見出し画像

なぜ僕が北海道ヒト大学の学長になったのか。【大学入学〜就職活動編】


今回は僕が北海道ヒト大学の学長になった経緯についての説明part2です。

前回の【小学校〜高校時代編】に引き続き、大学に入ってからの自分自身の変化、そしてそれがなぜヒト大学に繋がるかを投稿します。



第三志望の大学に入学


大学受験では失敗した僕は、滑り止めの滑り止めであった現在の大学に入学します。

国公立もセンターも受験していない人たちが周りに沢山いる環境で、半年間必死に勉強した自分はこの大学では周りよりも頭がいいんだと勘違いをします。

そして、周りの人と一緒のレベルにしないでほしいと、すごくあまのじゃくになっていました。

当時はバイトなどの大学に入ってから出会う人や、中高の時の友達などの久しぶりに会う人たちに、今の大学名を言うことがすごく恥ずかしかったくらいです。

同じ学部で同じ講義を受けている人たちと自分は違うんだという勘違いをしたまま日々過ごしている中、講義中にスマホをいじっていたり雑談をしている人の多さに嫌気がさし、大学にもあまり行かなくなります。

1年生の春に始めたUNIQLOのバイトはすごく頑張っていたので、バイトリーダーになったり、当時の店内のチームでMVPになって表彰されたりとどんどん学校に行きたい理由がなくなっていきました。

そんな時、どうやら大学では入るゼミ次第で学校生活が変わるらしいという噂を耳にします。

言われてみれば、高校3年生の最後の半年間だけ通った予備校で、担当だった現役の北海学園大学生の先生がゼミの話をよくしてたなぁと思い、経営学部で一番のゼミと噂されていたゼミの体験会に行きました。

すると、そこで自分たちのゼミについてプレゼンしていた先輩の話が、びっくりするくらいわかりやすい。

しかも、そのゼミに所属している先輩たちは僕よりも偏差値の高い高校出身の人たちばかりで、国公立大学に落ちてしまって大学に入ったけど、頑張る道を見つけていました。

この大学では周りよりも頭がいいと思ってた自分の勘違いに気付き、この環境で頑張っていきたいと決心し、僕は今のゼミに所属することになります。


VOCAL BATTLE AUDITION5


ゼミに入ってからの最初の1年は、体験会でプレゼンしていて一気に自分の目標となった先輩についていこうと、先輩と同じチームのプロジェクトなどに所属します。

プロジェクトの進行の仕方などはもちろん、企業の方と一緒にイベントを企画することなども多かったので日々学びだらけでした。

頑張るクセが少しずつ身につき始めた時、今の自分が存在する上では欠かせない、あるオーディションに出会います。

「VOCAL BATTLE AUDITION5」

初回のオーディションではEXILEのTAKAHIRO

二回目のオーディションは三代目J SOUL BROTHERS、GENERATIONS

などのボーカリストを輩出してきた有名なオーディションの5回目となる開催が決定したのです。

画像1

中学時代からEXILEが大好きだった僕にとっては、伝説みたいなオーディションで自分も年齢的に受けられる歳になったことに気づき、ゼミ以外では相変わらずあまのじゃくだった自分はエントリーをします。

元々カラオケで歌うことが好きだったので、エントリーをした日から毎日のようにカラオケに通い、歌の練習をしました。

憧れのEXILEの仲間入りができたら・・・

と思う気持ちがありつつも歴代の参加者たちのレベルの高さは知っていたし、エントリー数が全国で3万人だったのでどうせ無理かもと思う気持ちがある中、迎えた一次審査。

僕は奇跡的に314人の一次審査通過の中に入ることができました。

すると結果が出た瞬間、そんな大きいオーディションどうせ受かるわけないでしょ。という反応だらけだった周りや家族が、急に、すごいな!がんばれ!っていう反応に変わりました。

まぁ僕も友達が何かのオーディションを受けて芸能人になったとしたら、急に応援し始めると思うので、その友達の反応を悪く言うつもりもありませんし、むしろ普通だと思っています。

でも、オーディションを受ける前はいくら本気だと言っても小馬鹿にされて説得なんてできなかったけど、結果を出せば周りって簡単に変わるんだなってことをその時に学びます。

東京での二次審査はEXILEのHIROさんをはじめとするメンバーやその他活躍しているアーティスト陣20名くらいとレコード会社、数台のテレビカメラというとんでもない環境で、歌っている最中の記憶は本当にありません。

結果的に二次審査は不合格になりますが、初めて受けたオーディションで自分の歌が少しでも評価されて一次を通過できたという自信や、もっと歌の練習をして次の機会がもしあればリベンジしたいと思いから、1年間ボイトレに通い始めます。

それからライブに出たり歌の大会に出たりと活動しているうちに、北海道で一番大きな年に一度の歌の大会でファイナリストになったり、自分の歌がテレビで放送されたり、ラジオで歌わせてもらったりとどんどん世界が変わっていきました。

目標をもって頑張っていれば、自分でも気づかないうちに飲みにいったり付き合っていく人も変わっていき、自分ももっと頑張ろうといい影響を受けるコミュニティへと、所属するコミュニティが変化していきました。


ゲストハウスwayaとの出会い


歌の活動だけして過ごしていたわけではなく、ゼミでも多くの活動を経験しました。

2年生の途中、

「どうやらゼミの中ではリーダーになるといっぱい成長できるらしい!」

という浅い見解から、多くのプロジェクトでリーダーを務めるようになります。

同期や後輩を含めた10名前後のチームを持つことが多かったですが、毎回苦労の連続でした。

ゼミでどういう活動をしていたかということ関しては、下のURLから見ていただけると嬉しいです。

( ↓  3年生の時に企画・運営したイベント )


