見出し画像

【小説】ラヴァーズロック2世 #11「恋のてふてふ魔法陣」

あらすじ
憑依型アルバイト〈マイグ〉で問題を起こしてしまった少年ロック。
かれは、キンゼイ博士が校長を務めるスクールに転入することになるのだが、その条件として自立システムの常時解放を要求される。
転入初日、ロックは謎の美少女からエージェントになってほしいと依頼されるのだが……。

注意事項
※R-15「残酷描写有り」「暴力描写有り」「性描写有り」
※この物語は、法律・法令に反する行為を容認・推奨するものではありません。
※連載中盤以降より有料とさせていただきますので、ご了承ください。


恋のてふてふ魔法陣


しばらくは、ただ一緒に下校して駅の改札で別れるだけの日々が続いた。

彼女はといえば、とりとめのない会話に終始し、例のエージェントの件についても意識的に避けているように見えた。

これではまるでただの恋人同士ではないか、とロックは思った。

生徒たちも、ふたりははたして付き合っているのか、いや、そんなことは決してない……あの不自然極まりない雰囲気は愛し合うもののそれではない、とかなんとか水面下で議論を戦わせていた。

確かに、イランイランとロックがふたり連れだって歩く様子は、明らかに一種独特で近寄りがたい何かを放っているのだった。

急に空が夜のように暗くなり、みぞれ交じりの大粒の雨が、時折何かを狙うようにぽつりぽつりと落ち始めた。

「ねぇ、今この瞬間、ゲリラ豪雨に遭ったらどうしたらいいと思います? どこで雨宿りしたらいいと思います?」

駅前のロータリーを渡り終えたとき、イランイランが訊ねた。

「ビープー、不正解です」

「まだ答えてないよ」と無表情のロック。

突然、猛烈な音と共に雨が激しく打ちつけ始めた。

前が見えなくなったせいか、駅前ロータリーの車の流れが一瞬ピタリと止まる。

イランイランはロックの手を引いて駅ビルに駆け込んだ。

2階の改札へ行くためにいつも利用するエスカレーターには乗らず、その下を潜り抜ける。

こんなところにも商業スペースがあったなんて知らなかった。

突き当りの真新しい白い壁には、巨大なアンティークのネオンサインがきらめいていて、その眩しさは「サングラスが欲しい」と、思わず呻いてしまうほど。

多目的サウンドスタジオ〈でゅーぴー〉のエントランスホールには、カラオケ目的の学生グループが点在していた。

イランイランはロックの手を引いたまま立ち止まりもせずに「AVの大、2名様です」と受付の女の子に投げキッスをして、そのまま長い廊下を直進。左右互い違いに現れるカラフルなドアが、ものすごい勢いで後ろに流れ去り、ロックはちょっとしためまいを感じる。

たどり着いた突き当りの大部屋は、思ったよりもかなり広かった。

壁一面を贅沢に使ったモニター画面には「いらっしゃいませ♡ イランイラン様」とメッセージが表示されていた。

「何だか、不思議の国のアリスに誘拐された気分というか……」

ロックの独り言のようなつぶやきにイランイランは全く反応せず、慣れた手つきで機材の設定を始める。

「とりあえず座ってください」

立ち尽くすロックに、彼女は黒革の4人掛けソファを指さした。

モニター画面のメニューから〈dance〉を選択すると、彼女は側面のダンスミラーで制服のチェックを始めた。

てっきり、踊りやすくするために上着を脱いだり、袖をまくり上げたりするのかと思ったのだが、彼女は全てのボタンがしっかり留まっているか、シャツの襟やスクールリボンは曲がっていないか確認するだけだった。

嫌な予感がする。この流れは、間違いなくダンスを鑑賞させられるパターンだ。しかも長時間。

突然、爆音で始まるイントロ。と同時に、モニターにふたりの美少女が映し出された。

ジャーマンロック風のハンマービートに、湿度7パーセントのディストーションギターが絡みつく。

サイケロックのサウンドに乗って華麗に激しく踊り始める双子風のゴスロリ少女たち。

ここでかれは思い出す、そういえばイランイランは女性グループ専門のアイドル評論家じゃなかったっけ。

満を持して鳴り始める重低音……超巨大恐竜と化したバスドラとベースが部屋の真上を闊歩する。内臓が浮き上がるのがはっきりとわかる。これは音楽を聴くというよりも、音像体験という言葉のほうがふさわしい。

