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ちょっと撮りたい、ちゃんと撮りたい

カメラを愉しむのではなく

 私にとってカメラは表現活動の道具の一つです。撮影することは愉しいと思っていますが、お気に入りのカメラを眺めてニヤニヤしたり、撮りもせず弄り回す趣味はありません。愛着が無いこともあって扱いは雑で、数年間も使い続けるうちに何度も修理を重ねたあげく、ボロボロになります。

 あくまで写真を撮るのが愉しいのであって、そのカメラが産み出す絵柄が望み通りになるなら、メーカーだのブランドだのには拘りません。カメラに愛着を持つ人は、自分のカメラを唯一無二の存在であるかのように振る舞うことがあるけれど、私にとっては量産された工業製品に過ぎないものです。修理に出して固有のシリアルナンバーが変わって返されたことがあります。おそらく修理が困難で予備機と交換せざるを得なかったのでしょう。個体に対する愛着が無い私は、別にどうとも思わずに受け取りました。

 目的は写真を撮ることなので、その手段としてカメラを使うこともあればスマホで済ませてしまうこともあります。バスの時刻表をメモがわりに撮るなんてときは、スマホで撮れば充分です。

 まあ、しかし、出歩いているとき、ふと目に映ったものを撮りたいときがあります。ちょっと撮りたいと思ったときにスマホでは物足りないのです。ちゃんとカメラという道具を使って撮りたいじゃないですか。スマホで充分だろうと思う人は、撮影という行為が好きじゃないんでしょう。私は撮影が好きだから、カメラを使ってちゃんと撮りたいのです。

ふだん使うのはマイクロフォーサーズ

 いちはやくミラーレスを採り入れたマイクロフォーサーズは、他の規格に比べると小型軽量です。首から提げていても身体への負担が少なく、体調が良いときは、撮影の予定が無くても首から提げて歩いています。そうするとチョット撮りたい場面に遭遇したとき、すぐに撮れます。

2017年1月撮影

 ピント合わせにAFが作動し、ピピッと電子音で合焦を知らせ、絞り値とかシャッタースピードとかを手動で調整する……そのプロセスが愉しいです。

 何も考えず、ただ「良いな」と感じたままの光景を切り取って、人の心に響く写真を撮れる人もいるけれど、遺憾ながら私はそういう才能を持ってはおりません

 有名なプロ写真家が「考えて撮るようじゃダメだ」と、感じたままに撮ることを説いていますが、その感じ方が優れて居るなら良いでしょう。いまはカメラが適切な露出決定をして、ピントも合わせてくれて、そのまま撮れるわけです。しかし、それでは作品レベルの写真を撮れない人もいます。この私がそうなんです。

 なおかつ、チョット考える、撮ってみる、液晶で確認して、気に入らないところを無くすよう撮り直す……このプロセスに撮影の愉しさを感じます。

 ただし、それに用いるカメラに愛着はありません。メーカーもブランドも望んだとおりの絵柄が表現出来るなら何だって構いません。

「カメラの楽しみ方」よりは「撮影の楽しみ方」を語りたい

 カメラを実用品として扱っている私からすると、買い替えるたびに未知の新機能について勉強するのも億劫です。マニュアルで撮れば、評価測光だのなんだのと、どういう仕組みで露出決定しているかを勉強して対策を考える必要もありません。それは私にとって愉しいことではありませんしね。

 むしろ語りたいのは撮影の楽しみです。

 たとえば、単体露出計を使って撮る方法は、どんな新機能が登場しようと無効になることはあり得ません。カメラ任せで、カメラに撮って貰うことをことを望むわけでなく、自らの撮影意図を貫くために必要なことでしょう。そして、カメラに決めて貰うのではなく自分で決めたシャッタースピードと絞り値で撮ることこそ、撮影の醍醐味だと感じています。

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