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ソヴィエト映画とアトラクションのモンタージュ

皆さま、こんにちは。
いかがお過ごしでしょうか。

従来ならば、4月には夏が到来すると言うのに、未だ春の始まりのような装いのこちら、マルタ共和国です。

学生の皆さんは、そろそろ新学期の始まる頃ですね。
私も明日から授業が始まるようです。

おっと、皆さん不思議に思われていますね。「明日から授業が始まるというのにこの小娘は何故、地中海の島国なんぞにいるのだ」と。

ふふふ、皆さまご存知ないでしょうが、優秀な私は、専門科目の単位を3年間で全て取得しているのです。(冗談です。3年間必死こいてどうにか取得しました…。)即ち、オンライン形式がところどころに散らばっている全学部カリキュラム(通称:全カリ)を少しばかり履修すれば良いのです!

だがしかし、人生とはそう甘くはありません。

私にとって2限の授業に出席すると言うことは、午前3:30に起床すると言うことを意味します…。もはや寝ないほうが良いのではないか…。
いや、そうはいかない…。こっちの学校の授業が朝の9時からなのを忘れるな…。

と言うわけで、不安に満ちた立教大学4回目の春が始まろうとしています。
Fingers crossed…





さて、そんな私が今回は綴るのは、モンタージュ理論、特に「アトラクションのモンタージュ」についてです。

昨年秋学期に履修した映画史関連の講義において、モンタージュ理論について改めて学び直し、期末レポートもこれについて執筆しました。
やはり、非常に複雑で奥深いトピックであるため、あまり自信がなかったのですが、驚くことに S 評価を頂きました。

なので今回は、上記レポートに少しばかり再編を加えて、わたくしの「アトラクションのモンタージュ」についての考察を綴りたいと思います。




今日の映像表現において、モンタージュ理論から影響を受けていない作品を指し示すのは非常に困難です。

まず、モンタージュ理論とは、1920年代のソヴィエトで提唱された映画理論であり、「モンタージュ(Montage)」とはフランス語で、「組み立てる」を意味する「Monter」に由来しているようです。

これには、セルゲイ・エイゼンシュテインを始め、当時のソヴィエトの映画人たちの実験成果が関連しています。

広義でのモンタージュは全ての映画に当てはまりますが、著名なのは、1922年レフ・クレショフの実験に基づく「クレショフ効果」ですね。
映像の表す意味が、前後の映像(ショット)の組み合わせ方によって様々に変化するということを証明したものであり、同じ映像(無表情)にも関わらず、組み合わされる映像によって意味や解釈は無限に変化します。

このクレショフ効果を最大限活用した初期の作品として挙げられるのが、アルフレッド・ヒッチコックの『裏窓』(1954)です。

足を負傷し、車椅子から降りることのできない主人公(ジャームズ・ステュアート)が、暇潰しとして望遠レンズを使って向かいのアパートの住人達の生活を覗いていたら、徐々にその観察にのめり込んでいく、という内容はみなさんご存知であると思います。

ジェームズ・スチュアートのクローズアップの次のショットに、向かいのアパートで巻き起こる光景をつなげ、また同様のジェームズ・スチュアートのクローズアップを映し出す。この時、彼の寸分変わらぬ表情の中に、我々観客は、様々な心情を取り上げることが出来ます。

このように、俳優の演技とは全く異なる水準で、映像のモンタージュの効果によって意味や解釈は変わってくるです。


さて、ソヴィエト映画とは、映画にゆかりのない人々にとっては作品を一つ挙げるのも困難でしょう。
しかしながら、ソヴィエト映画史の功績とそこに生まれた傑作とは、枚挙に遑がないのが実情です。

レーニンによるソヴィエト政権下では、映画産業の国有化が実行され、世界初の国立映画学校も設立されました。
この映画学校とは、映画的な諸経験を資本や個人の私有物に閉じ込めず、社会的な共有物とする映画的「知」の社会化が目指されました(山田 1996)。

また、我々にとっては特にフランス映画における一形態といった認識の「シネマ・ヴェリテ」も、ソヴィエトの記録映画作家ジガ・ヴェルトフの短編映画シリーズ『キノ・プラウダ』のフランス語訳であり、彼の名はジャン=リュック・ゴダールが率いた政治的映画集団「ジガ・ヴェルトフ集団」にそのまま用いられています。


ソヴィエト映画の革新性は、映画産業それ自体に多大なる影響を与えてきましたが、その中でも特に、セルゲイ・エイゼンシュテインの挙げた功績には目を見張るものがあります。

彼の代表作『戦艦ポチョムキン』(1925)は言わずと知れた傑作ですが、エイゼンシュテインが生涯に監督した作品はわずか7本で、彼が人生の多くを費やしたのは文字の世界でした。

彼の著名なマニフェストに、『アトラクションのモンタージュ』というものがあります。

“アトラクション” の語には、“観客の興味をそそる演じ物” と “公園の遊具” の2つの意味があり、両者を重ね合わせてジェット・コースターが引き起こすようなショック作用を観客にもたらそうとしたものです。

モンタージュにより構築された映画から観客は、現状社会や自身の属性、社会的立場を通過させてイメージを生成します。そこには作者による一定の方向付けがあるにせよ、図らずも作者の意図とは異なる方向へと観客が受容するイメージが進む可能性もあります。

即ち、モンタージュ理論確立以降の映画とは、ある種、我々観客による創造物なのではないでしょうか。

作り手の創造物に一定の空間が存在する(=モンタージュされた)映画は、最終的には観客の感受性に委ねられているのではないでしょうか。


動画サブスクリプションが勃興する昨今、我々は非常に容易く映画に接することが出来るようになりました。しかし、映画という映像表現を創造しているのは、他ならぬ我々自身なのです。
その責任をしっかりと認識し、観客は真摯に映画に向き合わないといけないと考えました。




いかがでしたでしょうか。

最後まで読んでくださった方がいらっしゃいましたら、ヒッチコックのクレショフ効果説明動画を、マチルダver. お届けしたいぐらい嬉しいです。

ありがとうございました。



【参考文献】
山田和夫、1996、『ロシア・ソヴィエト映画史』、キネマ旬報社。
岩本憲児、1986、『エイゼンシュテイン解読』、フィルムアート社。

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