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垂れ流し弔い7-

生きているということの価値を自分自身があまり持てていない。大問題過ぎる。

見ていたいな、知りたいなくらいしかなく、全く持ってそれだけでいいとも思っているのだけれど、弱い。生きることへの執着として。

いや、弱くもないのかな。
他人への思いやりとして弱いだけかもしれない。
自分自身の生きることや死ぬことへの執着みたいなものは持てば持つほど苦行担っていくと思うから、別にそれは持たなくていいや。

あんなに辛い想いさせるの可哀想だから死なないでおこうか、ぐらいの思いやりはある。
ただその拘束力は結局生きる意味までには繋がらず。

可哀想…。誰が?
能天気に振る舞うし、能天気に生きるからいつまでも笑っててくれ〜〜。

俺が!!笑顔にしてやる!!!的な志が足りないのかな。ケアをしようはあっても、比べると距離があるね。責任の意識の問題かな。
なんだろう。

やっぱ皆それぞれ生きてますから、あなたの好きにしなよがつよい気がする。

私も死ぬも生きるも自由にするので。
責任を持たせないし、責任は持たない。
自覚はもつ。

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