ポール・オースター

大学生の頃か、ポール・オースターが好きだった。

「空腹の技法」という書評やエッセイのような文章が集められた本を最初に読んだ覚えがある。カミュの断食芸人についての考察や、名前は忘れてしまったが神童と呼ばれた学者の自伝の書評もあった。

シティ・オブ・グラス、リヴァイアサン、偶然の音楽など読んで、どれも面白かったし、そのとき自分の読みたい本だった。

なぜかわからないが、その後はほとんど読まなくなったし、一度読んだ本を読み返してもいない。

昔は旅行に行っても写真を撮るもの嫌だった。写真を撮るとその瞬間の自分の記憶が写真を撮った記憶になってしまうと思っていた。

本を読み返すのも、最初に感じた印象が薄まるような気がしたのかもしれない。


ポール・オースターの作品は、自分の記憶の中では、人生の偶然性を訴えるテーマが一貫していた。なんの脈絡もない悲劇や幸運。

そういうストーリーに惹かれたのは、人生を個人の選択の結果で、成功者は努力したから成功しているとか、不幸な人間は自分が努力していないから不幸なのだとか、人生の必然を強調するメッセージに飽き飽きしていたからだと思う。


最近、「奇跡の教室」という映画を見た。フランスの様々な文化的民族的背景を持った生徒たちが集まるクラスがあり、生徒達はフラストレーションを抱え、成績も低迷し、問題を起こす。美術史の教師が、ナチスの虐殺について調べて発表するコンクールへの応募を決め、生徒達が当時の状況を調べたり、生存した人のインタビューを通じて、亡くなった人達への理解を深めていき、共感を通じてクラスにまとまりが出来ていく。

半藤和利の「昭和史」という本は、戦争が終わったということが、市民にとってどのような出来事だったか書いていた。玉音放送を聞いて、人々は何を感じたのか。神と信じていた天皇陛下が、人間であると知って何を思ったか。

そう遠くない昔に、価値観がひっくり返るような出来事があった。

今、自分が考えたり、信じたりしていることなんて、明日には何もかも変わっていてもおかしくない。何も考える必要なんてない。




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