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Anonyme

パフェを食べてくれた宗形直輝さんから感想をいただいて、他の食べてくれた人が読んでくれたら体験の反芻になるんじゃないかなと思いました。
ご本人に了承いただいたので記載します。
内容のネタバレ含みますので後半日程で召し上がられるかたは、食べたあとに読んでいただけるとご自身と違った視点や同じ視点を振り返られて面白いかと思います。

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いつもより横に広い構造で、食べすすめる方向の指向性が低かったこともあってか、ストーリーより印象派の絵画のような雰囲気を感じました。

チタンの薄造りのスプーンで上の3つの要素を食べたとき、本当にびっくりしました。
『食べる』という行為が消失し、より味の純度が高くなったように感じます。
こんなに情報量が多かったのか、と改めて目がまんまるになりました。

長く残らない、細やかなテクスチャの違いで構成された、ミステリアスな風味の梨のソルベ、硬いのにほどけていく、卵を強く感じるのに野暮ったくないプリン、すべての輪郭をやさしく曖昧にするホワイトラム?のクレームシャンティ。

ここまで、食べていることを忘れているような感覚でした。スプーンの効果も絶大です。小関さんのパフェとの相性が半端じゃないです。
軽いことで持ったことを忘れ、
切ろうとしなくても切れることですくい取るという行為への注意が薄れ、
スプーンの口当たりが少ないことで、口の中に運んだ、というフィードバックがなく、いつのまにか食べていたような感覚になりました。

それに加えて一度も噛んでいなかったのかもしれません。

深めにカラメリゼされた胡桃の食感と風味をとても鮮烈に感じました。
歯に残る食感、ソルベよりかなり長く固体が口の中に残る感覚は、小関さんのパフェにはあまり取り入れない要素だと思っていたこともあり、とても印象に残ったのを覚えています。
また、その感覚に好印象を持ったのが本当に初めてで、なんというか、ショックでした。

ショコラティエのパフェにありがちなシュクレフィレや大粒のショコラ、剥き身のナッツは、アイスの温度に味と食感を奪われて、あんなに美味しい大好きな食べものが、突然ロウにでもなってしまったかのような悲しみを感じることが多いです。
だから、パフェの中に長く残る食感はもはや嫌いですらあったんです。
でも今回のパフェで、僕の小さな小さなトラウマがひとつ、消えました。

そのショックで、メレンゲの存在感が希薄になりました。感覚としてはいなくなっているのに、歯がそれをぎりぎり知覚するような錯覚が起きました。

烏龍茶のソルベ(これ大好きでした!単品でもたべたい、、!)とほうじ茶のゼリーは、どちらがウーロンでどちらがほうじ茶だか食べているうちにわからなくなりました。いつも強く感じている2つのお茶の風味の裏側を強く感じているのかもしれません。

栗は、ツルッとした表面から想像できないホクホクした食感が一番印象的な食べ物だと思っているので、その歯ざわりがなくなった栗はまるで違うもののように感じました。香りに着目するとこんな余韻のある性質なんだ、と驚きました。

幅広のグラスだからか、そこにランダムに帳を落とすクリームとナッツが、深まっていくトーンを陰気に感じさせない優しさを付与していました。
浮世絵の雲のような、ないはずの空間を知覚させるような役割も担っていた気がします。


そのものを食べるのとは違う側面を突き詰められた(でも素材の美味しさも深く感じる)、淡いけれど独特な、長い長い余韻を残すフレーバー。余韻が長いためにずっと折り重なっていきました。
その、それぞれのパーツの強いキャラクターは、姿を見ようとするとぼやけて見えなくなってしまい、燻ぶった、湿度のない少し焦げたようなにおいだったり、木々の間で幾重にも重なった濡れた落ち葉の薫りといった『印象』まで引いてみてやっと像を結びました。


楽しかったし深い気づきもあったのに、内容を覚えていない会話。燻ぶっているのに清らかな、和やかなのに張り詰めた空気。消える瞬間に存在感を放つお香、移り気な空。
広重の描く遠景、ジョルジュスーラの木立。

なんだか感想が支離滅裂になりますが、それは必然なのかもしれません。

沢山の驚きをはらみながらいつのまにか過ぎ去っていく二面性。深まることで終わり、季節と呼ぶにはあまりに記憶にのこらない。でも僕がいちばん好きな秋が、すべて入っていました。

本当に美味しかったです。ご馳走さまでした。


アイディア尽きるまでずっとパフェ作ります