を読ませないように考えた結果、左腕が上がって口元を隠すフォームに行き着いたとのことです。

パリーグのライオンズということもあり、あまりテレビで見る機会はなかったのですが、
日本シリーズでの活躍は今なお目にやきついています。

中島選手はポストシーズンに強く、大舞台で輝けるスター性を持ち合わせていました。

大舞台での活躍と言えばWBCも外せません。


2009年に開催された第2回WBC日本代表に選ばれます。

この第2回WBCと言えば、決勝の韓国戦での
イチロー選手の勝ち越しタイムリーヒットが今なお語り継がれる伝説となっていますが、
そのイチロー選手の後ろを任されていたのが中島選手です!

中島選手は2番ショートとしてチームトップの打率.364を記録し、不調のイチロー選手を救い、WBC2連覇に貢献しました。

そこからも毎年のように打率3割ホームラン20本を放ち、名実ともに日本を代表するショートとなります。




そして、彼のプロ野球人生における大きな転機を迎えます。

MLBへの挑戦です。

2013年オークランド・アスレチックスへ移籍します。

しかし、オープン戦でケガをしてしまったところから彼の野球人生は狂っていきます。

ここからマイナーリーグで調整することになりました。
そして、メジャー復活間近で再びケガをしてしまいます。
このチャンスを逃した中島選手は一度もメジャーの舞台に上がることはありませんでした…

日本で天下をとった中島選手がメジャーにも上がれないというのは非常にショッキングな出来事でした。

ショートとして守備では通用しないのではないかと思っていましたが、打撃でも通用しないとは想像できなかった。

いや、松井稼頭央さんですら成績を落としたメジャーで日本のようには行かないことはわかってました。
しかし、当時打撃だけなら日本最高のバッターの1人と言っても過言ではなかったと思います。

そんな中島選手も通用しないのであれば、日本人内野手は本当にメジャーで通用しないのではないかという現実を突きつけられるのが嫌だったというのが本音です。

日本人内野手でもメジャーで活躍できることを証明してほしいという期待がありました。

しかし、現実は厳しかった…




度重なる怪我もあり、MLB挑戦は失敗に終わり日本球界へ復帰することになります。

復帰先は古巣ライオンズではなく、
オリックス・バファローズでした。

しかし、復帰しても以前のような輝きは取り戻せません。

3年間でピークアウトしてしまったのか、あるいはマイナーリーグでの環境でレベルが下がってしまったのか、理由はわかりません。

これは予想通りでもありました。
メジャー挑戦をした選手の多くが、日本球界へ復帰後、以前のような活躍は見せていなかったからです。

復帰する選手の共通点として、
メジャー挑戦前が選手としてピークの状態であり、復帰前はケガや不振で試合に出ていないことがほとんどです。

例外は井口忠仁氏と黒田博樹氏ぐらいではないでしょうか。

また、中島選手はMLB挑戦以降、悪目立ちしてしまっていたかと思います。

メジャー挑戦前からデッドボール後にオラつきを見せることはありました。

復帰後はオラつく回数も増えてしまった印象です。
良い成績も残せていなかったことも相まって、
オラジとネット界隈では命名されてしまうのです…

大好きな選手が結果を残せず、不名誉な名称をつけられてしまうことは悲しいですね。



オリックスで輝きを取り戻せなかった中島選手は
再び移籍することになります。
WBCの際、監督を務めた原辰徳氏が率いる読売ジャイアンツ

ここで輝きを取り戻してほしいと願いました。

しかし、移籍初年度はめぼしい活躍を見せることはできませんでした。

プロ野球人生の進退がかかった移籍2年目、
石井琢朗バッティングコーチのアドバイスもあり、打撃フォーム改造に着手します。

今まで呼吸を読まれないようにと肩で口元を隠していた構えを
肩を下げたリラックスした構えへと変更します。

その甲斐もあってか、オープン戦で復活の兆しを見せ、シーズン開幕後も勝負強いバッティングで活躍します。

この年は打率.291と規定打席には到達しなかったものの日本球界復帰後もっとも高い打率を残しました。

40歳を前にしてナカジが復活したのです!!

翌年も得点圏打率.385と勝負強さを発揮し、
代打の切り札として活躍します。

打率の表現として、もう一つ得点圏(とくてんけん)打率があります。 得点圏という事で、ランナーが2塁もしくは3塁(2・3塁や満塁の場合も含みます)にいる場合の打率を計算したのが得点圏打率になります。 ランナーが得点圏にいる打数を計算して、その状態での安打数を求めて打率計算する形になります。

しかし、このシーズンを最後に成績は再度低迷してしまいます…

そして、今シーズンも出番はほとんどなく、とうとう戦力外通告となってしまいました。





ライオンズ時代の中島選手は本当にかっこいい選手でした。
私の中で3番ショートと言えば
中島裕之です!!

現在の登録名は宏之ですが、
当時のかっこいいナカジを思い出したく、
今回は裕之にした次第であります。

どうにか引退試合を開いてもらいたいので
古巣ライオンズさん、彼を拾ってあげてはくれませんか…

松井和夫監督率いるライオンズで最後に一花を。


P.S.
プロ野球選手てちょこちょこ登録名変えますよね。
中島選手は2015年成績が悪かったこと、
子供が生まれた際に自分の画数も見てもらい
中島宏之の方がいいと言われたからだそうです。

松井和夫さんは母方の祖母の知人にあたる姓名判断士の勧めで「稼頭央」にしたそうです。
読んで字のごとく「稼ぎ」「頭になり」「中央」に立つという意味が込められているとか。

最後に松井さんの肉体美をどうぞ。

この記事が参加している募集

スキしてみて

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?