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別に好きなことわからんくても良いのでは

好きなことがわからなくなったとしばらく悩んでいたのだけれど別にわからんくても良いのではという境地に達してしまった。
私は好きなことがある人が羨ましかったけれど自分にも充分に好きなことがあることに気づいたのだ。

読書はずっと好きだったけど好きなのかどうかわからなくなった原因は周囲と私を比べてしまったから。
何分で何ページ読めた、月に何冊読めた。
この本は読んでいる読んでいない。
今日も全然読書できなかった、月に何十冊読む人はもっとしてるのに。
そんな感じで。
私は読書は好きだけれどそこにノルマを課してしまうと楽しくなくなるし苦痛に変わり好きでなくなってしまう。

好きなことは好きな時に好きなだけがいいのかも。

それと、好きなことがわからなくなって空っぽになってような時間を1週間ほど過ごしているうちにもっと小さいことにフォーカスすれば日常が好きで溢れていることに気がついた。

例えば今目の前にあることで言ったら私のスマホケース、スマホ、水筒。
これらは全て私の好きな色だ。
今来ているパジャマもそう、私が好きで選んだものだから勿論好き。
お昼はベーコンエッグの予定、小さい頃から好きだ。
それをトーストに乗せて食べる、コーンスープもつけちゃう。至高の時だ。
朝はぬくぬくのお布団で目が覚めた。お布団は大好きだ。
髪の毛が落ちていたので掃除機をかけると床が綺麗になって気持ちがいい。
昨日乱雑に机に本を置いて寝たら今朝起きてきた時、母が私の席の方に向けてから仕事に行ってくれていた。好きだ。
寝たい時間まで起こさないでいてくれた。好きだ。

こんな感じで「好きだ」と思えることは溢れていて、決して私の心がおかしいのではなかった。
ドラマや映画のイケメンを楽しめるような感受性はないのかもしれないが、今まで私が好きだったことは好きだったと言えるような気がした。
「そういう時もある」はいいのか悪いのか全てを綺麗に片付けてしまう言葉だが、今好きだと思えないものも好きだと思えるものも「そういう時」なんだと思う。

あとは好きなもの、と言っても勝手に分類されてる。
読書、旅行、音楽鑑賞、といった継続して知識や経験,体験を蓄えることのできるタイプのものと、さっき私が言ったような物や日常の瞬間のような切り取り式の人に通じるかは怪しいもの。

好きなものがないと困るのは本当に人との会話で趣味とか聞かれた時くらいで、私はそれを極端に恐れているだけなのかもしれない。
薄っぺらい教養や向上心のない人間だと思われるのが怖い。

でも私は私の好きなものをとことん追求していきますからね。

日常において「好きだ!」と思ったことばかりを書き留めるだけの日記帳でも作ろうかしら。
・お爺さんがコーギーを連れて公園を散歩してた、好きだ。
・一年に一度の大好きな行事まで半年切ってた、最高〜!
・枝毛って嫌だけどよく見ると可愛いかもしれない。
とか、そんなことばっかり書いてたい。

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