自分らしさ

とっても久しぶりの投稿です。

(言い訳をすると8月までは実験まみれでした。9月は今日書くことの思考整理が追い付かず、言葉にできませんでした。それはそれで綺麗じゃなくても残すのは大事だよと言葉をもらったのですが、言葉にならないのを理由にしてサボってました、よくない)

今回、書き残したいのは「自分らしさ」とはなにか?ということです。9月に入り、就職活動を通して変化したこと・してないことの大きく2つの分類分けで自身の性質について考えていました。さらにそこに、自分の希望であったかどうかの分割と、これからはどうしたいかどうかの分割を加えて、自身の性質をカテゴリー分けしていたのです(これがいけなかった・・・笑)

というのも、この思考をするのはとても楽しかったのですが、これだ!という的確な分類とそこから得られるその先の思考がいまいち言葉にできず、今まで、グダグダしてきてしまった原因でもあったので。

しかし、ここ数か月、個人的に進めている母校でのキャリア教育企画の準備中に、高校時代の先生とお話する機会があり、少なくとも私の「自分らしさ」がにじみ出ている文章に、久しぶりに出くわしたのでとりあえず、ここに残しておこうと。

これは、高3の時に「学び」について課題で書かされた作文。何かしら、言葉にしろと言われたら、身近なものに関して言語化を無理にでもしたら、なんとなくその人らしさが出てくるもんなのだなと実感しました。当時は自分らしさなんて考えたことなかったけど、昔も今も変わってない自分がこの文章にいる気がしてます。(文中にでてくる好きな言葉を紙に書いて勉強机に貼ってたのはココだけのハナシ。)

↓以下作文

『人生の価値』

「学ぶ」という作業は、人が皆、無意識にまたは意識的に絶え間なく行っているものである。何かを見、何かを聞き、何かに触れ、私たちは自分を最大限に使って考え、学ぶ。もちろん私が○高で過ごしてきた3年間にも、この作業は繰り返され、わずかではあるが私の力となってきた。では、私が○高で「学ぶ」という作業から得た力とは何であるのだろうか。私が思うにそれの力とは「学力」ではなく、努力を通じて得た「人間力」である。1年生のころから山のような宿題に追われたり、勉強と部活の両立に苦しんだり、そして今、受験という大きな壁に立ち向かっていたり。そのような状況でも私たちは自らの人生を前へ進めるような何らかの努力をしてきたはずだ。その努力こそが「人間力」となり、私たちの人生の価値を高める。

私の好きな言葉に「私たちの人生は、私たちが費やした努力だけの価値がある」というものがある。この言葉からもわかるように、「学ぶ」という作業を繰り返すことで私たちは努力し、「人間力」を得て人生の価値を高めることができる。私がこうしてこの文章を書いている間にも少しずつだが、人生の価値は向上している。

だから私は「学ぶ」ことを繰り返し、その時に必要な努力を怠らず、「人間力」を得て人生の価値を高めてゆきたい。私がこの作業を止めることはおそらく人生が終わるときまでないだろう。そしてその結果、人生の価値はどこまで高まるのだろうか。それはすべて「学び」次第である。



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