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お前の3,153万6,000秒は何だったのか?My Game of The Year 2021

トップ画像引用元:The Game Awards

1年を振り返るとはどういうことだろう?
自分が生きてきた1年。12ヶ月、365日、8,760時間、525,600分、3,153万6,000秒生きてきた自分を振り返るとはどういうことだろう。

ただひたすらに、がむしゃらに働いて、週末はゲームをプレイし続け、文章を書き続けた、そんな日々を過ごしてきた自分は、1年間で何かを得たのか?何かが進歩したのか?何も得ていないのか?そもそもお前は何かに向かって進もうとしていたのか?お前は何をやっていたのか?

この1年間、お前は何者だった?

それを問うのが「振り返る」という行為なのだろう。

2021年の世の中といえば、昨年から起きた世界的な出来事のおかげで、あらゆるものが制限を受け、あふれる情報に翻弄され、人は振り回され続けていた。
その中で、お前は何だったのか?それを自分に問う。

お前はなぜゲームをプレイする?お前はゲームで何を得る?

なぜゲームをプレイする?そんなことを考える時がある。
その問いに「好きだから」以外の理由は必要ないと思っていた。だが今になって思う。「なぜ?」に対する答えは「理由」ではない、ゲームで「何を得るのか?」だ。
爽快感を得たのか?新しい映像と演出にに驚きを得たのか?クリアして感動を得たのか?何を得るためにゲームをプレイするのか?

答えの一つはインディーゲームにあった。
製作者が「俺の作りたいのはこれだ!」という想いがダイレクトに入った作品に触れて、それに共感する。その「情熱を得る」ことが、プレイする理由の一つだ。
そんな、情熱を感じたゲームを自然に選んでいる気がする。

ここでは、私にとってのGame of The Year(GOTY)2021を選んで、今年はゲームで何を得たのかを問う。
例年の通り、これは「私にとってのGOTY」なので発売年は関係ない。プラットフォームは私がプレイした環境のみ書く。

アドベンチャーゲームは宿命を背負う。ならば最高の宿命を見せようではないか

アドベンチャーゲーム(以下ADV)など謎解きを主体にしたゲームは、悲しい宿命も背負っている。
謎を探り、あらゆる手法を考え、何度も繰り返し行動し、ときには行き詰まって苦悩し、その末に突破して喜びを得る。だが、クリアして謎を知ってしまうと、その喜びを再び味わうことはできない。

Outer Wilds - Echoes of the Eye

Outer Wilds』はその宿命を背負ったゲームの一つだった。

Outer Wilds』は、宇宙の中で数々の惑星を探索しながら、あらゆる場所に隠された謎を解き明かしていくゲーム。一つの謎を解けば次の謎に繋がり、最後は全てが繋がる。そんな「謎の連鎖」に感動を覚える。

緻密に組み込まれたシナリオだけに、クリアすることでそれを終える、もう味わえないという悲しさも大きかった。
今年発売された追加シナリオ『Echoes of the Eye』は、その宿命に対する一つの答えだった。

本編にDLCとして組み込まれる、全く別のシナリオ。その進行も、本編は「広大な世界の中で繰り広げられる冒険」だったが、これは「限られた空間の謎解き」が主体と方向性が全く異なる。だが最後には両者との繋がりを見せてエンディングを迎える。本編で見せた「謎の連鎖」に組み込まれている。

宿命を背負うからこそ、その中にあらゆるものを詰め込む。そこに得る感動があった。

シューティングというスタイルはいつ決まったのか?そんなものは撃ち崩してしまえ

私はゲームの中でも、シューティングゲーム(以下STG)が特に好きだ。
今でもインディーゲームとしてスクロールタイプのSTGは毎年発売されているが、その中には過去作品のインスパイアが随所に仕込まれているなど、製作者の「俺はこのSTGが好きだ!」という想いが込められていて、プレイするとそれがダイレクトに伝わってくる。
特に今年は、そんな「過去作品に対する情熱」だけでなく、そこから更に独自のものを作る「未来への情熱」が込められたゲームもあった。

BulletGarden

プレイヤーが装備できる武器は300種類、ショットはオートで撃ち続け、ボタンは「撃たない」という真逆の操作、基本はエンドレスで1ミス即ゲームオーバー、プレイ中は時間に応じて敵と武器が次々と切り替わるなど、ステージやクリアという概念がない。