歌の活動のおかげで大学に通っているだけでは出会うことができなかった多くの人と出会うことができたけど、特別な活動をしていない人でも、他大学の人と会ったり話したりできる学生のコミュニティスペースを札幌に作りたいと考え、動いていた時に一人の北大生と出会います。

その人に「だったらゲストハウスwaya」ってとこに行ったらいいよと紹介してもらいますが、ゲストハウスという言葉自体聞いたことがなかった僕は、wayaについて沢山調べます。

すると、

「学生アンバサダーを募集します」

という一つのnoteに出会います。

wayaでイベント企画をしたり、ゲストを楽しませたり情報発信をすることがアンバサダーの仕事で、学生限定でその一期生の募集がされていました。

そして、そのnoteの最後にこんなことが書かれていました。

画像3

この言葉を見た瞬間、ゲストハウスという存在すら知らない自分は絶対にアンバサダーやろう、と決めます。

Shared Luougeの営業時間が23時までだけど、22:30までのバイトが毎日のように入っていたのでどうやって意思を伝えにいこうか・・・

と悩みましたが、22:30にバイトをあがって、ダッシュで地下鉄に乗り、コンビニでシェアする飲み物を買い(Shared Loungeはおすそわけシステムなので)、22:50くらいにwayaに到着します。

記事を見て来ましたということを伝え、どうしても話がしたいという気持ちを汲み取っていただき、閉店後のShared Loungeで掃除を手伝いながら話をしたのが、涼平さんとの出会いです。

学生アンバサダーとして関わることを認めてもらい、自分はどうやって価値を提供しようか考えた時に、一番に思い浮かんだのはやっぱり音楽を通して人を楽しませたいということでした。

当時wayaでヘルパー(住み込みで一定期間働いている方)をしていたフランス人の女性がピアノを弾けるということもあり、色んな人が主役になれるライブをしよう!と企画します。

自分たちが歌った後は自由な演奏時間で、楽器が弾ける人は歌いたい人に合わせて伴奏したりもする。

その空間が、歌が上手い下手とかじゃなくみんなで音楽を楽しんで、みんなが歌う人・伴奏する人を尊重し合って、すごく暖かかったです。

画像3

こんな暖かい場や空気感を自分は作っていきたい。

イベント後にそう強く感じました。


そして迎えた就職活動


歌の活動、ゼミでの活動、wayaでの色々な方との出会い、大学生活を語る上での3つの大きなエピソードを持った状態でいよいよ就職活動を迎えます。

面接でどういうことが聞かれるのか、そもそも就活って何をすればいいのか、何も知らなかった僕は札幌の就活支援団体に面談をお願いします。

そこでは過去の活動のヒアリングなどが行われた後、就活の軸(会社選びの軸)を決めようという話になります。

そんなこと初めて考えた自分は2分くらいで二つ軸を決めます

1. 挑戦する環境がある会社であること

2. 人(顧客)に対して真摯に力を尽くしている会社であること

誰でも思いつきそうな軸ですが、たった2分考えただけで、よし!これでいこう!と自分で納得してしまいました。笑

会社選びの軸が決まれば、次は自己分析と面接練習です。

面接練習になるから行っておいでとオススメされた就活イベントでは、東京からベンチャー企業が数社札幌に来て、実際に人事の方と面接を行いました。

そして僕は、なぜかほとんどの企業に選考パスをもらいます。

確かに、珍しい経験もしてきた方かもしれないですが、選考パスをゲットしたのに全然嬉しくなかったんです。

次の選考(しかも選考がスキップしていきなり二次面接とか)でこの先も合格していったら、あの2分で考えた就活軸で本当に就職が決まってしまうかもしれない。

そう考えると、いやいやもっと真剣に考えないとダメだ。って感じるようになります。

そんな時、たまたま見てたFacebookで出会ってしまいます。

友達が興味ありを押していて、僕のタイムラインに流れてきたこのイベント

世界遺産である白川郷に滞在して、村内の事業者さんの魅力を切り取りPR動画を作るという内容。

自分の就活の軸の2番目であった

人(顧客)のために真摯に力を尽くしている会社であること

この部分を自分が本気で望んでいるのか確かめる絶好のチャンスだと思いました。

縁もゆかりもない地域の事業者さんの魅力を発見しようと自分は本気になれるのか。

そして、自分はそういう働き方が好きなのか。

確かめたい。

しかも、こんな学生にオススメの欄には

・就職・転職の節目で、今後の生き方働き方について考えているヒト

と書かれていました。

札幌市内で大きな合同説明会などが行われる真っ只中でしたが、このままの状態で色んな企業を見続けても、きっと自分はどの会社もいいと感じてしまう。

だったら自分の生きていく上での大切な軸となる部分が見つかるかもしれない白川郷へ行きたい。

それがたとえ就職活動の遅れをとったとしても。


往復のギリギリの交通費と名古屋での宿泊費くらいしかお金はなかったけど、行くしかないと思ったし、不思議と行かなければいけない気がしてこの合宿に申し込みます。

そして、このヒト大学の合宿が僕にとってとても大切な一週間になります。



またまた長くなってしまったので、今回はこの辺で終わりにします。

この白川郷ヒト大学の合宿で何があったのか、そしてなぜ北海道にヒト大学ができたのか。

次の 【大学4年〜現在編】

で投稿します!!

皆様からご支援いただいた額は、最低限の食費と、CD制作費にさせていただきます。宜しければ、サポートよろしくお願いします。