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2023/01/21

見てくださいよ、これ。
池袋駅のトイレで見たんですけど、ポケモンカードのゴミが大量に捨ててあったんです。正しくはゴミではなく、ゴミみたいに捨てられたものではあるのですが、なんだかとても悲しくなってしまいまして。

僕、すごく小さい頃にポケモンカードをやっていたことがありまして。でも僕の家はあまり裕福ではなかったから友達が「このカードいらないからあげる」って言って、くれたカードをかき集めてたんですよね。クラスには数名カードを何百枚も大量に持ってる人がいて、おそらくお小遣いをもらったら全部ポケモンカードに費やしていた将来有望な少年たちだと思うんですけど、そういった子たちから、いらないカードを貰っていたのです。もらえるカードに強いカードはあまり無くて、リザードンやピカチュウといった人気カードではなくマタドガスとか理科系の男が使いそうな地味なポケモンばっかりでした。それでも"僕のカード"であることが嬉しくて、夜中に布団に潜って懐中電灯でそのカードたちを照らしながらニヤニヤして眺めていた頃があったのです。僕が未だにマイナーポケモンが好きなのはその頃の思い出が強くまだ残っているからかもしれません。みんなからすると全然かわいくもかっこよくないポケモンですけど、パラセクトやベトベトンが凄く僕にとっては特別なポケモンでした。
半年ほど次第にカードを集めていくうちにデッキが組めるだけのカードが集まって、友達と対戦してみたい気持ちが湧いてきました。いつも僕はカードをちゃんとした枚数持っていなかったので、なんとなくボケーッと友達同士が対戦しているのを見て「なんかわかんないけどすげー!」ってアホみたいに盛り上がっていただけでした。でもルールを聞いて学ぶことが友達にとってダルいことなんじゃないかと変な気を使ってしまっていた僕は友達が遊んでいるところを見てルールを少し覚えました。
大体のルールを覚えた僕はが次にしたことは対戦することではなく、「頭の中のお友達」と対戦することでした。要は部屋に一人でポケモンカードを並べて想像上の相手と対戦するというもの。寂しげに見えるかもしれませんが、いきなり対戦しようと言うのも勇気がいるもので、それでも友達の使うカードは見ていて大体覚えたから、意外とイメージはすぐに湧いて意外と出来たのです。しかしただ強さで戦っても余り物を貰っていた僕が勝てるわけもなく、それは想像に難しくありませんでした。そこで僕は友達から貰ったウツボットを見て「さそうかおりを使ったら相手の強さを利用できるかもしれない」と思ったり、「強さで負けているならパラセクトで相手を眠り状態にしたら、コイントスで裏が出る限り戦えるしなんとか出来るかもしれない」などと考えているうちに勝ち筋が見えてきたのです。その時間がたまらなく楽しくて、早く対戦したくてウズウズしていました。布団の中で懐中電灯で照らしながらする一人カードバトルは僕にとって世界を変えるような大作戦でした。
それから僕は友達と対戦をして、3回中2回勝つことが出来ました。友達が「そのカードそんな強かったの!」と言ってくれるのが凄く嬉しかったし、僕もカードも報われたような気持ちがしました。そのあと地元のおもちゃ屋さんの小さな大会で決勝戦までいくことが出来て、結局負けたのですが、準優勝のバッジをもらえたのは本当に良い思い出です。友達にとって「いらないカード」だったものは僕にとっては宝物でした。だからあの頃は「好きなポケモンは?」と聞かれたら「ウツボットとベトベトンとパラセクト!」などと答えていたので、ロケット団みたいな子供でした。

だから僕が捨てられたポケモンカードを見て悲しかったのは、何もこんなくしゃくしゃにして捨てなくたって、いつか友達にあげるために取っておいたっていいのに。と思ったのです。だってこんな捨てられ方をしたらだれも使えなくなってしまうじゃないですか。デッキに組まないポケモンカードを大きなお菓子の缶に入れて友達と遊ぶときに持ってきて、「このカード使わないからあげる!」と言ってくれるような時間を過ごせないのです。今ってポケモンカードが凄く高額で取引される時代ですけど、値段とか強さとかそういうのじゃなくって、本来は「楽しみたい」という気持ちを誰かと共有するための手段がこういうカードゲームじゃないですか。だからちょっとだけ悲しくなってしまったのです。

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