ソファの傍らに立ち映像に見入るイランイランを時折横目で見上げながらも、同時にロックは彼女から送られてくる解説、膨大な文字情報に目を通さなければならなかった。

ゲリラ豪雨のように降りそそぐ可愛らしい文字に打たれながら、ライブ映像ならではの激しい光の点滅と大音量のビートを浴び続ける。画面の向こう側の世界との境界線が次第に薄れていくのがわかる。この状況が長時間続くのはあまりよろしくないな、とロックは感じる。これでは、精神の均衡が保てなくなるのも時間の問題だと……。

美少女ポップ・デュオ〈てふcon‐Ⅱ〉は、もともと女性アイドルグループ〈北半バナナシェイカーズ〉の派生ユニットで、ファーストシングル『恋のてふてふ魔法陣』が異例の大ヒットを記録、今では本家をしのぐアイドル界のビッグネームになり上がった。

メンバーは〈普天間るる〉ことルチカ・バナナシェイカーと、〈布袋かるあ〉ことアルカ・バナナシェイカーのふたりで、お揃いのゴスロリ衣装で美少女双子キャラを演じている。

遠目にはシンメトリーのように全く同じに見える彼女たちの容姿も、実はよほど注意深く探さないと発見できないような微細な違いがアクセントとして設けられている。

それは、衣装やヘアースタイル、アクセサリーにメイクなど多岐にわたり、しかも毎回パフォーマンスごとに異なるため、フアンのあいだでは〈間違い探し〉として、もうひとつの密かな楽しみとなっているのだった。

そんなてふcon‐Ⅱが、本家の北半バナナシェイカーズよりも、圧倒的なセールスを叩き出したことにイランイランは心中穏やかならぬものがあるらしい。

北半バナナシェイカーズの楽曲には『恋のてふてふ魔法陣』をはるかにしのぐ名曲が数多く存在すると力説する彼女からの文字情報、その言葉の節々に、そんなニュアンスを感じるのだ。

正直、双子の美少女には全く興味のないロックであったが、アイドルを熱く語るイランイランについては、たまらなく面白いと感じてしまうのだった。

短めのアウトロで楽曲が終了すると、すぐに聞き覚えのあるイントロが始まった。

聞き覚えがあるはずだ、モニター画面にまたもや『恋のてふてふ魔法陣』とタイトルが映し出され、2回目の再生が始まってしまったのだから……。

「今度は歌詞に注目して聴いてくださいね」とイランイラン。

ロックは画面下に現れる歌詞を追いかける。が、それを邪魔するようにイランイランは、漫画やアニメに登場する狂言回しとしての美少女双子キャラの役割や系譜を語り始めてしまう。

「ただ、無邪気なだけじゃダメなんです。主人公が窮地に陥ったり、絶体絶命だったりした時にでも、その悲劇的な災難が面白くてしょうがないような、底意地の悪い、悪魔のような無邪気さが必要なんです。それがシンメトリーの不気味さと相まって、なんていうか、幻惑的な狂言回しとしての……」

「君のせいで歌詞が頭に入ってこないよ」

「あっ、ごめんなさい。でも、実はたいしたことないんですよ、この曲の歌詞」

ふたりは見つめあい、思わず吹き出してしまう。

ロックは陽気に笑っている自分自身に驚き、急に真顔になって部屋の隅の何もない暗がりを見つめた。同世代との会話でこんなに笑ったのは初めてだったのだ。

そして、そんなことにはお構いなしに、3回目の再生と共に振り付けの講義が始まってしまう。

彼女は度々動画再生を止めては、細長い手足を大きく振り回しながら、シンメトリーダンスの解説をした。

顔に風を感じるほどに距離が近すぎるため、ロックは薄笑いを浮かべながらも、何度ものけぞらなければならなかった。

そうこうしているうちに、途中で再生を止めるようなことも次第になくなっていき、彼女は3人目のメンバーとして画面の中の少女たちと見事にシンクロしていくのだった。

ロックは画面の双子とイランイランを交互に、そして同時に鑑賞した。

終盤になり呼吸が荒くなっても、彼女は上着を脱いだり、腕まくりをしたり、襟もとのリボンタイを緩めたりもせず、ジャストサイズの制服をピッタリと身にまとったままで踊り続けた。

濡れた前髪が汗まみれの額に張りつくこともない。ライブの進行とともに着崩れていく、ネクタイを緩めた汗だくのブライアン・フェリーのような、いわゆる〈ヨーロッパの黄昏〉的なるものを期待しても無駄なようだ。

