Negicco "愛は光"レビュー

Negiccoの魅力のひとつに、彼女たち3人の控えめさがある。音楽好きを唸らせる楽曲と、15年のキャリアに裏打ちされたパフォーマンスがあるにも関わらず、たくさんのアイドルたちが立ち並ぶ中だと、他に前を譲って一歩下がってしまう。勿体無いと思いながらも、その気持ちはよくわかる。自分に自信が持てない私たちにとって、彼女たちはつい気になってしまう存在なのだ。


でもそんな思いやりから来る控えめさは、かつては彼女たちを苦労させてきた。新潟のローカルアイドルとしての活動は、チャンスを掴みかけながらも、完全には掴みきれない時期が長く続いた。アイドルである上で、控えめであることは、少なくとも器用なスタイルではなかったようだ。


そんなNegiccoの15周年の節目にリリースされるベストアルバムの1曲目のサビの歌詞が<私が月なら太陽はあなたよ>なのは、わかりすぎるくらいわかる。別に誰もあなたたちが月だなんて言っていないのに、<私が月なら>という前提で話を進めてしまう。いじらしいほどの控えめさ。


アイドルファンには、「ファンは推しに似る」という格言がある。実際、Negiccoのファンは、ライブのMC中に後ろの人にステージが見えるように自主的にしゃがむような思いやりのある人が多い。多分Negiccoが「私が月」と言えば、ファンも「いやいや、私たちが月です」と言うだろう。そんな謙遜し合う様が容易に思い浮かぶ。そう考えると、このサビ頭の部分で、Negiccoのみならずそのファンすらも言い表してしまっている。


ただ、この曲はそれでは終わらない。あとに続く<私だって太陽 あなたを照らしたい>。これは決して蛮勇ではなく、<授かった愛を輝きに変えよう 惜しむことなく>とあるように、彼女たちを支え、応援してきたファンたちの気持ちを思いやるからこそ、アイドルとして輝こうという彼女たちならではの決意の表れなのだ。長い下積みーーと言って良いだろうーーを重ねて、ついに野音やNHKホールなどの会場を埋めるまでになった彼女たちのここ数年、イコールこのアルバムに収録されている2011年以降の姿をまさに象徴する楽曲と言える。ファンから受け取ってきた光を、今度は自ら放つ。月でありながら、太陽にもなろうというNegiccoの15年目にしての改めての宣言だ。

いや、Negiccoに限った話でもないのかもしれない。アイドルにおいて”愛は光”と言われると、曲中にもあるように、サイリウムやペンライトが思い浮かぶ。確かにファンがアイドルに向かってサイリウムを振る様は、アイドルを自分の光で照らすように見える。何故アイドルを光で照らすのか。それはアイドルは照らした光を吸収して、何倍にもして返してくれるからだ。そう考えると、そもそもアイドルは太陽でもあり、月でもあるのだろう。


ファンがアイドルから楽しさやときめきのような美しい感情を受け取るように、アイドルだってファンから糧になるような何かを受け取ってくれているのだ。それがファンの妄想ではない、と言うことをこの曲は教えてくれた。だからこそ、この曲はNegiccoだけでなく、アイドルを照らしている全てのファンの心を揺さぶるものになっている。


そうだ、私たちはアイドルを照らしたい。握手をしたり、SNSでリプライを送ったりするのも、本質的にはアイドルから光を受け取ったことの感謝を伝えたいからではないだろうか。そして、その伝える行為が、少しでも彼女たちにとっての光になっていてほしい。なぜなら、愛は光だから。



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