悩み続けることも、選択の1つ
こんにちは、ナザレです。
いやー、ついに夏がきたー!!!って感じですが、
皆様いかがお過ごしでしょうか。
夏といえば、ボーナスの時期ですね。
ボーナス時期を過ぎると、いろいろと悩むことも多くなりますよね。
例えば、「このまま、この会社にいていいのかどうか」などなど。
夏のボーナスが終わり、冬のボーナスが来ても、なかなか答えが出ない問いだとは思います。
実際、何回ボーナス時期が過ぎようとも、転職するかどうか踏ん切りがつかない人も多いでしょう。
特に、今の職場に不満がければ、「このままでいいか・・・」と考えがちです。
とはいえ、本当にこのままでいいことも多いので、無理に転職する必要はないかもしれません。
だったら、悩みだけ無駄だと思い、今の会社に居続けるという選択もありです。
しかし、私は悩むことが無駄だとは思います。
悩み続けることも、1つの答えだと考えているからです。
悩むことは良くないことだ、と考えている人はいるかもしれませんね。
スッキリ答えを出せずにウジウジ悩んでる感じがして、悪い印象があります。
答えを出せない自分は、何か間違いを犯しているのではないかと考えてしまうこともあるでしょう。
でも、果たしてそうなのでしょうか。
悩むことが完全にマイナスに作用するということは、本当なのでしょうか。
悩むという行為は、言い換えれば「考える」という行為と同じだと思います。
だとすると、悩まないということは「考えない」ということと同じではないか、と私は思います。
まぁ、悩んでない奴は何も考えてないとまで言うつもりはありませんが、悩むということは、何か考えている、もがいていると言ってもいいかもしれません。
人生において、悩むことは多々あるはずです。
逆に、悩まない人なんているのでしょうか。
人は、生まれてから死ぬまでの間に、必ず悩む場面があるのです。
その回数や内容の重さに関しては、個人差があると思います。
いつも悩んでる人もいれば、あまり悩まない人もいる。
軽い悩みもあれば、重たい悩みもある。
いろんな悩みが世界のあちこちに散りばめらているわけなのです。
そういった類の悩みに対して、悩みに苛まれている人に対して、心無い言葉をかけることは、その人生を生きている人に対する冒涜だと言えるのではないか。
そんなこと悩むに値しないなどと、他人が言うべきではありません。
悩むこと、その悩みと共にあることは、真剣に生きていることと同義なのだ、と私は思います。
なので、悩み続けることを恥じる必要などないと言いたい。
答えが出なくたっていいじゃないかと言いたい。
答えを出すことが人生の目的じゃない。
正しい方向に進むことだけが人生じゃない。
悩んで、保留して、そのまま立ちすくんだっていい。
悩んで、悩み続けながら前に進むことも人生だと思います。
人生には無限の選択肢があると、よく言います。
だったら、悩む続けることも選択の1つだと言えませんか?
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