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ボイストレーニングで想定外の打ち手に出会った日の日記

東京駅の人混みに漂う悩みたちをギュッとつまんで一つの箱に入れたら私、くらい悩みの塊である自己認識がある(自意識の大きさ、恐ろしい)。そんな中で、長らく解決に至らず、足元で深刻さを増していたのが「声の小ささ」だ。

より正確には、「ハイブリッド会議でマイクと距離がある時のマイクへの声の拾われなさ」。

学生の時以来10年ぶりに会った友人に「人を驚かさない、優しい声をしているね」と言われて悦に浸ってみたり、そうだそうだ、平和主義な自分の性格にマッチした声なんだ、と自分を奮い立たせてみたりしている。カラオケだってそんなに下手じゃなく、中島美嘉で同期を泣かせたこともあれば、あいみょんで90点代後半を出したり、サザン桑田の歌真似クオリティはなかなかだと思っている。

そんなポジティブ要素を必死に挙げてみても、「会議での声の通らなさ」は無情にも積年の課題であり続けている。

セミナー登壇の機会や評議会、経営会議等、ますます必要な場面が増えていく中で、このコンプレックスを放置してはいけない。「もうちょっと大きな声で・・・」と言われてもどうしたらいいかわからない(全然出ない)恐怖の局面をなんとか乗り越える必要がある。悩ましいのは、緊張とかはしないタイプなので、それが原因じゃないことだ。心の中は堂々としてるのに、出力はか細い。心許ない。2023年のうちに克服したいと思って、人生で初めて、ボイストレーニングに行った。

悩みを伝えて授業開始。まずはFIRST TAKEみたいなマイクに向かって「今日の天気は雨。明日は晴れ。」と伝えることになった。
ボリュームに問題があるだけで、声質は悪くないんだと自分に言い聞かせ、いつも通り、でも気持ち声を張り上げて、読み上げた。

一言目にいただいた言葉は、「よく、早口って言われませんか?」。

びっくりした。早口と言われたことはこれまでなかったので、全く気づかなかった。
自分にとって「心地良い」の2倍ゆっくり話してみてください、と言われ、ドギマギしながらスローリーに話してみた。

録音を聞いたらしっかりと3倍くらいのボリュームでマイクに拾われていた。なかなか悪くなさそうだった。
驚いたのは、打ち手が想像していた方向と全然違うものだったこと。目からだった。声を張り上げるんじゃなくて、話すスピードを変えてみること。

早口だと、ボソボソと聞こえてしまうらしい。確かに、ちょっと暗めというかオタクっぽいというか。(過去ずっとこれで来たのだから、直視するのはなかなか辛いのだけれども。)

今まで会議等でご一緒し、オンラインで参加して、オフラインの私の声がマイクに拾われずに途切れ途切れの会話を聞かされたことのあるみなさま申し訳ございません(ある複数名の方々のお顔を思い浮かべながら謝罪の言葉を書いています)。今後は、ゆっくり話します。

いくつかトレーニングが続いたのだけど、もう一つ衝撃を受けたことがある。それは、手鏡を見たら、想像の100倍くらい目が死んでいたこと。

無意識にクールぶっていたのかもしれない。スイッチOFFの、少しタレ気味の、死んだの目と目があった。これからは眉毛も2個分くらい上げてみようと決意した。

ーーー

人生の転機でも転機じゃない時でも、折に触れて読み返すバイブル的な文章がある。

かつて誰もがクールに生きたいと考える時代があった。
高校の終り頃、僕は心に思うことの半分しか口に出すまいと決心した。理由は忘れたがその思いつきを、何年かにわたって僕は実行した。そしてある日、僕は自分が思っていることの半分しか語ることのできない人間になっていることを発見した。それがクールさとどう関係しているのかは僕にはわからない。しかし年じゅう霜取りをしなければならない古い冷蔵庫をクールと呼び得るなら、僕だってそうだ。

村上春樹『風の歌を聴け』

折に触れてハッと感銘を受けるってことは、知らず知らず霜が溜まってしまっているってことだ。「沈黙は金」とか、「踏んでいることに気づかせないブレーキ」とか、そういった沈黙の美学が、時に自分を取るに足らない人間の方向に追い込んでいるのかもしれない。

正直に言えば、自分の低めの声は、自分にとっては結構心地いい。しかし、講師の方曰く、「自分にとって心地良い声」は、鼓膜の内外を通る音を両方とも唯一聞ける自分にしか聴こえていない声であって、それは他者にとっては、必ずしもベストなチューニングではない場合があるとのこと。
これってコミュニケーションにおいても言えることだなと思った。自分の中で完結して空気に触れさせるステップを踏んでいないと、思っているのとは違った音で聞こえることがある。思っているのとは違ったように伝わる考えがある。

師走も中頃、年の瀬が迫る中、まだ自分にしか伝わってない(本人に伝えきっていない)感謝の気持ちがたくさんある。人と仲良くなるのは得意な方だ(と思っている)けど、相手には伝わらない振動、見えない壁を作ってしまっているかもしれない。(スイッチOFFの自分は、思ってたより目が死んでいたから…。)

気持ち2個分眉毛を上げて、2倍のペースでゆっくりはっきり、恐れずに伝えていきたい。

気持ちを空気に触れさせてみることの大切さは、多分自分にとっての重大な課題のようで、2年前に書いた小説でも、ヒロインに似たような助言の言葉を語らせていた。

「たまには取り出して空気に触れさせるのもいいらしいよ、怖いけどね。それにきっと、君の言葉で傷ついたり疲れたり、したい人もいるんじゃないかな。」

『春の所為』


直近でこんな取材をしていただきました。自分の信念も、恐れずに適量、空気に触れさせていきたい。


その後

3ヶ月後の感想(2024年3月)。発声はPDCAを回す場面が多いことが趣味としての強みかもしれないと思いました。また、手法に着目して試行錯誤すると、それをしていないときより自意識が適切なレベルにチューニングされる気がします(要するに余計な不安を感じづらくなる)。6ヶ月後はもっと面白い感想を持っていたい、引き続き楽しみます。




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