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2つの世界の狭間で/ 『Perfect Days』


とてもとてもお久しぶりです。
そして、あけましておめでとうございます。

いかがお過ごしでしょうか?


自分でも不安になる程に文章を書くことから離れてしまいましたが、ようやく戻って参りました。


さて、わたくしは現在、北ヨーロッパを周遊しております。

その中で最初に訪れた都市、ブリュッセルにて鑑賞したヴィム・ヴェンダースの新作『Perfect Days』について、今回は綴りたいと思います。

2023年12月 マチルダ撮影
2023年12月 マチルダ撮影





言わずと知れたドイツの巨匠・ヴェンダースが日本で撮った新作ということで、既に鑑賞した方も多いことかと察します。


役所広司演じる公衆トイレ清掃員の生活を描いた本作。
口数の少ない主人公の、繰り返される日常を淡々と追うこの作品を“ジャームッシュ的な”と形容する人を多く目にしましたが、私にはシャンタル・アケルマンが強く思い起こされました。



舞台は東京の下町。
この街は、江戸の古き趣きを残しながらも、首都高やスカイツリーが堂々とそびえる不思議な感覚に陥る地域ですね。


主人公・平山は、盆栽を唯一の友達に、築50年は経っているであろう古びたアパート朝目覚め、清掃用具を詰め込んだワゴン(で合ってますでしょうか…?)で首都高に乗り出し仕事場へと向かいます。
そのミニバンを俯瞰で捉えた姿とは、未だに川だと思って海を泳いでいる鮭のようでした。





ジャームッシュが、淡々と生きる人の芯を持った穏やかさを捉えているとすれば、アケルマンは、淡々と生きる人の底無き悲しみによって形造られた狂気を捉えていると思います。


人によって造られた古き東京と、技術によって造られた新しき東京。
この2つの世界を行き来する毎日の中で、徐々に投入されていく非日常の瞬間。不変の穏やかさを求める平山が、いつか狂気へと変貌するのではないかと思い私は怖くて仕方がありませんでした。


「2つの世界の狭間で生きること。」

私にとって、2023年下半期の一大トピックでした。
地球を半周した先にある異国に移り住んで始めた、新たな文化と新たな言語での生活。

無論、楽しいことばかりではないことは重々承知していましたが、想像以上の衝撃に苦しまされることの方が多かったようにも思います。

そして、何よりも自身を悩ませたのはアイデンティティの所在でした。

22年間の人生をかけて追った夢であった海外生活。
しかしこの夢を一度叶えてみたら、これまでずっと嫌ってきた「日本人」という国民性が、自身の中に嫌というほど存在することに気が付かされました。

そして同時に、これまでずっと憧れてきた異国の精神が、自身の「ホーム」ではないことにも気が付かされました。



私は一体どこに落ち着けばいいのだろうか。

2つの世界の狭間で、ゆらゆらと浮遊して、どこにも存在出来ていないような感覚でした。
そして、まだ自身を納得させられる答えを見つけられていないように思います。きっと、足をつける場所を見つけられていない不安定さの中で日々を生きているのだと思います。

そんなこんなで、この『Perfect Days』に生きる平山の姿を目にしたとき、私は強い不安を覚えた訳です。




話は変わりますが、彼の友人であろう盆栽の置かれた部屋が作中に何度も登場しましたよね。
盆栽部屋とでも呼びましょうか。

この盆栽部屋のライティング、気になりませんでしたか?

技術的な話をしますと、室内に設置されたキーライト(メインとなる照明)に、恐らくマゼンダ辺りのジェル(色のついた巨大透明折り紙のようなもの)を被せて、人工的なライティングが意図的に展開されていました。

個人的には、この手のライティングにロケーションが東京と来ると、ギャスパー・ノエを思い出さずにはいられません。


平山の端正な生活は盆栽に、それと表裏一体の危うさは盆栽部屋のライティングに象徴されており、それがいつか、毒々しいネオンのカオスに解き放たれてしまうのではないかと感じました。



しかし、(軽いネタバレにはなります)
結果的に彼の穏やかさが変貌することはありませんでした。

そう、いわゆる“ジャームッシュ的な”映画に落ち着いたのです。





その理由は一目瞭然。

彼には、音楽があり、本があり、繰り返される日常の中で切り取りたい・記憶に残したい瞬間があったからですね。


人は誰もが、大なり小なり危うさを抱えているのだと思います。
時に人はそれと対峙し過ぎて自分を失うことになりますし、時に人はそれに気が付かないふりをして自分の心にも気が付け無くなってしまいます。


盆栽部屋のライティングは、“人の危うさ”の可視化なのではないでしょうか?あれを目にした時、心がなんだかザワザワしませんでしたか?

しかしながら、その危うさは解き放たれなかった。そして、私にも同じことが言えるのかも知れない、と思いました。
私にも、私を生かしてくれる映画があり、大切にしたい人がいて、忘れたくない瞬間があります。

それらが、人の持つ危うさを包んでくれているのだと思います。




ヴェンダース後期のフィルモグラフィーにドキュメンタリーが多いように、彼は歳を追うごとにより実質的にこの世を切り取るようになりました。

温かな物語の中に爆発しない爆弾を放り込んだことで、世界への関心事をしっかりと提起してみせたヴィム・ヴェンダースは、やはり巨匠と呼ぶのに相応しい映画人だと思います。


そして、これだけは。

大の小津狂で有名なヴェンダースが、念願叶って東京で作品を撮り、ちゃぶ台をローアングルで撮ったショットには微笑まずにはいられませんでした。
やはり、愛が人を生かすのだと思います。




今回はこんなところで。

最後まで読んでくださった方がいらっしゃいましたら、あなたにも缶コーヒーを買ってあげちゃいたいぐらい嬉しいです。

ありがとうございました。

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