本作は、ことごとくSTGのスタイルから外れたスタイルで、あまりに異色でクセがありすぎる。その中に「STGのスタイルを根本から崩してしまえ」という意思が見えた。

ナツキクロニクル・ギンガフォース

STGは1コインでどこまで進めるか挑戦する、アーケードゲームのスタイルを引き継いだものが大半だが、そのシステムを撃ち崩す(正しくは『打ち崩す』だけどSTGなので)意思が見える作品。

各ステージとも、初プレイではまず死ぬ。だが繰り返しのプレイで新しい武器を装備して強化しながら突破していく「成長するSTG」であること。2013年にXbox360版が発売された『ギンガフォース』でこのシステムを作り上げ、長年の開発期間を経て2019年にXbox One版が発売された『ナツキクロニクル』で更に改良された。

過去を引き継ぎながら、新たなものを見せる。今年はそんなSTGを味わうことができた。

過去のゲームで何を得るのか?過去を繰り返して新たに得ることができるのか?

過去のゲームで得るものはあるのか?そんなことを考える機会だった。

Castlevania Advance Collection

携帯ゲーム機、ゲームボーイアドバンス(以下GBA)で発売された『キャッスルヴァニア』シリーズを中心としたパック。
私は当時、2作目『キャッスルヴァニア 白夜の協奏曲』をプレイしていたが、途中でやめていた。それを今回再びプレイしてクリアする。
本作は、止まっていた自分を取り戻す機会となる。

メトロイド ドレッド

メトロイド』とは、様々な面で不親切なゲームだと改めて感じる。
道中で、次に進むべき道が分からなくなってさ迷うことがある、隠しブロックを破壊しないと進めない場所が随所にある、というよりそれが探索のメインであることなど、多くは初代から引き継いでいるが、それを更に発展させている。
そこへ新たにステルス要素を組み込む、それも場所によっては(ネタバレ)を求められるなど、あらゆる不親切を組み込んでいかに楽しむかという、様々な「不親切の追求」にある。

アクションゲームで一つのジャンルのようになった「メトロイドヴァニア」というスタイルはこの2作から発展したものだが、実際は『メトロイド』ではなく、それを元に作られた『キャッスルヴァニア』の方を基準に発展している。
それに対して本家は、不親切と面倒くさいことをを追求するという、他の作品とは一線を画したものを目指している。

今年は、元祖と言える2作に触れたことで、改めて「メトロイドヴァニアとは何か?」を考える機会となった。

19XX - The War Against Destiny -

カプコンから発売されたアーケードゲームを復刻するプロジェクト。この中で、私にとって最も大きなタイトルが『19XX - The War Against Destiny -』だった。

1996年の発売以来、初めての家庭用移植となったタイトル。25年越しの実現に様々な思いがあった。
それについては、発売当初にnoteで書いている。

久しぶりにプレイすると、ロックするタイミングやパターンなど、当時の感覚は忘れていない。何よりも、自分はこのゲームが好きなんだという気持ちは変わっていない、そんなものを再認識する機会となる。
ただ、当時は毎日1コインクリアしていたのに、今はかなわない。続ければ必ずクリアできるゲームではあるが、当時を再現するよりも、あの楽しさを再び得たことで満足している自分がいる。

一度体験したゲームで新たに得るものはないが、取り戻すことはできる。そんな「過去を得る」ことが、移植や復刻の良さなのだろうか。
それが、過去のゲームと向き合って感じたことだった。

今年のゲームで何かを得た、それがお前のGame of The Year 2021だ

先に書いた「ゲームで何を得たのか?」。私が最も得たと言えるのはこの作品。言わば、私にとってのGame of The Year 2021だ。

アトペス

本作は、メタフィクションという手法を用いて、ゲームの中からプレイヤー自身に対して何度も語りかける、そこから「ゲームをプレイする意味」を問う。その見せ方や手法に心打たれた。
それについて、noteでレビューを書いている。

この記事は、作者様がアップした『アトペス』紹介動画にある「紹介記事」の部分にも掲載されている。

これが、作者の方と繋がるきっかけとなった。
ゲームで得たものも大きかったが、それによって人との繋がりと、自分の文章に対して少しの自信を得た

なぜゲームをプレイする?ゲームで何を得たのか?その問いに対する明確な答えがそれだ。
今年は、それが言える年だった。


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