山田太一さんに寄せて

先週の金曜日、仕事に向かう電車の中でスマホを見ると山田太一さん死去、の文字が目に飛び込んできました。ショックと同時に、多くの作品を残されたことに改めて尊敬の念を覚えました。

私が山田さんに出会ったのは中1の時に、サザンファンの父が好きだと言っていた「ふぞろいの林檎たち」を見たことがキッカケです。自分にはまだ想像もつかない大学生(しかもうちの両親と同世代)の物語に夢中になったことを覚えています。勉強もできず、学校も嫌いだった私は成績や周りの大人にとって扱いやすいか、ということ以外の軸で若者を見ている大人がいることに救われた気分になったものです。高校生の頃には父の本棚にあった「岸辺のアルバム」の小説を読み、ストーリーの面白さに衝撃を受けました。そして当時、少し家庭に対して思うところもあった私は、長男の繁に感情移入しながら読んでいました。

山田さんのドラマは、初めてテレビドラマの時代を超えた普遍性を教えてくれた存在です。どんなに時代が変わっても人生のままならなさや、私達人間が生きていく中で出会う出来事と、それに対して抱く気持ちというものは変わらない。
この発見は、私が後にテレビ業界で仕事をしたいと思うようになる大きなキッカケのひとつでした。

70年代〜80年代のテレビドラマを牽引した山田さん、倉本聰さん、向田邦子さんの御三方はシナリオライター御三家と呼ばれています。倉本さんは山田さんの訃報のあと、複数のメディアからの山田さんに関するインタビューに答えておられました。この御三方に共通するのは人間の内面や時代を深く見つめたドラマを作られていることです。御三方とも戦前まれで、子供の頃に戦後生まれの私達には想像もつかないような経験をされていると思います。向田さんは東京大空襲のときのご自身の経験をエッセイに書き遺しておられますし、倉本さんの「やすらぎの刻〜道〜」における戦争描写は非常に印象的でした。山田さんは、疎開で生まれ育った浅草を離れ、神奈川に移り住んだそうです。彼らの人間や世の中への目線の根底には、戦争経験があるのではないかと感じます。
私はこのお三方の作品がとても好きで、自分と同世代の人には馴染みがないことを
残念に思っています。全く違う世の中を生きているからこそ、先人たちの話に耳を傾けることは、新しい感覚や物の見方を知る端緒となると思います。

この御三方の作品は、ソフト化されていない作品も多く、なかなか全てをトレースするのが難しいのですが、これからも彼らの本やドラマを追える限り追い続けたいです。