爆音の中、モニター画面から発せられるライブ照明で、暗い部屋全体が激しく点滅していた。

イランイラが踊るたび、ジャケットから時折のぞくダブルカフスシャツの袖が白く浮かび上がり、その中心で輝くジルコニアのカフリンクスが紫色のシグナルを送ってくる。

ところで、この少女たちの踊り方はいったい何なんだろう。なぜ、唐突に止まったり、カクカクとぎこちない動きをしたりするのだろう。疑問に思ったかれは、何の気なしにイランイランに質問してみた。が、すぐに後悔した。彼女の表情に、待ってましたといわんばかりの笑みが浮かんだからだ。

「そう! そういう疑問を徹底的に探りたいんですよ……ロック君と!」

いつの間にか楽曲は終了しAVルームは静まりかえっていた。

はぐらかしたり、ましてや逃げだしたりなど決してできないような真摯な態度で彼女は語り始めた。

「必要なんです。わたしの苦手な部分を代わりにやってくれるエージェントというか……資料集めの交渉をしたり……本もたくさん……」

「そうかなぁ……ぼくには完ぺきに見えるけどなぁ」

「わたしが?」イランイランは自分を指さすと首を大きく横に振った。

「……わたし……矛盾してるんです……心が……だからお願いします……」

その後も彼女は涙目で懇願し続け、ロックをのけぞらせた。



結局、ロックはほぼ毎日スタジオでゅーぴーに通う羽目になってしまう。

大部屋の〈AV大〉は24時間、365日貸し切り状態。可能な限り拘束され、女性アイドルグループ関連の動画を浴びるように観なければならない羽目に陥った。

研究対象はてふcon‐Ⅱにとどまらず、その母体であり、彼女が最も敬愛するグループ〈北半バナナシェイカーズ〉、そして名実ともにアイドル界のトップを走り続ける〈GaRuRuガールズ〉にまで及んだ。

少女たちが汗だくで踊るライブ映像に加え、リハーサルやオフショットなどのドキュメンタリー、果ては彼女たちを冠にしたバラエティ番組などなど。当然のことながら、ロック少年にとってそれは文字どおりの拷問であった。

ある日、かれは懇願した。後生だから、慣れるまでの間だけでもいいから、研究対象をひとつのグループに限定してほしいと。

かれがどのグループを選ぶか、イランイランは最初からわかっていた。

イランイランはあえて自分からは限定せず、ロックに選択させようともくろんでいたのだ。

結果的には同じだし、少々遠回りであっても、自分自身が選択したのだ、という事実がのちのちボディブローのように効いてくるはずだから……耐性がついた後に範囲を広げることができれば何も問題はない。

「やっぱり楽曲が飛びぬけてユニークだし、メロディーも有機的で歌詞なんかは……何ていうか……一番現代詩に近いというか……」

イランイランは微笑みながら「わかります、わかります」と相槌を打ち続けると「わたしこれで帰りますけど、ロック君は今日中にあと2本観てから帰ってくださいね、ノルマですから」と言い残し、あっさりと帰ってしまった。

北半バナナシェイカーズ、通称〈北花〉のメンバーたちがモニター画面の中で戯れている。

ダンスレッスンの休憩中をとらえたオフショット。まだ幼さの残る華奢な少女たち。カメラに向かってメンバーの誰それが同じメンバーの誰それにゾッコンだとか、いやいや本当はその逆だとか、どうでもいいことを抱きついたり転がったりしながら延々と主張し合い、それを何度も繰り返している。

暗い部屋にぼんやりと浮かんだ、蒼白く美しい能面のような顔がその動画を観ていた。

かれの口から思わず声が漏れる。

「うーむ、つまらない!」

それは圧倒的であった。顔も名前も存じ上げない、見た目は確かに美しいが、中身はごくごく普通の小娘たちが、レベルの低い話題でキャッキャと盛り上がっているだけの、この映像の何が面白いのか。いったい、どこにどのような価値があるというのか。

ホームビデオだったらわかる。家族だったらきっと楽しいだろうが、家族以外は絶対に無理、こんなものはせいぜい2親等まで、3親等にもなるとかなりきつくなるだろう。

ロックはそっと目を閉じた。暗闇の中でイランイランが踊っていた。モニター画面からフラッシュが発せられるたびに、彼女の白い肌が青白く浮かび上がる。

美しい操り人形の舞踏に魅せられ、息が吸えなくなったロックはそのまま気を失ってしまう。

つけっぱなしの画面ではオフショット動画も終わり、唐突なドラムイントロとともに北半バナナシェイカーズのステージパフォーマンスが始まってしまう。

どよめきと歓声が時化で荒れ狂う大波となって、動かなくなったロックの身体をあらゆる方向から何度も何度も打ち続けた。

「みんなー、会いたかったよー!」

「いー、くー、ぞーぉおおおおー!」

つづく


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?