好きなものは人に見せたくない

それはなんというか、人に自分の好きなものを汚されたくないっていうこと。
昔からあんまり他人を信用していなくて、例えば小学校のときとか、自分の好きなキャラクターのキーホルダーをつけたり、好きなアニメやキャラクターの下敷きを持って行ったりっていうことをしたくなかった。
他人は基本的に友好的ではなくて、傷つけられるしたたかさを持っていて、否定されないわけではないとずっと思っていたから。
家族と出かけているときに、同級生に出会うことも嫌だった。
大切な家族になにかひどいことを言われるんじゃないかと思っていたから。

だから、かばんに好きなキーホルダーや缶バッジをつけている人を見ると、今でも素直にすごい勇気があるな、と思ってしまう。

というのも、ぼくの好きな人が、ツイッターで小学校のころ、カバンに缶バッジを…っていう内容のツイートをしていたから。

掲載許可ももらってないので、ここではAさんとするけど、Aさんは小学校のころから他人を疑わずに、自分のやわらかいところを表に出せて、すごいな、強い人なんだな、ってすごく思った。

ぼくは、何年も経った今でさえ、自分の好きなものを人から傷つけられたり、汚されたりしてしまうのが怖くて、絶対に嫌で、だから自分の好きなものや世界をあまり表に出せない。

自分の書いた作品とかを表にあんまり出せないのも、たぶん、ぼくはぼくの中にある世界を愛しすぎていて、誰かに傷つけられたり、汚されたりするくらいなら、いっそぼくの中だけで一生うつくしいまま愛で続けていようっていう気持ちがあるから。

ぼくがいう「汚される」っていうのは、いわゆるぼくの世界を見ている視点とは違う見方で、違う解釈をされてしまうことだと思う。
人それぞれ感じ方は違くて、みんなそれぞれ違うせいかいを持っているのに、そうやって見られてしまうことが、ぼくの中で生きてる世界に対する冒とくなんじゃないかっていう。

そういう気持ちだと思う。

少しぼくはひねくれているのかなと思うから、自分の好きなものを表に出せる人ってすごいです。

ぼくはたぶんそうはなれないし、だから憧れるんだと思うけれど。

ただ、もしぼくみたいに、人は人を簡単に傷つけられるものだからって、自分の好きをそうやって片手間に汚されないように、自分の中だけで秘めて、愛でているタイプの人がいたら、きっとぼくはその人を好きになるし、仲良くなりたいと感じると思います。

そういう話です。

小さい子とか、かわいいぬいぐるみを持って家族と出かけていたりして、そういうのを見るとぼくはすごく幸せになる。
このまま、他人を疑わないで、幸せなまま、幸せな世界で生きていてほしいなと思うし、そういう環境で生きている子がいるという事実だけでも結構幸せになれる。

ぼくが幸せじゃない世界にいるのかといったら全然そんなことはないけれど、あんまり人に傷つけられるのとか、そういうことを体験する人は、出来るだけ少ないほうがいいと思うから。
ぼくは、そういう子が幸せなまま生きていけるように、せかいを守っていきたいな、なんてことも思ったりする。


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